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森山直太朗インタビュー 「素晴らしい世界」に直面した、父親と自分の死の淵を語る

2025.3.28

#MUSIC

親との関係は人格形成に深く関わっているが、至極個人的で他人と比べることが難しい。ゆえに作家が親との関係に向き合う創作は自己理解を深めるセラピー的な一面を持ち、それに触れる私たちも呼応するように、親との関係や自分自身に向き合うことになる。

森山直太朗の約2年にわたるライブツアーの国内最終公演となった両国国技館の様子、そしてツアー中に亡くなった父親との関係が描かれた映画『素晴らしい世界は何処に』もまさにそういった作品だった。両親が幼少期に離婚して以来、父親について語ること自体を避けてきた森山が、あるきっかけを経て彼への愛惜の情に気がつき、自分と父親を重ね、自己理解を深めたこの数年。映画公開に際して、父親の晩年が森山自身にどう影響していたのか聞くと、アルバム『素晴らしい世界』に収録された“papa”という楽曲が生まれてから「父に書かされた」という新曲“新世界”が生まれるまで、世界の見え方についての森山の変化が浮き彫りとなっていった。

父親と向き合ったことで森山の音楽が変わったなんて、そんな単純なことではない。ただ森山が父親に向き合いたいと思った事実があり、向き合った先で、今彼が生きているということは確かだ。

弾き語りは怖かった。ツアーを経て変化した、歌う姿勢

―アルバム『素晴らしい世界』に収録されていた“papa”という楽曲が個人的にものすごく衝撃的で。個人的に「親になるってどういうことなんだろう」と考えていたときに、森山さんがお父さんに向き合ったこの曲が真っ直ぐに響いたんです。お父さんとの関係も描かれたこの映画を観た時も“papa”を聴いたときと近い感覚になったんですが、改めて、このツアーは森山さんにとってどんな公演でしたか?

森山:今回のツアーは国内だけで107本回ったんですけど、性格的にずっと同じことをやるのは無理で。だから弾き語り、ブルーグラス、フルバンドの3段階に分けたんですね。僕はギター1本で曲を作ることが多いので、弾き語りは自分の原点なんですけど、これまでの20年間は「ライブを弾き語りでやってみよう」とはあまり思わなくて。1人で舞台に乗って1人で歌い切るっていうことが、自分のアイデンティティをさらけ出す感じがして怖かったんです。

―これまでの公演はバンドなどの編成が多かったですよね。

森山:色んな選択肢がとれるから、そこで手を打つみたいな感じでした。でも今回、弾き語りで作った曲を、弾き語りで披露する形に戻れたのはすごく大きくて。セットリストの頭3曲、アカペラの“生きてることが辛いなら”、弾き語りの“青い瞳の恋人さん”、“ラクダのラッパ”については、距離感や間合いみたいなものが、10年くらい前から比べると全然違ってきていて。これまでは歌うときは「歌う」っていうスイッチがあったんだけど、今は歌う前と歌い始めてからの境界があまりない気がします。

―これまで20年間、弾き語りをやらなかった中で、そこに踏み切れたのはどうしてでしょうか。

森山:ツアーを周り始める数年前に、自分の活動を大きく見つめ直すような出来事があったんです。15年以上やってきて初めて、自分の人生とか活動の責任は、最後の最後は自分しか取れないということに気がついたんですね。それまでは、自分の活動なのに、どこか自分ごとじゃなくて。きっと傷つくことを恐れていたんだけど、それじゃ太刀打ちできないところまで来たし、このままやっていても楽しくないっていう気持ちになって、弾き語りのスタイルで勝負することにしました。駄目だったとしても、そこからまた考えればいいと思えたのは大きかったです。

森山直太朗(もりやま なおたろう)
1976年4月23日東京都生まれ、フォークシンガー。2002年10月ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビュー以来、独自の世界観を持つ楽曲と唯一無二の歌声が幅広い世代から支持を受け、定期的なリリースとライブ活動を展開し続けている。近年は俳優としても活動の幅を広げ、NHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』、NHK 連続テレビ小説『エール』などに出演し、その演技力が評価され、7月4日から公開の映画『夏の砂の上』への出演も決定している。

―実際にやってみて、いかがでしたか?

