音楽にまつわる今のトピックについて、ライター / 批評家に語り合ってもらう座談会「What’s NiEW MUSIC」。今回は柴崎祐二、TUDA、風間一慶の3人に、2026年8〜10月頃にリリースされた音楽作品の中からオススメを紹介してもらった。
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アフリカ音楽の新録と「ワールドミュージック」の捉え直し
—みなさんがここ数か月で注目したリリースタイトルについて教えていただければと思います。まずは風間さんいかがですか?
風間:はい。最近はビッグリリースも多かったんですけど、なんだかそれよりも個人的なものばかり聴いていた感じがあります。まずはウガンダのNyege Nyege Tapesという、アフリカのダンスミュージック——有名なところだとシンゲリとかですね——を世界に紹介した現行ですごく頑張っているレーベルがあるんですけど、ここが最近ダンスミュージック以外のものをけっこう取り上げていて。その中でKUCWINY THEATRE INDUSTRYという楽団の『LUO SOUND OF THE ALUR』というアルバムが先日出て、これを一番よく聴いていたと思います。
LUO SOUND OF THE ALUR / KUCWINY THEATRE INDUSTRY
https://nyegenyegetapes.bandcamp.com/album/luo-sound-of-the-alur

風間:ALUR(アラーまたはアルル)というのは、コンゴ、南スーダンとかウガンダとかのナイル川周辺の民族で、踊りと太鼓、声、あと角笛でアンサンブルを作っていく儀礼がありまして、それをフィールドレコーディングのような形で録音したアルバムです。いわゆるミニマルミュージックの源流のように聴こえる音楽で、本当にずっと打楽器の音と女性の声と笛、みたいな感じなんですけど、ただひたすら気持ちいい。個人的に、没頭する時間を作るのにいいんです。Nyege Nyege Tapesというレーベルが、ダンスミュージック以外でこういうことをやっているんだぞ、というのも紹介したくて、挙げました。
TUDA:それで思い出したのが、Sublime Frequenciesっていう、Sun City Girlsのアラン・ビショップがやっている辺境音楽のレーベルなんですけど。タイのホップスとか、いろんなものを出していて、そこが最近出していた『Himba Hymn: Ghosts Of Namibia’s Skeleton Coast』という、ナミビアのヒンバ族の声と儀礼歌を初めて公式に記録したものです。これをTORUさんがクラブでジャングルと一緒にかけていたのが、すごい衝撃的に聴こえて。エフェクトをかけているのかなって思うぐらい、口琴を大人数でやっているような、自分の環境を取り巻くみたいな音像で、散歩しながら聴いていてすごかったのを思い出しました。
柴崎:Sublime Frequenciesは再発レーベルですよね。これも再発なんですか?
風間:再発ではなくて、KUCWINYと一緒で、わりと最近、その場で現地録音をしたものだと思います。
柴崎:Sublime Frequenciesは、僕の世代だとけっこう危うい話が少なくないレーベルだったんですよ。ライセンスどうなってんの? みたいな話とか、あと、わりと匿名性を付与して第三世界の音楽を消費していくみたいなところがあって、その問題性を指摘する論文が出たぐらいだったんです。
TUDA:そうなんですね。
柴崎:その後にけっこうノリが変わってきてるよって話は、ワールドミュージック好きから聞いていて、いまの話を聞いて商品概要を見てみると、だいぶ本当にいい意味で、アップデートというか、全然違う方法だなと思って面白いです。
風間:更生したというか(笑)。たしかに「ワールドミュージック」という大きい括りで捉えるところから、各々が、あるものは外圧によって脱却したり、Nyege Nyege Tapesは自分たちでたとえばエジプトまで行って器楽奏者を見つけてくるとか、そういうことを現地で当事者性を持ってやっているというのもあって、いまのレーベルはどこも、そこの問題(※編注:非西洋の見知らぬ音楽を楽しむことが抱え得る差別的・搾取的な側面)を超えてやろうという気概というか、ちゃんと試みを実践しているところが多いですよね。
柴崎:それで言うと、DJ /rupture(=ジェイス・クレイトン)が書いた『Uproot』という本が、imdkmさんの翻訳で、『音楽はどこに根づくのか?』という邦題でこの前出たんですが、まさにそのパラダイムチェンジの話が、エッセイ形式で非常に説得性がある形で書かれているので、いま出たような話が気になる方は読んでみるといいんじゃないかと思います。
TUDA:そういう内容なんですね! なんとなく気になってました。

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ジャジーで素朴な歌モノの復権、前衛×ボサノバ、要注目の宅録2人組ニューカマー
風間:もうひとつ紹介すると、ブルックリンのジョン・ローズボロ(John Roseboro)というシンガーの、『Va Va Voom』という新譜が良かったです。
