ライターの丘田ミイ子、川添史子、早川大輝に集まってもらい、2026年上半期の演劇界を振り返ってもらう座談会。
前編では、3人が2026年上半期で印象に残っている作品についてのほか、音楽と演劇の組み合わせ、岸田國士戯曲賞の話を経て考える一人芝居の増加、さらには演劇作品の上映会が持つ意味などについてお届けしてきた。
後編では、一人芝居とはまた違う意味合いを持つ俳優の個人企画についてのほか、現代において海外戯曲を上演する意味、世界中の人形劇が集まる『下北沢国際人形劇祭』の熱気、2026年下半期で気になっている作品について聞いた。
(「前編」はこちら)
https://niewmedia.com/specials/2610stage2_ednwe_wrsmm/
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大石恵美や大竹このみ(贅沢貧乏)、内藤ゆき(阿佐ヶ谷スパイダース)まで。俳優の個人企画が増えている理由
ー前編では一人芝居の話がありましたが、俳優の個人企画についてはどのように見られていますか?
丘田:コロナ禍以降の動きとして、少ないメンバーで再演もできる、ポータブルで持続可能な演劇を考えたときに、一人芝居や二人芝居が増えて、その流れで個人企画も増えていったのかなという感触はありました。
川添:ここ数年、ハラスメントやパワーバランスについて見直されてきた時期でもあると思うんですが、脚本家や演出家の要望に応えることだけが俳優の仕事ではない、俳優はもっと主体性のある存在であってもいいはずだという動きを感じています。
丘田:そこで俳優が初めて個人企画を始動させるとなった時に、これまでの生き方を書いたり、自身を投影した役どころを演じたりするような私小説的な作品が増えたようにも感じました。大石(恵美)さんの作品にもそんな魅力がありますが、贅沢貧乏の大竹このみさんも5月に一人芝居で『わたし、こども部屋おばさん』という作品を上演していました。箱入り娘である自身の人生を振り返りながら、自分が今後どう生きていくのかを自ら問いながら観客へも現在地を開いてくような舞台で印象深かったです。

丘田:一方、コラボレーションの意味合いで上演される個人企画にも注目が集まっている気がしています。3月には滋企画の新作で、元FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介さんを作・演出に招いた『ミッキーアイランド』を上演していました。滋企画は青年団の俳優・佐藤滋さんが主宰する企画で、昨年上演された『ガラスの動物園』(演出:額田大志)では読売演劇大賞にも複数部門で選出され、話題を呼びました。あと上半期では、5月に阿佐ヶ谷スパイダースの内藤ゆきさんが、夏の毛になるという個人企画で自身で書き下ろした『春が来る』という作品を上演し、ウンゲツィーファの本橋龍さんが演出をされていました。こちらもコラボの意義と個性が光る印象的な公演でした。

川添:俳優が主体となるユニットは上演作品に幅が生まれるのでいいですよね。私は常々、若い俳優はもっとさまざまな種類の戯曲を演じたらいいのにと思っているんです。
ーその理由はどういうところにあるんですか?
川添:俳優の筋力をつける意味でも、古今東西問わずあらゆる戯曲に触れるべきだし、常に誰かに選ばれるのを待つ存在でいるよりも、今の時代に何を上演するべきか、自分たちで主体性を持って選ぶことが豊かな表現に繋がっていくと思うんですよ。固定の作家の作品しか上演しない劇団に所属しているとそれは難しいし、その俳優の一面しか見られない。だから俳優の個人企画を観に行くのは、意外な発見があって好きなんです。
あと例えば、海外戯曲や古典作品のような既成戯曲を上演することになったら、全員がフラットな立場、関係性で、戯曲を解釈して話し合ったりできるじゃないですか。長年、小劇場ブームの余波で、作・演出を兼ねる人が主宰も務める集団はまだまだ多いです。劇団の方向性も、作品の方向性も、主宰の方針に劇団員が従う……という劇団も少なくなかったと思いますが、カンパニー全体の関係性が平等な方が健全だよね? という劇団も増えてきた。その結果、主体性を持つ俳優も増えてきたのではないでしょうか。
丘田:少し生々しい話ではありますが、海外戯曲を扱うと、脚本が書き上がるのを待たなくてもいいという安心感のもと、時間をかけたクリエイションができるという面もあるのかなと思いました。劇団スポーツが番外企画でハロルド・ピンターの『THE DUMB WAITER』を上演していましたが、川添さんが仰るようにディグりがいのある海外戯曲をカンパニー内でああでもないこうでもないと言いながら試してみることでしか立ち上がらない、現在の空気をふんだんに含んだ上演の形は確かにあるなと思いました。