森山:どちらかというと良いことの方が多かったかな。悪い点で言うと、やっぱりギター下手っぴだし、1人で舞台に立つと、楽曲の表現でもチューニング中でも、間を埋めてしまうというかね。それについても、「たった今はそういう自分なんだな」とか思いながら、日々発見でした。徐々に慣れてきて、そうすると、弾き語りのラフスケッチみたいなものが、一番自由度が高いと感じるようになりました。

―サウンド的なことよりも、スタイルとして。

森山:安心感があります。人に合わせなくていいとか、例えば、間違えたらやり直せばいいという、そういった物理的な制約の面でもそうだし、感覚的にも制約が少ないっていうことかな。

―それから歌いやすくなった曲はありますか。

森山:“papa”とか“愛し君へ”はまさに、自分が真ん中にあるってことが大切な曲なので、やりやすかった。特にこの両国国技館の公演ではメンバーがチェロ、ピアノ、フィドル、ギター、バンジョーだけで、それもセンターステージだったから、阿吽の呼吸みたいな感じで。演奏する度に、毎回同じ曲なんだけど、違う曲みたいにお互いの駆け引きがありましたね。

墓場まで持っていくかもしれなかった、お父さんへの愛惜に向き合えた時間

―“papa”はお父さんのことを歌った楽曲で、この映画でも核となると思います。改めてどういった状況で生まれた楽曲なのか、教えていただけますか?

森山:“papa”に関しては、実は“ママ”っていうタイトルで、18、19歳ぐらいからモチーフはずっとあったんですよ。でも20年以上歌詞が付かなくて、だからいつかきっかけがあれば、誰かに提供しようと思ってたんです。だけどある一件があって、この曲を引っ張り出して“papa”っていうタイトルにしてみたら、するするするって曲ができたんですね。

―その一件は、どういうことだったんでしょうか。

森山:うちは両親が離婚していて、父とは小学校5年生ぐらいから何となく離れて暮らしていたんです。離婚の原因は色々あると思うけれど、母がすごく存在感の強い人で、ましてや母の実家に父親が婿入りした形だったから、父は所在がなかったのかな。でも子どもの自分としては、離婚は全然望んでることじゃなくて……そんな感じでしばらく時が過ぎていたんですけど、2020年に、とある人との会話の中で「お父さん好きでした?」って突然聞かれたんですよね。

―唐突に。

森山:そう。身内の好き嫌いって、普段はあんまり考えないじゃないですか。それで「いやまあ、いい人ではありますけどね」とかちょっとお茶を濁してたら、「好きでした?」って重ねて聞かれて。それで考えたんです。そしたら、自分の上書きされた記憶じゃなくて、すごく根本的にあった、小さい頃の記憶が出てきて。

その記憶の中で父親は、本当に愛嬌のある人で。野球が好きで一緒にキャッチボールをしてくれたりとか、ごく一般的な息子と父親との関係があって、毎日父親と遊ぶのが楽しみでしょうがなかったんです。だから「大好きでした」とその人に話して、自分の中にあった父親への気持ちを認められたんですね。それで、自分の肯定感の低さは、どこかで近しい人たちから、父親を否定されてるような気持ちで生きてきたところにあったんだなと腑に落ちて。その中でも、自分が筆頭になって父親を否定してきたと気づいたんです。でもその時に自分の気持ちに正直になれて、すごく救われた気持ちになって、それで“papa”の歌詞が浮かびました。

―お父さんの気持ちに向き合ったことが、森山さんの自己理解につながったんですね。それにしても、本当に不意打ちで。

森山:普通はね、例えば父親が亡くなったりとか、会えなくなって、こういう曲ができてくるじゃないですか。でも僕はこの曲ができた時、父が亡くなるとは全然思ってなくて。ただずっと蓋をしていた気持ちに1回素直になれたことが、創作のきっかけでした。

―ちなみに、それまでお父さんのことを題材にして曲作られたことはありましたか。

森山:ないんですよね。物理的にも、感覚的にも、できるだけ距離を置いていたので。“papa”が初めてでした。

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