飯田団紅による個展『春画展』が3月9日(土)から24日(日)まで、東京・目黒区のギャラリー「月極」で開催される。
飯田は神出鬼没の路上演奏を行う総勢20名超の和楽器集団・切腹ピストルズの隊長として知られるほか、日本的な図案や意匠を得意とするデザイナーとしても活躍。かつてはパンクに傾倒し、1990年代にはBLANKEY JET CITYの1stビデオ『DOG FOOD』のジャケットやツアーグッズのデザインなどを手掛けるが、2000年代に約3年間のロンドン滞在から帰国して以降は、日本土着の文化を探求。常に野良着で生活している。
初の個展となる同展では、飯田の描く春画作品群を土佐和紙に印刷した連作を中心に、手描きの一点モノも展示。土佐和紙は平安時代からの歴史を持つ高知県の「浜田和紙」により、麻×楮の手漉き仕上げをされた特製品で、「今春画を摺るべき紙とは」という問いに向き合い作られた。
入場は無料。初日にはオープニングレセプションが行われ、飯田は2日目も在廊予定。飯田による長文の展示ステートメントも公開されており、春画をテーマとすることになった経緯も綴られている。
【声明】
まず、これを企画開催していただく関係者みなさま、今後ご来場いただけるはずのみなさまに心より感謝申し上げます。
あたくしは飯田団紅(だんこう)、通称・隊長だ。うれしいことに贔屓にしてくれる人々が少々いるが、まったくもって無名な男である。なのに『個展』をやることになったのは動乱の時代のバグだろうか?世の中がボタンを掛け違えた結果、一つ余った一番下のボタンがあたくしで、運良く一番上の空いた穴にねじ込まれる時が来たのかと思いきや、実際は気づかれずにポロンと落ちただけの瞬間かも知れない。
あたくしがこれまで細々とおこなってきた物づくりの中で、平面的な意匠においては、何かに使われるのを目的とするものが多い。例えば、衣類に摺られる意匠、文字、手ぬぐい図案、音楽に関するジャケットやポスターの構成など。これは最後に組み立てられたときが『完成』であるから、『原画』や『素材』は、当然ながらまだ形になっていないので見せるには値しない。音楽の入っていないMVの断片映像みたいなものだからである。では、単体で成立するものを作ってこなかったか?といえばあるにせよ、『さぁご覧あれ』と出すのは、あたくしの所属する『とある集団』だけで充分だった。この集団は、アーティストやミュージシャンを自称してないから素敵だ。なぜそれが重要なのか。近代以前までの日本の話しをしよう。アーティストやミュージシャンという言葉に当てはめなかった時代、スキキライはあったにせよ、絵描きでも音楽家でもないのに庶民が勝手にやっていた世界がある。お百姓が歌を歌ったり、笛を吹いたり、それが公共に発せられ伝播して混ざったりして長い間広がってきた世界だ。十年以上前の事、栃木の片田舎の深夜の『太々神楽』で、お百姓の老人たちがくわえ煙草で太鼓を叩いたり、かすれた笛に聴衆からのヤジがあれば、演舞途中に舞台上から言い返すあの神楽の光景があたくしに輝いて見えた。同地域には、地芝居(農村歌舞伎)の背景に使われた「両面の襖(ふすま)絵」が、幕末~明治から百枚以上残っているのだが、その襖絵たちは狩野派の絵と百姓の絵が混在しており、演者と聴衆の境界線のなさに歓喜した。西洋のパンクムーブメント含め、そんな落雷たちがあたくしを作ってきたから、物づくりにおいても、『アーティスト』『ミュージシャン』という肩書きはどうも違う世界のことに感じてしまう。「所詮、アマだ道楽だ」という評論はあたくしを止める事も反省させる事もできない。
近代は江戸時代を否定したはずが、結局その時代をちょこちょこ売りにしている。また、伝統や文化といわれるものがなくなりそうだから保存という型にしてきて百五十年、まったく月並みな話題だが、本来それら『デントウ』と呼ばれるものも生きていれば色々な進化をする。浮世絵や春画の進化形としては、現代情報との融合や安易な置き換えがある。しかしあたくしのような人間は情報まみれであるし、今さらの情報を入れる隙間がないほど満腹であった。上に触れた和楽器集団いわく、「演奏しているのではなく和楽器にさせられている」とうそぶくが、それは本当で、自分のオリジナリティとは?の苦悩などしゃらくさい。衝動こそ生きる爆発。いっそ考えずに素直に動いたとき、それまで思いもよらなかった自分の匂いが香り立つ。寂しさは人を誤らせるが、衝動は人を立ち返らせる。それとまったく同じ。浮世絵や春画に「させられている」のが今回のあたくしだ。昨今嬉しいのは、何か依頼がある時に「~とはお話ししたものの、あとは団紅さんにまかせる」と言ってもらえることがほとんどになった。境界線を気にしないうちに何かを身につけてしまったのかも知れない。
ということで今回のお題は『春画』。その依頼主は、『企画者』はもちろん、もうひとつ何を隠そう『それまでの春画』からのささやきであった。『それまでの春画』があたくしに言う。「春画を再提出しろ」と言ってきたのだ。情報量では無く、想像量こそが新たな「春画」である。この絵の形はこちらからの覗き窓のようで、実際は向こうに我々の心の内を覗かれて完成する。十八禁も経験も衝動もおぬしの心中にある。
「春画」連作十三枚を用意した。
団紅
飯田団紅『春画展』
会期 : 2024年3月9日(土) – 3月24日(日) ※ 月火休廊
開場時間 : 13:00 – 19:00 (水/木/金/土/日)
入場 : 無料
会場 : 月極
住所 : 〒152-0001 東京都目黒区中央町1丁目3-2 B1
HP:https://tsukigime.space / Instagram:@tsukigime.space
主催 : Sasquatchfabrix. / yugyo inc.
飯田 団紅(いいだ だんこう)
幼児期より絵を描き、特技とした。十代でパンクムーブメントに浸かり、1989年にはセックスピストルズのアートワークで有名なジェイミー・リードが来日した際、直接手ほどきとインスピレーションを受けた。原宿のパンクショップで働く中、1992年、ブランキー・ジェット・シティのファーストビデオのジャケットや意匠・図案制作として白羽の矢。一層、デザインとパンクを基本に過ごした。2000年初頭から三年間、ロンドンへ渡る。ロシア人女性とのユニットを組み、セントラル セント マーチンズ カレッジ オブ アートに潜入した。ホームレス期間には、ブリックレーンの路上で、シド・ヴィシャスの浮世絵や即席に作った服を売って生活。帰国後、いくつかの職種を経て、広告業界で修行。表現する物や行動が顕著に日本土着を探すようになっての2011年、東日本大震災を契機に、和楽器を使う集団「切腹ピストルズ」を結成し隊長を務める。ここでパンクからドロップアウト。野良着から始まる「忘れられた日本」の再編集・再提出と、生活・日常・景色に影響を及ぼす活動を軸に、近年では〈古くて新しい〉日本的意匠や図案なら団紅、人生や恋愛の相談、思想の講演、インタビュー依頼も多く、もはや何屋かも不明となった。栃木に移住して十一年。屋号「やかまし」、通称:隊長。