ハリウッドが描く東京には、なぜいつも高潔な日本人がいたのだろう。
『ザ・ヤクザ』(1974年)、『ブラック・レイン』(1989年)の高倉健も、『ラスト サムライ』(2003年)から『SHOGUN 将軍』(2024年)までの真田広之も、義理と人情、誇りと義を背負ってきた。
では、アベル・フェラーラ監督のカルト作『バッド・ルーテナント』を、三池崇史が日米合作で東京に移植したら、何が起きるのか。毒々しい色彩とカラスの向こうに、三池崇史がハリウッドに突き返したものを読み解く。
※本記事には映画の結末やストーリーの核心に触れる記述が含まれます。未鑑賞の方はご注意ください。
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ハリウッドが描いてきた高潔な日本人
ドラッグ、バイオレンス、そして贖罪。ニューヨークのどん底を這いずる悪徳刑事を、鬼才アベル・フェラーラ監督が強烈な筆致で描いた『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992年)。そこから30年以上の時を経て、三池崇史監督が東京の闇へと移植してみせたのが、映画『バッド・ルーテナント:トウキョウ』である。
日本の裏社会を描いたハリウッド作品は少なくない。古くはハンフリー・ボガート主演の『東京ジョー』(1949年)に始まり、『ザ・ヤクザ』(1974年)、『ブラック・レイン』(1989年)。2000年代以降も、『キル・ビル Vol.1』(2003年)、『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)、ドラマ『TOKYO VICE』(2022年)、『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(2023年)と、途切れることなく作られ続けている。
そこで繰り返し描かれてきた型のひとつが、失われた美徳の世界だ。『ザ・ヤクザ』でも、『ブラック・レイン』でも、高倉健が背負っていたのは義理と人情。くたびれたアメリカ人が、日本人の高潔さに触れて何かを取り戻す。その役回りを、いまのハリウッドで受け継いでいるのが真田広之だろう。『ラスト サムライ』(2003年)から『ジョン・ウィック:コンセクエンス』、そしてエミー賞を席巻した『SHOGUN 将軍』(2024年)まで、彼は誇りと義を貫く日本人を演じ続けてきた。ハリウッドが描く日本には、いつもそういった物語が貼りついている。
ところが日米合作の『バッド・ルーテナント:トウキョウ』は、そんなお約束にはまったく寄りかからない。
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義理と人情の代わりに借金を背負う刑事と、スシを貪る次期大統領の娘
主人公は、薬物中毒で借金まみれの日本人刑事・矢吹恭二(小栗旬)。殺された相棒の影を引きずりながら、東京で相次ぐ猟奇殺人事件を追っている男だ。そこへ、行方をくらませたアメリカ次期大統領の娘ミーガン(リヴ・モーガン)を捜しに、FBI捜査官グエン(リリー・ジェームズ)が来日する。
本来なら、矢吹がグエンとタッグを組んで、事件解決に邁進していくはず。だが2人はお互いの事件にかかりきりでロクに手も組まず、グエンが矢吹の誠実さに触れて救われることもない。

そのグエンが追うミーガンも、また強烈だ。スシが大好物な彼女は、囚われのお嬢様どころか凶暴な捕食者。ベッドでは男を縛り上げ、ボコボコに殴り殺してしまう。スシも緊縛も、海外でウケる人気輸出品。都合よく消費されてきた「エキゾチックジャパン」な表象を、彼女は食欲と性欲のおもむくままに貪っていく。日本という国を、骨までしゃぶり尽くすように。
かつてハリウッドが憧れた高潔な日本人なんて、もうどこにもいない。義理と人情の代わりに、矢吹が背負わされているのは莫大な借金だ。しかも金を借りている相手は日本のヤクザではなく、劉大華(國村隼)という華僑。奇しくも、オリジナル版が公開された1992年は、日本で暴力団対策法が施行された年でもある。それから30年あまり、刺青と盃の世界はすっかり痩せ細ってしまった。
アメリカの権力の娘に振り回され、中国系の男に借金を握られ、ずぶずぶと沈んでいく日本人刑事。その姿は、身も蓋もないほどに、いまのこの国の自画像に見えてくる。
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人工着色料まみれの「JAPAN」。オリエンタリズムの鏡を突き返す三池崇史
何より目を奪われるのが、毒々しいまでの色彩だ。致死量ギリギリまで煮詰めたような画面の連続。三池監督は「JAPAN」を、人工着色料まみれの都市に変貌させてしまった。このギラついた過剰さこそが本作の真骨頂である。

