墨田区が本格的に面白いことになっている。23区で初となる、区が主催するアートフェスティバル『すみだ五彩の芸術祭』が、2026年9月、ついに開幕を迎えた。
この芸術祭はプログラムも開催場所も本当にバラエティに富んでいて、数が多い(会場は墨田区全域50ヶ所以上、プログラムは100以上!)。「すみだ」というキーワードで結ばれる多彩なアートが放り込まれた、玉手箱でありびっくり箱である。
その魅力をすべて紹介することはとてもできないが、開幕に先駆けて開催されたプレス向け内覧ツアーから、ライター小杉とNiEW編集部が注目した見どころを紹介しよう。この記事はあくまで氷山の一角だと踏まえた上で、『すみだ五彩の芸術祭』に足を運ぶきっかけとなれれば幸いである。
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「墨って五彩あんねん」
イベント名の「五彩」は、水墨画の世界で言う「墨に五彩あり」との言葉から取られている。ただ黒色に見える墨にも、素材によって微妙な青っぽさ、茶色っぽさがあり、さらにその濃淡や余白の使い方によって、ありとあらゆるものを表現できる可能性を秘めている、という意味だ。アンミカの「白って200色あんねん」である。イントネーションは「5歳」ではなく、「期待」と同じ語尾上がりの「五彩」だ。
では期待を込めて、『すみだ五彩の芸術祭』を巡っていこう。

取材班がまず訪れたのは、両国シティコアのコミューンX。ここでは『食いっぱぐれない明日』というちょっと変わったネーミングの小展覧会が開催されている。サイエンス系アートが大好きな筆者はもう、いきなり楽しくてたまらなくなってしまった。

『食いっぱぐれない明日』の作品たちは、テクノロジーを使って、自然の囁き、生命の蠢きといった目に見えないものをはっきりと浮かび上がらせる。私たちと私たちを取り巻く環境との関係に改めて意識を向け、自分がどんな輪の中に立っているのかを実感させてくれるのだ(といっても、地球を大切にしよう! エコバッグを持とう! 的なそれではない)。

大きなガラス鉢には、墨田区内の各所(公園やグラウンド、家の庭など)から採集した土や植物が入っている。そこから怪しげな線がのびて、やや小ぶりなガラス鉢につながっている。実は小さい鉢にはタネが植えられており、江戸野菜をささやかに栽培中だ。これは、土の中の微生物が発する微弱な電気刺激を使って、新たな植物の成長促進を試みる、という実験なのだという。微生物が電気を作っていたこともびっくりだし、電気刺激で作物がよく育つ可能性がある、ということもびっくりである。来場者は手回し発電機を使って、電気を送るお手伝いをすることも可能だ。果たして会期終了後、江戸野菜はどんな状態になっているのだろうか?
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ミミズや水泡に耳をすまし、生き抜くヒントをもらう

左手に写っているのは、およそ60匹のミミズが生きている土のプールだ(手を入れてもOKだそうだが、怖くてできなかった)。土中にはマイクが差し込まれており、来場者はミミズがリアルタイムで蠢く音をヘッドホンで聴くことができる。聞こえないから考えたこともなかったが、いつだってミミズは地面の下でゴソゴソ動いているのである。解説してくれた清宮ディレクターいわく、ミミズは「あんまり動いてくれない(笑)」そうだが、あんまり足の下で活発に動かれたらそれはそれで怖い気もしてきた。
右手は、サーモグラフィを使って、ベンチに残った自分の残り香ならぬ「残り熱」を確認するというものだ。目に見えないけれど確かに残る、お尻の存在感。自分はエネルギーの塊であり、生きるってエネルギーの移動なんだなぁとしみじみ感じる瞬間である。

会場奥には、Xlabの作品『Bubble Symphony』が。筆者はこの作品の持つ癒しの力にすっかり夢中になってしまい、その夜帰ってからも(あの音が聴きたい……)と恋しく思い出しながら眠りについたほどだ。
『Bubble Symphony』はその名の通り、泡の音楽。水槽内の水草が光合成して発する細かい泡をセンサーで読み取り、そのリズムや強弱を音楽に変換してリアルタイム生成する作品である。鑑賞者は手元のつまみで、実際の泡の音〜変換された音楽を滑らかに変化させながら楽しむことができる。おすすめはちょっと泡の音を残した、泡3:音7くらいの塩梅だ。取材時にはまるで遠くから響く神社の鈴の音のように聴こえたが、自然の水草がつくり出す音楽なので、完全に同じ物は2度と生成されてこない。会期中に墨田区のあちこちから水草が増やされる予定らしいので、今後の展開が楽しみである。というかこの作品、家庭用に商品化してもらえませんか……?
なお『食いっぱぐれない明日』は、このコミューンXでの展覧会名であると同時に、墨田区の南側(両国・錦糸町エリア)での同時多発的なアートプロジェクトの総称でもある。例えば、いとうせいこう&星野概念による日曜イベント『助けたり、助けられたりの日曜日(通称たすたす)』や、誰もが身近な場所で参加できる農業体験『すみだ農園 EDIBLE SUMIDA』、コムアイによる多国籍な食にまつわるプログラム『いと』などが行われる。それらの全てを貫いているのが、「地産地消」「テクノロジー」「心的ケア」という3つのキーワードだ。3つの鍵を携えてそれぞれのプログラムに飛び込んでみれば、きっと「シビアな世の中を明日も元気で生き抜いていくために、私たちは一体どうしたらいいだろう?」という大きな問いが見えてくるはず。実に身近かつ切実なテーマなので、多くの人が自分ごととして共鳴できるのではないだろうか。
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江戸っ子の洒落っ気「見立て」を、東武博物館で味わう
続いては、東向島にある東武博物館へ。東武鉄道の歴史を紹介するこの博物館が、展示会場のひとつとしてアートフェスに組み込まれるのは今回が初めてなのだとか。実物SLや関東の大ジオラマなど、普通に見学するだけでも非常に興味深い博物館なのだが、『すみだ五彩の芸術祭』ではこの場所を最大限に活かした、ユニークかつお茶目なアートと出会うことができる。

