初長編作『マラノーチェ』(1985年)から、人間ドラマの名作として名高い『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『エレファント』(2003年)、そして最新作『デッドマンズ・ワイヤー』(2025年)まで、ガス・ヴァン・サントは多種多様なスタイルで映画を作り続けてきたアメリカの名匠のひとりだ。そのフィルモグラフィにはウェルメイドなドラマやサスペンス、さらには実験的な作品が並んでいるが、そうした監督としての手腕は初期から発揮されていたと言える。
今回デジタルリマスターで再上映される『ドラッグストア・カウボーイ』(1989年)と『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)は、インディペンデントから新たな才能として現れたヴァン・サントの初期の代表作にして、当時の若者たちの姿を活写した映画作品としてアメリカンポップカルチャーにおいても重要な2作である。麻薬に溺れドラッグストアを襲撃する青年の行き場のない日々をシニカルなユーモアとともに捉えた『ドラッグストア・カウボーイ』。ウィリアム・シェイクスピアの『ヘンリー4世』『ヘンリー5世』をゆるく下敷きにしつつ、男娼たちのボロボロの青春をビターに映しだした『マイ・プライベート・アイダホ』。マット・ディロン、キアヌ・リーヴス、リヴァー・フェニックスといったスター俳優の特別な一瞬もまた、そこには封じこめられている。
鮮烈に時代を彩ったこれらの作品について、あらためてヴァン・サント監督に話を聞いた。とりわけ、オープンリーゲイの映画作家として初期からクィアテーマの作品を発表してきた彼の言葉には、気さくさと軽やかさのなかにもたしかな重みと力強さが感じられたのだった。
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キューブリックの影響を受けた撮影の方法論
―監督は多様なスタイルの映画を制作されてきました。私も今回久しぶりに『ドラッグストア・カウボーイ』と『マイ・プライベート・アイダホ』を観たのですが、前者はよりウェルメイドな作風で、後者はより実験的な作風だと感じました。ご自身としては、当時どのような作品を目指していたのでしょうか。
ガス・ヴァン・サント:『ドラッグストア・カウボーイ』は、私にとってはじめての大規模な作品でした。ですから、あれほど大きな撮影クルーに対応する準備が十分できていなかったんです。プロデューサーたちの意向もあって、スタッフ数は少し過剰でした。本来なら40人程度でも撮れたと思うのですが、実際には80人ほどいました。そのため、ごく単純な作業にも多くの時間がかかったんです。
さらに、最初に撮影監督としてお願いしていた人物が直前で降板してしまい、代わりにロバート・ヨーマン(※)に依頼することになりました。彼とはそれまで会ったこともありませんでした。当時の彼は、たしかウィリアム・フリードキンの『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)の仕事をしていたと思います。彼は本当に直前に参加したんですよ。
※ロバート・イェーマンと表記される場合も。Robert D. Yeoman

1952年7月24日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。高校時代をオレゴン州ポートランドで過ごす。1985年に『マラノーチェ』で映画監督デビュー。1989年にマット・ディロン主演で初の35mm長編作品『ドラッグストア・カウボーイ』を発表。次作の『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)では主演のリヴァー・フェニックスがヴェネツィア国際映画祭主演男優賞などを受賞し、アメリカのインディペンデント界を代表する監督となる。以降の主な作品に、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールと監督賞した『エレファント』(2003年)、ゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた『ミルク』(2008年)などがある。2026年7月には最新作『デッドマンズ・ワイヤー』が日本で公開されている。
photo: © David Katzinger
ガス・ヴァン・サント:私は『マラノーチェ』の頃から、とても速いペースで撮影することに慣れていましたし、ストーリーボードに沿って撮ることにも慣れていました。撮影が速ければ、ストーリーボードに描いたさまざまなショットをすべて撮ることができますからね。
『ドラッグストア・カウボーイ』でもストーリーボードは用意していたのですが、実際には1日に予定していたショット数の10分の1ほどしか撮れませんでした。撮影日数自体は多かったのですが、それでも当初の計画どおりには進められなかったんです。そこで私は考え方を変えなければなりませんでした。あらかじめ作ったストーリーボードに頼るのではなく、その場でどう撮るか、どう演出するかを考える必要があったんです。
それに『ドラッグストア・カウボーイ』にはつねに4人の主要人物が登場します。彼らが長い会話を交わす場面では、それぞれの人物を適切に見せるためのショットが必要でした。登場人物が多かったので、それをカバーするのは本当に大変でした。

ガス・ヴァン・サント:それで、私は別のやり方を学びました。たしかキューブリックがそうしていたと読んだのですが、まずシーンをリハーサルし、その様子を見てからカメラアングルを決める方法です。これはストーリーボード中心のやり方とはまったく違います。その方法を試してみて、とても楽しかったですね。実際、いまでも基本的にはそのやり方で撮影しています。
ただ、当時は不安もありました。プロデューサーたちは「撮影が遅れているのではないか」、「彼は現場をうまくコントロールできていないのではないか」と考え始めていましたからね。だから、ある意味では現場で学びながら進めていた感じでした。
『マイ・プライベート・アイダホ』では、引き続きリハーサルをしてから撮影するという方法を取っていました。技術的には、実はそれほど大きく違わないと思います。同じスタッフもたくさん参加していましたしね。
撮影監督は違いました。今度はエリック・アラン・エドワーズとジョン・キャンベルというふたりの撮影監督と仕事をしました。そのため見た目の印象は違いますが、撮影方法自体はかなり似ていると思います。編集者も同じでしたしね。ですから、私は両作品の間にそれほど大きな違いを感じていません。

