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高橋一生が『犯罪者』を通して語る、イメージを規定されることと、人間の複雑さ

2026.7.30

#MOVIE

7月31日に最終話を含む2話が配信となる、PrimeOriginalドラマシリーズ『犯罪者』。太田愛の同名小説を松永大司監督が映像化した本作は、高橋一生、斎藤工、水上恒司がトリプル主演し、白昼の駅前広場で起きた無差別殺傷事件を契機に、3人が翻弄されながらも警察、政治、巨大企業が絡み合う社会の暗部へと足を踏み入れていくクライムミステリーだ。

高橋が演じる相馬は、強い正義感を持ちながら、組織の論理に適応できず、周囲から孤立していく人物だ。その生きづらさに、高橋は自身との共通点を見いだす。

周囲から与えられるイメージと、本人の実像がずれていくことへの思い。そして、「バズる」ことや即座の理解が求められる時代に、表現者として何を目指すのか。高橋の言葉から浮かび上がるのは、他者の評価を拒絶するのではなく、それさえも受け入れながら、自らの「志」を手放さずに表現を続ける姿だった。

「みなさんがつけてくださったイメージのおかげで、今の僕がある」

——今作の相馬は強い正義感を持ちながら、警察組織の中には居場所がない、ただの熱血刑事というステレオタイプには収まらないキャラクターです。高橋さんはこういった一言では形容できない、掴みどころのない人物を多く演じている印象があります。

高橋:僕自身がそうなんだと思うんです。といいますか、「みなさんそうじゃないですか」と思っているんです。人間は、そんなにわかりやすくない。わかった気になっていると、全然違う側面が見えてきたりするので。そもそも人間は複雑怪奇な生き物だから、人間を演じるにあたっては、どうしてもそういう芝居になってしまうんでしょうね。

白昼の駅前広場で、フルフェイスのヘルメットを被った男が4人を刺殺する無差別通り魔事件が発生。辛うじて一命を取り留め、病院に搬送された被害者の繁藤修司(水上恒司)は、突然現れた見ず知らずの男から「あと10日生き延びれば助かる」という奇妙な宣告を受ける。一方、事件を追う刑事・相馬亮介(高橋一生)は、警察の保護を頑なに拒む修司に強い違和感を抱いた。そして彼の身を守るため、元テレビマンの鑓水七雄(斎藤工)に協力を要請。姿なき見えない敵へと挑み始める。犯人はすでに薬物中毒で死亡が確認されたにもかかわらず、なぜ修司は再び命を狙われなければならないのか。10日間のカウントダウンの中で、事件の驚愕の真相と、その裏に潜む深い社会の闇が暴かれていく──。
PrimeVideoにて世界独占配信中
配信URL:https://www.amazon.co.jp/%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85/dp/B0H415TRNL

——人間を演じようと思ったら、自然とそうなるという。

高橋:特に今回の作品では、そういう節がたくさんあったような気がします。土臭いというか、皮膚の匂いがするような人間を演じたかったというのはあったかもしれません。

——高橋さんご自身についても「プライベートが謎」「本心がわからない」というようなことが言われがちですよね。インタビューを受けている動画のコメント欄には「地球にものすごく適応出来てる宇宙人みたい」と書かれているものもありました。

高橋:すごくうれしいですよ。みなさんが屈折したイメージのようなものをつけてくださったおかげで、いまの僕もありますし。自分がやらせていただいた役や、ついてしまったイメージは、僕が到底コントロールできるものではないです。いろいろな名前が知られている方々がそれに苦しんだという話も聞きますけれど、僕は喜ぶべきことだと思っています。

高橋一生(たかはし いっせい)
1980年12月9日生まれ、東京都出身。ドラマ、映画、舞台と幅広く活躍。舞台『天保十二年のシェイクスピア』で第45回菊田一夫演劇賞、NODA・MAP『フェイクスピア』で第29回読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞。近年の主な出演作に、ドラマ「6秒間の軌跡~花火師・望月星太郎の憂鬱」「ブラック・ジャック」「1972渚の螢火」「零日攻撃ZERODAYATTACK」「リボーン~最後のヒーロー~」、映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』『岸辺露伴は動かない 懺悔室』『脛擦りの森』『ラプソディ・ラプソディ』などがある。

高橋:「私の高橋一生はこれじゃなきゃ駄目なんだ」というものを抱えながら見てくださっている姿は、とても面白く感じます。世界を見たり見なかったりすることを、高橋一生を通してやってくださっているんだなと。

——みんなが別々の角度から高橋さんを見て、高橋一生像を形づくっていく。その行為全体を面白く感じているんですね。

高橋:人間は、不定形なものを枠に入れ込まないと不安になる生き物なんだと思います。どうしてもその人のパーソナルな部分を知りたくなってしまう。にじみ出てくるパ—ソナルなものを見つけないことには、人間をわかったと思えないんだろうなと、対外的な評価を見ていると思います。

裏を返せば、それほど僕自身を見ていないということでもある。僕としては、そのほうが仕事はやりやすいので、このままでいいかなと思っています。

いつの間にか外部から定義される「自分」

——強い正義感から居場所を失い、うまく生きられない相馬を、高橋さんはどのように捉えましたか?