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いま翻訳劇に求められるものと、古典の現代性
丘田:私はあまり大きい舞台をたくさん観られてないので、ぜひ川添さんにお聞きしたいんですが、上半期に大劇場で上演された海外戯曲の中で話題になったものはありますか?
川添:大劇場ではないのですが、翻訳劇ということだけで言うと、6月に俳優座が『ファーム・ホール』という英国の劇作家キャサリン・モアの作品を上演しました。これは実話をもとにした戯曲なんです。ナチスドイツの敗北後の第二次大戦末期、イギリスの片田舎にある屋敷「ファーム・ホール」にナチス政権下で核開発(ウラン計画)に関わっていたドイツの優秀な科学者6人が、「国王陛下の客人」として丁重に扱われながらも軟禁されていたそうなんですね。そこでの彼らの緊張感ある会話劇です。上演された俳優座のスタジオはコンパクトな空間なので、彼らと同じ部屋にいるような感覚を覚える空気感を、演出の眞鍋卓嗣と俳優座の巧い役者によって緊密につくり出していました。
この上演が素晴らしいなと思った理由のひとつはまず、世界各地で戦争が激化し、ひたひたと核戦争の危険も迫る現代、改めて科学と倫理の問題を考えるタイミングがドンピシャである点。あとは、この戯曲を日本で上演するということは、欧米世界の人たちが原爆について語る物語を、原爆を落とされた側である我々日本人が聞くことになるわけですよね。劇中、科学者たちがアメリカに核開発で先を越されたことを悔しがったりするのですが、広島、長崎のことを小さな頃から知っている私たちにとっては、たまったものじゃないよ……という気になりました。あの時、何が行われたかを知ること。ここに私は、日本で上演される意義を感じましたね。
川添:今は『ナショナルシアターライブ』(※)のように海外の話題作を映画館で、ほぼ時間を空けずに観ることができてしまうので、翻訳劇を上演するには、なぜ今、日本で上演するのか、その意味が昔よりも厳しく問われます。『ファーム・ホール』は、そこをちゃんと掴んでいればこんなに意味のある翻訳劇の上演になるんだと教えてくれた作品でした。
※ナショナルシアターライブ:英国ロンドンにあるロイヤルナショナルシアターが、厳選した舞台公演を収録して世界の映画館で上映する企画。日本の映画館でも観ることができ、これまでに1,300万人を超える観客を動員してきた。
丘田:戦争を題材にした戯曲を、今の日本でどう上演するかというのはありますよね。それで言うと、劇団ヅッカの『ROMEO : JULIET : 』も反戦のテーマが忍ばされていたなというのを、川添さんのお話を聞いていて思い出しました。ロミオとジュリエットの話ではあるんですが、劇中に出てくる若者たちが、何か大きなものによって運命を左右されるといったニュアンスも含まれていましたし、「&」ではなく「:」と表記されたタイトルにもそうしたメッセージを感じました。
早川:確かにすごく群像劇的でしたね。それぞれのキャラクターがここに至るまでにどういう道筋を辿ってきたのかを振り返るようなパートがあったので、なぜこの悲劇が生まれてしまったのかが紐解けるような見せ方をしていた気がしますね。

川添:ちょっと話が変わるんですが、翻訳劇の話題の流れで、私が最近感動したことを思い出しました。脈絡なく話してもいいですか?(笑)
丘田:ぜひ聞きたいです。
川添:シェイクスピア全37戯曲を訳した(英文学者で演劇評論家の)小田島雄志先生が今年亡くなられて、先日お別れ会があったんです。そこで、同じくシェイクスピアの全作品を翻訳された松岡和子さんが挨拶されていたんですが、『ロミオとジュリエット』の翻訳で、ジュリエットがロミオのことを「ロミオ」と呼び捨てにした訳を考えたのは小田島先生が初めてだという話をされていたんです。昔は「ロミオ様」が普通の世の中だったけど、だんだんと「ロミオ」と「ジュリエット」と対等に呼び合うような時代になってきた、時代性にピッタリ合う言葉を考えられたと。そういう意味でも、古典だって細部にこだわっていけば、現代性を反映できるんですよね。新作でなくても工夫次第。俳優が現代性を持って演じる原動力になっていくと思うんです。