ガス・ヴァン・サント:ただ、物語の性質はかなり異なります。『ドラッグストア・カウボーイ』は1950年代の犯罪映画のような犯罪ドラマとして書かれています。一方で『マイ・プライベート・アイダホ』は、物語そのものが非常に空想的です。サミュエル・ベケットのような作家からも影響を受けています。
また、『マイ・プライベート・アイダホ』は私自身が書いたオリジナルの物語ですが、『ドラッグストア・カウボーイ』は他人の小説を原作として映画化した作品でした。
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初期作の舞台となったポートランド、1980年代のフロンティア的な空気
―その2作は初長編作の『マラノーチェ』と合わせて「ポートランド3部作」として知られています。近年オレゴン州のポートランドはヒップな街と見られるようにもなっていますが、当時はどんな場所だったのでしょうか。
ガス・ヴァン・サント:私は1980年代のはじめにポートランドへ戻ってきたのですが、1990年代末から2001年頃までは、ポートランドはほとんど外部から影響を受けていなかったと思います。かなり独立した場所でしたね。
当時は多くの都市がそうだったと思うんです。インターネット以前の時代でしたからね。インターネットによるコミュニケーションが普及すると、たとえばロサンゼルスに住んでいてもポートランドのラジオを聴けるようになる。都市や国を越えたコミュニケーションが容易になって、どこも少しずつ均質化していったと思います。
でも1980年代のポートランドは、他の都市からかなり離れた、孤立した場所でした。もちろんシアトルには近いですし、カナダにも近いのですが、とてもボヘミアンな雰囲気がありました。なぜそうだったのか正確にはわかりませんが、当時のポートランドにはまだフロンティア的な気質が残っていたんです。街独自の文化や感覚も保っていました。当時は人口もずっと少なくて、30万人くらいしかいませんでしたしね。
それから、人々の気質にはどこか日本を思わせるところもありました。太平洋との結びつきが強かったからかもしれません。太平洋を横断する海上交易が盛んで、日本との交流もありました。19世紀には、おそらく韓国や中国とのつながりもあったと思います。だからなのか、どこか似ているところがあるんです。ポートランドの近郊にあるフッド山は、富士山によく似ていますしね。

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「当時の私は、クィアの要素をとても前向きなものとして受け止めていました」
―あなたは初期からクィアをテーマにした作品を発表してきました。とくに『マラノーチェ』や『マイ・プライベート・アイダホ』は現在では先駆的なクィア映画として再評価されていますし、私自身ひとりのゲイとして10代のときに観て以来、パーソナルな意味で大切な作品です。そのように感情的なつながりを持っているクィアの観客も多いと思います。監督ご自身は、初期の作品のクィア的な側面についてはどのように捉えていますか。
ガス・ヴァン・サント:当時の私は、クィアの要素をとても前向きなものとして受け止めていました。ゲイのコミュニティやゲイの映画作家たち、そして若いゲイの人たちを代表するような存在として見られることに対して、誇らしい気持ちを持っていたんです。
ただ『マイ・プライベート・アイダホ』について言うと、登場人物たちのセックスワーカーとしての側面は少し複雑でした。脚本を書いた段階では、彼らは必ずしもゲイとして描かれていたわけではなかったんです。クィアではあったかもしれませんが、男性に性的に惹かれているとは限らない。彼らはお金のために男性とセックスをしているのであって、それが彼らの性的アイデンティティを規定しているわけではない、という考え方でした。ある意味では、「ゲイではないけれど、ゲイ的な状況のなかにいる人物」として書いていたんですね。
ところが、リヴァー・フェニックスが出演を決めたとき、彼はその考え方をあまり理解できませんでした。彼にとっては、「男性とセックスをしているなら、それはゲイなのではないか」という感覚だったんです。

ガス・ヴァン・サント:役作りの過程で彼が親しくなった人たちが、その考えに影響を与えたのだと思います。そのひとりが、彼が『マイ・プライベート・アイダホ』の直前に出演した作品(『恋のドッグファイト』、1991年)で撮影監督を務めていたボビー・ブコウスキーでした。
彼はまた、マット・エバートというゲイアクティヴィストとも親しくなりました。リヴァーはマットを『マイ・プライベート・アイダホ』の現場にも連れて来たいと考え、実際に参加してもらったんです。そうした経験のなかで、リヴァーは自分の演じるキャラクターをより明確にゲイの人物として描きたいと思うようになりました。またマットも、リヴァー・フェニックスほどのスターがゲイのキャラクターを演じることには大きな意味があると考えていました。私は「それは素晴らしいことだと思う」と答えました。私自身、その選択には政治的な意味があると感じていましたから。
そうして生まれたのが、砂漠の焚き火の場面でマイク(リヴァー・フェニックス)がスコット(キアヌ・リーヴス)に愛を告白するシーンです。あの場面は、リヴァーが本当に力を注いでいたシーンでした。彼はあれを作品の中心となる場面にしたいと考えていたんです。その結果、マイクというキャラクターは、もともとの曖昧な性的立場の人物から、明確にゲイの人物へと変化していきました。
―そのような過程で、ゲイとしてのアイデンティティが映画の重要な要素になっていったのですね。
ガス・ヴァン・サント:ええ。
