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写真は「絶滅」するのか。『杉本博司 絶滅写真』が提示する、写真の「真実と嘘」

2026.8.26

#ART

『杉本博司 絶滅写真』展示風景 / 東京国立近代美術館 / ©Sugimoto Studio
『杉本博司 絶滅写真』展示風景 / 東京国立近代美術館 / ©Sugimoto Studio

デジタル技術が発達した今、「真実」はどこにあるのか

再度、ステートメントから引用しよう。

私は写真の持つ信憑性について考えた。写真に写されたものは存在した、それは証明写真とも言われる様に、真実の存在証明だった。犯人は警察で証拠写真を突きつけられ、観念し自白した。私はその特性を逆手に取って、写真には写らないものもある、ということを写真に撮って証明してみようと考えたのだ。

同じステートメントの冒頭で、杉本は「今、写真から何が絶滅したのか。それは写真の証拠能力に他ならない。写真は21世紀に入り急速にデジタル化した。デジタル画像は如何様にも変換可能である」と、「絶滅」の意図を簡潔に述べているが、上記したコメントからわかるように、むしろ写真の「真実性」を反転させようとしてきたのだと告白している。そして、高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞したときのコメントでは、こうも書く。

絵は絵空事を描くメディアだ。写真は真実を描くメディアなのだ。見損なってもらっては困る、と言いたかったのだ。今、写真は絵の代替えメディアに堕してしまったようだ。

真実と嘘。そのどちらに杉本は立っているのだろうか? デジタル技術では実現しようのない技術的限界ゆえに銀塩写真とその技法に執着する杉本が、産業構造のダイナミックな変化によって既知の技術が失われていくことを嘆くのはわかる。そこには写真の絶滅があるだろう。

しかしその一方で、AIなどのデジタル技術によって得られる新しい視覚もある。ビッグデータによって形成される生成画像の多くが、なんとなく美少女アニメ調なイメージを多用したり、プロンプトによって指示された対象を画面の中央に配置したがる(いわゆる「日の丸構図」というもの。絵描きにとってはヘタクソな絵の特徴の一つ)AIが、大量消費社会におけるイメージの凡庸さ、私たちの社会のジェンダーバイアスを無批判に反映している状況は、まさに「いまここ」の視覚表象の批評的可視化であろう。筆者からのメールインタビューでの質問に対する杉本からの返答はなかったが、そのような「今日の風景」に彼はどのような関心を向けているのだろうか? 興味は尽きない。

3章「絶滅写真」より『放電場』 / 『杉本博司 絶滅写真』展示風景 / 東京国立近代美術館 / ©Sugimoto Studio

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