エントランスを派手に彩る桜、ワンカップやちゃんこを求める長い行列。開演1時間前にしてマス席では酒盛りが始まっており、早くも赤ら顔の人もちらほら。他の音楽イベントやフェスティバルとは違う、心地よい浮かれ具合に胸が高鳴る。
J-WAVEが主催するアコースティックギター弾き語りの祭典『TOKYO GUITAR JAMBOREE』は、2013年から両国国技館で開催されている、3月初頭の風物詩とも言えるイベントだ。出演者の異なる2日間の公演のうち、3月2日(日)の「千穐楽公演」の模様を、印象に残った場面を抜粋してレポートする。
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相撲の本場所になぞらえた異色の音楽イベント
開演前にはJ-WAVEで『RADIO DONUTS』のナビゲーターを担当する渡辺祐の司会で、花柳糸之社中の踊り子8人が大滝詠一プロデュースの楽曲で踊る「ナイアガラ盆踊り」が行われた。”イエロー・サブマリン音頭”、”ナイアガラ音頭”、”Let’s ONDO Again”と披露されるごとに、会場の興が乗っていく。その様はまさに日本最大規模のお花見だ。
時刻は14時。360度ぐるりと客席が取り囲む土俵を模したステージに、MCのグローバーとこの日の大トリである森山直太朗が現れ、鏡開きが行われた。続いて出演する演者を告げる現役を引退した呼出が登場。拍子木が打たれ、相撲ならではの節回しで「東~冨岡 愛~」と呼び上げられた。すると、懸賞旗を掲げるスタッフに前後を挟まれ、やや戸惑いをうかがわせながらシンガーソングライターの冨岡愛が土俵入り。”MAYBE”からじっくりと歌い始めた。

お花見ムードの中、多少のざわつきが残る空気が一変したのは、2曲目。路上ライブをやっていたころから歌っていたという中島みゆき”ファイト!”のカバーだ。歌い出しの<私、中卒やからね>という一節が放たれた瞬間、フレッシュさの中に悲哀も感じられるその声に惹かれて、観客の視線が一気に冨岡へと注がれたのがわかった。そこからは四股を踏んでみたり、四方を向いて歌う余裕を見せながら”恋する惑星「アナタ」”、”グッバイバイ”を披露して、次の大橋ちっぽけにバトンを渡した。

ここまで読んでおわかりいただけたように、このイベントはただ「両国国技館を会場にして行われる音楽ライブ」ではない。飲食を伴い「ながら見」でも楽しめる鑑賞スタイル、適宜休憩が必須の6時間半にわたる公演時間、演者の入退場の仕方、そしてもちろんメインビジュアルに至るまで、「相撲の本場所になぞらえた音楽イベント」なのだ。普段のライブとはどうやったって違った体験になるところが素晴らしい。
また一人当たり20~30分ほどの限られた時間の中で、どの出演者も代表曲を惜しみなく披露してくれるのも嬉しいところ。小山田壮平は、視界にいっぱいの観客をひとしきり見渡して、AとDのコードを繰り返しストロークする。これだけでちらほら「うわぁ」と歓声があがる。”16”だ。その8のリズムは引き継がれ”革命”、そして”空は藍色”とandymori時代に発表した楽曲を次々と披露していった。一方でイベント開始からしばらく経ち、ひとしきり酒が進んだこの場所で一番フィットしていたのは、2024年に発表したアルバム『時をかけるメロディー』に収録された最新曲”アルティッチョの夜”に違いない。やけっぱちになりながらも自戒のこもった<吐いて吐いて ああ>という歌詞が、土俵を伝って国技館中に染み渡っていく。そして最後には再びandymoriの楽曲”投げKISSをあげるよ”を披露。会場の期待をそのまま歌にして放ったような土俵だった。

宮沢和史は”中央船”を豊穣な抑揚をもって歌うところからスタートし、続く”風になりたい”では客席から自然と手拍子が起きた。その後「『ギター』ジャンボリーと聞いていますが……」と前置きしておきながら、三線に持ち替えた瞬間から歓声が沸く。じっくり”島唄”を歌い始め、サビになるとそこかしこからシンガロングと「イーヤーサーサー」のお囃子が起こった。

パンクやスカに始まり、沖縄、ブラジルの音楽までを取り込んできたMIYAの歩み、そのハイライトのようなセットリストだ。思わず合唱したくなる親しみやすさを持った楽曲の数々に改めて凄みを感じた。ラストは戦争が続くウクライナへの想いが込められたという最新曲”Myr(モイル)”。シンプルなメロディラインと言葉に宿る世界に向けたまなざしに、彼の表現のコアを感じた土俵ステージだった。