高橋:相馬はたぶん、学生時代や警察を目指した時期、「これはこういう決まりだから」というなかで、とても真面目にやってきた人だと思うんです。でも、それが結果的にうまくいかなかったり、同僚や同期に否定されたときに、「じゃあ、なぜこのシステムがあるんだろう」と考えてしまったんじゃないか。

構造自体が間違っていると気づいてしまったとき、「信じてきたものは一体何だったんだろう」となると思います。そのうえで、これまで経験してきたことや考えてきたことを見つめ直すと、自分が信じる「正しさ」すら、その頃には人とずれてしまっている。

高橋:僕を含めた日本人の多くは、空気を読んでしまったり流されてしまったりすると思うんです。それは利点でもあるけれど、危うさでもある。彼は、そういうものを持ちたくなかったのかもしれないなと。そうやっているうちに、「自分はこうだ」というものが強固になりすぎて、「嘘はつけない、黙っていられない」ということが増え、積み重なっていった人間なんだと思います。

生きづらさも、嫌われていることも十分自覚している。ただ、自分が気持ち悪い、居心地が悪いと感じるものに対して、潔癖なまでに流されることがない。それを周囲や組織の人間たちは、「行き過ぎた正義」と捉えているのかもしれません。いずれにしても、社会との間に齟齬が起きている人間です。ですが、とても共感できる人間だったんです。突き詰めていったら、僕もそうなるだろうと思うので。

妥協ができなくなってしまえば、周りも「相馬はそういうやつだよね」とレッテルを貼るようになる。相馬のパーソナリティがどんどん明確になっていき、「俺だったら、こんなことはやらないよな」などと、自分でも自覚しやすくなっていく。このパラドックスが、彼の中で延々と起きているんじゃないかと思いました。

——周囲から定義されることで、相馬自身のあり方がさらに強化されていくんですね。

高橋:本来なら、自分の内部から外部に向かうものなのに、いつの間にか、外部からの反応によって自分が定義されてしまう。その窮屈さに、彼は柔軟に対応できていないんでしょうね。だから、相馬という人間がああいう立ち位置になってしまう、という感覚はあります。非常にシンパシーを感じました。

「お客様は神様です」の真意

——制作発表でも「相馬は僕の一側面。志は持ちながらも、社会に飲み込まれる諦観と違和感を持っている」とおっしゃっていました。以前のインタビューでも、俳優にとって大事なものは「志」だと話されています。高橋さんにとって、「志」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

高橋:志は、大げさに言えば「流儀」だと思うんです。何かに直面したとき、自分がどういう反応をするかは、自分でもわからない。自分にとって「これは嫌だ」「これはすごく格好悪いことだ」というもの。それを取捨選択して、経験則をもとにシェイプしていくと、流儀ができあがっていくような気がしています。人によってはそれを矜持と呼ぶかもしれません。そういったものの連なりが、志になっていくのかなと思います。

志がないのなら、僕にとっては、ちょっと生きている意味がない。何を感じたかということの芯がなくなってしまうので。感じ方は自由だとしても、どの芯で受け止めるのかを自分でわかっていないといけないのかなと思っています。

——確固とした自分を確立するために、志や流儀によって核を形づくっておく必要がある、ということでしょうか。

高橋:もう少し複雑な話かもしれません。「お客様は神様です」という言葉がありますよね。「お客様は神様くらい偉いんだ」という意味に捉えている人も多いですが、僕にとっては読んで字のごとくで。神様に向かって演技や表現をしているんです。これは特定の宗教の神様ということではなく、もっと抽象的なものなんですけれど。僕の舞台や映画を観てくれているお客様の「向こう側」にまで突き抜けなければならないと思って芝居をしています。

向こう側から自分を見ているものに対して、全力で投げている。そうでないと、その間にいる、僕の演技を観ている人たちに届かないと思っているんです。

——形而上的なものというか、純粋な「美しさ」のようなものを意識しながら演技しているということでしょうか。そうしないと、観客にも届かないというか。

高橋:そうです。目の前の人に向かってやるのではなく、その向こうに対してやっていることを、間にいる人たちが目撃してくれれば、僕はそれでいい。

だから年々、外側からの評価は気にならなくなってきている感じがあります。年齢も重ねて、いまさらどうこうというところもないですし。「どうぞみなさん、いろいろなふうに見てください」と思っているのは、どんどん向こう側にフォーカスが合っているからなんじゃないかなと思います。

——パブリックイメージが気にならないのは、そもそもそこに向けて表現していないからなんですね。「売れるから」「人気が出るから」といったことが、指標になっていないと。

高橋:「バズるから」というようなものを、どんどん避けている気はします。あえてそうしているわけではなく、相馬と同じで、突き詰めていったらそうなってしまった。2020年に40歳になってから、ますますそうなっている気がします。

自分の意図は伝わらなくていい

——一方、社会的には2020年以降、「バズる」ことの影響力が非常に大きくなりました。映像作品や芝居をインスタントに解説するようなコンテンツもあふれていますが、高橋さんが目指している表現とは相性が悪いのではないでしょうか。

高橋:そうでしょうね、きっと。ただ、それをうまく切り貼りしてショート動画にしてくれたりすると、「すごくわかりやすくて面白いね」と素直に思えるんです。以前ドラマをやったときも、制作の方が「こんなショート動画ができました」と見せてくれたんです。「これがすごく見られています」と喜んでいるその人の顔を見ると、「よかったじゃん」と。

高橋:僕は「たぶん伝わらないだろうな」と思いながら、自分の中で時間をかけて醸成したものから表現を出しているんですけれど、それを非常に端的に説明してくれているじゃないですか。超大作の長い映画が、テレビ放送用に再編集されて、見やすくなることもありますし、いまのみなさんにいちばん届きやすい手法なのだとしたら、こちらの意図なんてまったく伝わらなくていい、と思っています。わかりやすくなって、バズってくれればいい。

でも、じゃあ切り抜き動画で使う15秒だけあればいいかというと、それも違うと思うんです。仮に完成したものが15秒しか使われなかったとしても、そのために1時間演技したことは遠回りではなく、むしろものすごく大事なことなんじゃないかと思います。

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