風間:昨年末に出たGeeseのキャメロン・ウィンターのソロアルバム(『Heavy Metal』)もそうでしたけど、僕はいま『Chet Baker Sings』(※)みたいなものが流行っていると感じていて、このアルバムにもそういう感じがありました。チェット・ベイカーはもちろんトランペッターで、歌声も素晴らしいんですけど、それ以上にそうした雰囲気を優先する、ちょっと前まではジャズファンから忌避されていたような、ハードバップで上手さを競うようなものとは違う、素朴に立ち上がってくるようなものが、再評価・再解釈されているというか。
※『Chet Baker Sings』:ジャズトランペット奏者 / シンガーのチェット・ベイカーが1956年に発表したアルバム。
柴崎:僕の世代でも、『Chet Baker Sings』辺りから(オーセンティックなジャズに)入る人はすごく多かったっていう印象があって。20年ぐらい前に『ミュージックマガジン』が「JAZZY not JAZZ」という特集を組んで、ジャズの成分が流入した歌モノを紹介したりしていたんですけど、そこからいろいろなアップデートを経て一周した感じもしたり。そう言われると、ラグジュアリーな雰囲気を醸し出すものとしての、ジャズボーカル的な伝統の再解釈みたいなものは、たしかに面白い領域ですよね。
風間:現行のジャズにいろんな語られ方がある中で、(ロバート・グラスパーの)『Black Radio』を起点にする人たちがいたり、カマシ・ワシントンとかスピリチュアルジャズを起点にする人たちもいて。それとは別に『Chet Baker Sings』的なもの、カフェでジャズ然としてかかっているようなボーカルジャズみたいなものを、ジャズミュージシャン以外が再解釈するようになった流れがきていると感じています。去年『Chet Baker Re:imagined』というオムニバス盤も出て、そこにはPuma BlueやBenny Singsが参加していますし。
—柴崎さんの注目したリリースタイトルもお伺いできたらと思うのですが、いかがでしょうか?
柴崎:僕はまず大前提として、このお二人に並び立つほど新譜をあんまり聴いていない自信があります(笑)。というのは、ライフステージ的なところもあって、最近はもうずっと歴史研究ばっかりやってるんですけど、新譜を聴くとなると、さっき風間くんも言ったみたいに、すごく個人的な好みに寄ることになりまして、批評的重要性とか一切関係ないところで聴いていることが多いです。
という中で、ソフィー・バーチ(Sofie Birch)というデンマークの出身の人で、基本的にはサウンドアーティストというか、エレクトロアコースティックみたいなことをやっているアンビエント系の人なんですけど、これはなんて読むんだろう……『Bivabippabualukka』というアルバムが出て。偶然Bandcampのおすすめか何かで知ったんですけど、よく仕事中のBGMとして聴いています。
柴崎:実験音楽とかサウンドアート的なアプローチの人が、ボサノバに接近して作っているアルバムで、聴いたことない感じの音楽になってます。以前から、アンビエントポップとかアンビエントフォークの流れで、アンビエント的な音像がいろんなジャンルに流出している流れがあると思うんです。去年アルバムを出していたルクレシア・ダルト(Lucrecia Dalt)みたいに、ラテンとアンビエントポップ的なものを融合させていくみたいな動きがあったと思うんですけど。ソフィー・バーチはブラジルの人ではないけれど、ある意味で世界共通の音楽遺産みたいになっているボサノバが、電子的室内楽というか、いろんなサウンドの構築の材料としてこのように再文脈化されているのは、非常に面白いなと思いました。
あと、邦楽で言うと、何か月か前に音楽批評講座みたいなのをやらせてもらったことがありまして。その受講生の方から「実は音楽をやってるんです、今度こういうのをリリースするんですよ」と言われて聴いてみたらめちゃくちゃ良かったんです。マダム南方というユニット名で、宅録をやっている二人組の、『正午前』というEPです。
柴崎:アンビエントポップ的なものと、トッド・ラングレン的なウェルメイドなソングライティングが一緒になっていて、ソフィスティポップの最新型みたいな感じなのかな? ニューカマー感がある、これからの人たちだと思うんですけれど、本当にクオリティーがめっちゃ高くて。僕は長いことインディーレーベルのA&Rをやっていたので、新人さんから音源いただいて聴く機会は多かったんですけど、言い方が非常に難しいですが、刺さることはかなり稀なわけです。けどこれに関しては、自分がそういう立場だったらぜひアルバム制作を後押ししたいなって思うぐらいでした。インディーポップとかシンガーソングライターが好きな人も聴ける歌モノでもあるので、ぜひ聴いてもらいたいなと思い紹介しました。
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ディープリスニング思想の拡がりとリスニングイベント
風間:お話を伺って、maya ongakuのニューアルバム(『Nothing Space Music』)と通じるところがあるのかなと思いました。