そもそも彼は、西洋が見たい「JAPAN」を、過激に、クレイジーに、血まみれにビジュアライズしてしまった作家。そんな三池監督が日米合作でアメリカのIP(※)を使い、アメリカ人が日本を覗き込むジャンルを撮る。そして、外から貼られた「JAPAN」と「MIIKE」のイメージを過剰に増幅してみせるのである。
※IP:Intellectual Property(知的財産)の略
その仕掛けを一身に背負っているのが、ミーガンだ。スシをむさぼる彼女は、「JAPAN」を味わい尽くす西洋人。そんな彼女に三池監督は、男を縛り上げてなぶり殺すといういかにも「MIIKE」的な暴力を担わせた。
日本を眺めて楽しんでいたはずのアメリカ人に、西洋が日本に求めてきた暴力そのものを演じさせる。三池監督は、オリエンタリズムの鏡をギラギラに磨き上げ、西洋に突き返すのだ。
タイトルにある「ルーテナント(lieutenant)」という言葉は、フランス語の「lieu(場所)」と「tenant(保持する者)」に由来する。もともとの意味は、「誰かの代わりにその場を預かる者」だ。自分の意思ではなく、他人の都合と借金に突き動かされる矢吹は、まさに誰かの代理人でしかない。そして三池監督自身もまた、アベル・フェラーラ監督のカルト作をハリウッドから預かった代理人だ。ただし、預かったものを好き勝手に作り替えてしまう、タチの悪い代理人。『バッド・ルーテナント』というタイトルは、この映画の構造をズバリ言い当てている。
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カラスの鳥葬、「神」のいない東京
Adoが歌う主題歌のタイトルが“Raven Sky”(=カラスの空)なのも、決して偶然ではないだろう。本作の画面には、いつもどこかにカラスがいる。人間たちの愚行を、黒い鳥たちがじっと見下ろしているのだ。
サイコキラーの元ヤクザ石塚(間宮祥太朗)は、殺した相手を肉団子にしてカラスに食わせる。魂の抜けた肉体を、ほかの生き物への最後の施しとして差し出す弔いだ。悪趣味の極みだが、劇中ではこれをはっきり鳥葬と呼ぶ。

実は、ここにはもうひとつのひねりが仕込まれている。オリジナル版『バッド・ルーテナント』は、ゴリゴリのカトリック映画だった。物語の軸となるのは、教会で修道女が暴行される事件。犯人をあっさりと赦してしまう彼女の敬虔さに、汚職とドラッグにまみれた刑事(ハーヴェイ・カイテル)は打ちのめされ、教会の床に這いつくばって泣き叫ぶ。罪と赦しをめぐるこの映画の中心には、いつだって信仰があったのだ。
カトリックのミサで信者が拝領する聖体(パン)は、キリストの体そのものとされる。神の体を受け取ることで、人は神との交わりにあずかる。だが、石塚の肉団子はその儀式をまるごと裏返したかのようだ。神の体を人間が受け取る儀式とは逆に、人間の肉をカラスが食べる。
オリジナル版の刑事は神に泣きつき、最後まで神にすがりついた。その姿は狂気じみていたが、少なくとも彼には祈る相手がいたのだ。ところが三池版には、すがりつくべき神など見当たらない。

矢吹もまた、死んだ相棒への悔恨という罪を背負っている。だが、彼の贖罪を見届け、赦しを与えてくれる存在は、どこにもいないのだ。この街で起きているのは、鳥葬という弔いの形式だけ。祈りはすっかり抜け落ちている。死体は、ただカラスの腹に収まっていくのみーー
神も美徳も、誰ひとり救ってはくれない街。最後に死者を引き受けるのは、黒い翼のカラスだけだ。アメリカ映画が夢見てきた「JAPAN」を、三池崇史は露悪的に食い散らかしてみせる。それは、異国を消費するまなざしを過剰な暴力と色彩で映し返す、ハリウッドへのとびきり意地悪なアンサーなのである。

『バッド・ルーテナント:トウキョウ』

全国公開中
■出演:
小栗旬、リリー・ジェームズ、間宮祥太朗、リヴ・モーガン、野村周平、西野七瀬、向里祐香、岩田剛典、渡邊圭祐、中野英雄、村上淳、國村隼、舘ひろし(特別出演)
■監督:三池崇史
■脚本:天願大介
■主題歌:Ado“Raven Sky”(UNIVERSAL MUSIC / Capitol Records)
■製作:ジェレミー・トーマス サム・プレスマン 北島直明 坂美佐子
■撮影時期:2025年5月上旬~6月中旬
■制作プロダクション: OLM
■映倫区分:PG-12
■配給:
【日本】ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
【北米】NEON
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