博物館の外から見える「日光軌道203号」の保存車両が、丸ごと鈴木康広の作品となっている。その名も『すみだ鉄道 日光線』だ。鈴木康広は日常の気づきや疑問を膨らませ、「見立て」を通して新たな切り口を示すアーティスト。「まるで〇〇みたい」と何かの姿を別の何かに重ねる「見立て」という洒落っ気は、日本人、特に江戸っ子の十八番である。

レトロなこの「日光軌道203号」車両は、かつて栃木県の日光〜馬返間を運行していた路面電車だ。1968年に廃線し、文化資料としてここ墨田区の博物館で展示されている……が、アーティストはこう言う。
「この車両は止まっているのではなく、地球の自転速度で運行中だと考えることができます」
なんと太陽が昇っては沈む「日光軌道」に沿って、日光軌道線はいまだ未来方向へ運行中だったのである! この見立てにはニヤニヤが止まらないではないか。車両内には外を覗くための『吊り革のルーペ』がぶら下がり、網棚には透明な『空気の鞄』がセットされていて、ビジュアル的にとてもロマンチックで可愛い(ここは大事だと思う)。
まずは興奮のままに写真を撮り、そのあとで座席に腰掛けて、ひとつひとつのモチーフに込められた意味をじっくり味わうのがいいだろう。扉上の行先表示画面にはその時の太陽高度角、太陽方位角の数値が表示され、車内アナウンスもオリジナルのシャレの効いたもの(東武博物館職員の、元車掌さんに協力いただいたらしい)が流れているので、ぜひチェックしてほしい。

博物館2階の「向島サテライト」に展開される『すみだ鉄道 『見立て線』開通』という作品は、8月に行ったワークショップで参加者がまちを歩いて「ふと、○○に見えてしまった風景」を「駅」に見立てたもの。53か所もある一連の「駅」 を楽しんだ後でぜひとも体験してほしいのが、切符の発券機に見立てた『小さな発見機』だ。

鈴木作品展示エリア周辺のスタンプラリーを制覇すると、この発見機用のコインがもらえる。コインを入れて「発見」ボタンを押すと、「ただいま発見中です」の音声ののち、見立て線の駅(小さな発見)をランダムにプリントした特製切符が発券されるのだ。写真は筆者が発見ボタンを押して「四角いテントウムシ」が出たところ。一体なんなんだ、四角いテントウムシって。なんの見立てなんだ。東向島界隈のどこかにいるのだろうか? 発見したくてたまらないではないか。
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現代アート、キャラ / アニメ文化と、墨田の伝統工芸の出会い

ちょっと移動して、やってきたのは立花大正民家園 旧小山家住宅だ。江戸の佇まいを色濃く残すこの場所では、山口藍の作品展『向かいのきたん』が開催されている。
山口藍は、江戸時代の少女 / 遊女たちを現代のキャラクター文化的な(=マンガやアニメに近い)表現方法を織り交ぜて描く、独特な作風で知られるアーティストだ。
今回の展示で作家は、古民家を丸ごと使って、女の子たちの進行形の暮らしを想像させるような空間を作り上げている。シール(?)をペタペタ貼った柱や、折り紙の船がたくさん吊り下げられた蚊帳などが醸し出す、どこか幼く儚い空気は、一般的な「保存された古民家」では決して感じることのないものだ。ぜひ実際に身を置いて体感してみてほしい。

注目は、墨田区の誇る手仕事の職人(市松人形職人 / 屏風職人 / 木工職人)とのコラボレーションで生まれた、ネオ市松人形とでもいうべきインスタレーションである。解説に立った山口自身が、人形の四面を囲む屏風のことを「リカちゃんハウス」と表現していたのには、なるほどと深く納得してしまった。

『おにんぎょさん』の瞳は山口の描く少女と同じ、平坦なようで奥行きを感じさせる幾何学模様。ガラスの眼玉をはめ込むのが主流という近年では珍しく、「描き眼」で仕上げられている。衣装や装飾の細やかさにもため息が出そうだ。普段なかなか混ざり合うことのない、異なる時代 / 分野の表現が出会って新たな表現の可能性をひらくのは、こういった大規模な芸術祭ならではの醍醐味ではないだろうか。