柴崎:ああ、そうね。(『Nothing Space Music』は)もはや冒険的って言っていいんじゃないかというぐらいに抑制的だよね。それで言うと、いま、ポップスに於いてもディープリスニング的な発想がかなり浸透してきている感じがすると思っていて。ポーリン・オリヴェロス(Pauline Oliveros)という人が提唱した、特定の音と周囲の様々な音を意識的に聴取して、知覚とは何か、自分を取り巻く環境との関係性とは何かという意識を開いていくみたいなやり方——わりと前衛音楽、ドローンとかそういったところで語られていた方法論なんですけど——それがポップスに侵食してきている感じがあって、そこは本当に面白いなと思っています。
風間:アンビエント読書会が話題になりましたけど、リスニングイベントのように、どのように聴くのかや、聴取環境に気を遣う動きも増えてきていると感じます。
柴崎:そうそう。プチ炎上してましたけどね(笑)。しかもそれがわりと普通に、コモンセンスになってきてる感じがある。僕は昔から、平日の昼に郊外の駅のチェーン居酒屋とかを予約しておいて、ひとりでうっすらアンビエントをかけながら個室で読書をするというのを楽しんでいた人間なんで、待ってました! という感じです(笑)。
風間:それは先駆けてますね、だいぶ。
9月26日(土)に開催された、クラブでの読書パーティー「JUCY BOOK RAVE」の模様。当日の模様を紹介した参加者によるXの投稿が、大きく賛否を集めた
TUDA:(リスニングイベントの会場として知られる)亀有のSKAC(=SKWAT KAMEARI ART CENTRE)のような場所だけじゃなくて、私がよく行くイベントスペースでも、読書会みたいに銘打ったイベントはけっこう人が来るという話を聞きました。
柴崎:椅子を置いたりするクラブも増えましたよね。昔のいわゆるチルアウトとも違って、何かしてていいです、各々パソコンとかやっていいです、みたいな感じの。
TUDA:ディープリスニングというか、生活音みたいな感じで近くでいい選曲がされていてその中で、一緒に居てみよう、みたいな感じはあるのかなと思います。
柴崎:うん。気軽なんだけど、昔のいわゆるラウンジミュージック的な受容のされ方とはやっぱり違う感じがして、ある種の意識の高さみたいなものは感じるんですよね。僕はアンビエント思想に全幅の信頼を置いている人間なので(笑)、そういうのは非常に好ましい展開だと思います。
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vqの60人のスマートフォンをつないだパフォーマンスと新譜
TUDA:私がもともと紹介しようと思っていたのは、vqというアーティストで、10月5日(月)にWWWのアニバーサリーで無料のイベントをやったんですよ。「free vq」っていうタイトルで。vqはひとりで活動している電子音楽の人なんですけど、スマートフォン何台も使って音楽を演奏するパフォーマンスをやるんです。この日はWWWのステージ上にでっかいミキサーが置いてあって、そこの周りに60人のvqの友達がいて、その人たち全員のスマートフォンがミキサーにつながっているという状態になっていて。
柴崎:Bluetoothでやるんですか?
TUDA:いや、有線でつないで。だから見た目もすごいんですよ。
柴崎:それはすごい。かなりサイバネティックス的な見た目になりますね。
TUDA:そうそう、それで、それぞれが自分がそのときvqに流してほしい音をずっと流し続けて。通話したりとか、ゲームをやったり、普通に曲を流している人もいたんですけど、そこからvqがチャンネルを上げて下げてみたいなことをずっとやり続けるっていう、コラージュの極限みたいなことをやっていて。見た感じだとモニタリングもしていなそうだったんで、どうなってたのか本当にわからないんですけど。
柴崎:確かにその人数をモニタリングするのは無理だよね。
TUDA:モニターしたとて……っていう感じもありますし。それで、たまに自分が好きな曲が流れるとみんな動画を撮ろうとしたりするんですけど、撮ろうと思った時には終わってる、それぐらいのスピード感で回っていく感じで、ショート動画的な感覚や分脈もあるのかなと思いつつ、見ていくとvqの「現場感」みたいなものが出てくるんです。いろいろなイベントに顔を出す「フロアの天使」的な人なので、そういう人が集めた60人が流す音を上げ下げしていくと、人と出会うことで知る音楽とか、その場の人と楽しんだみたいな記憶みたいなものがいろいろどんどん結びついていく。そういうものを再現したかったのかなと感じるステージでした。
コラージュがつづいていくと、不思議なもので、街にいるみたいな感覚にもなっていくんですよね。自分が街でたたずんでいるみたいな状態にどんどん陥っていって、それも現代アート的な音楽の聴き方の提案なのかなとも思い、同時にこれがこの人のリアルなんだなと感じれる場面で、すごく良かったんです。ライブを観た後に、周りの音が気になってきてしまって……帰りの自転車とかやばかったですよ。「わ〜、全部音楽に聴こえる〜」みたいな状態になって楽しかったです。
TUDA:そのvqが10月にアルバムを出しました(『10/15』)。フェリシア・アトキンソン(Félicia Atkinson)とかを思い出すような、フランスのコンクレート音楽というか、時計の音だったり、人が話してる音だったりを散りばめて回収していく。コラージュ的でありつつ、もう少し音の配置が考え込まれているようなものから、モア・イーズ(More Eaze)やOrange Milk Recordsとかに見られるような、パワーエレクトロニクスというか、もうちょっと音圧のあるものまで展開していくんです。
柴崎:それは面白そう!