「人の役に立つために、自分には何ができるのか」――社会が逼迫する状況で、自分自身の仕事の意味や役割を考え込む人も少なくないだろう。
「大それた社会貢献はできませんが、微力ながらにできることを考えたい」と語るのは、歌手・俳優の田村芽実。小学生からキャリアをスタートし、14歳でハロー!プロジェクトのスマイレージ(現アンジュルム)としてデビュー、現在はミュージカルを中心に活躍する。舞台で主演も務めるなど目覚ましい活躍の中で、自身が主宰・脚本・演出・出演をするシアターユニット「小梅ちゃん」を立ち上げた。
そこには、自身が大切にしたい世界観を守るという思いと、エンタテイメントがどのように社会貢献できるのか、という田村の問いがある。芸能人の社会貢献の動きを「偽善」と捉えられてしまうこともある昨今、田村がどのような信念でシアターユニットを立ち上げたのか話を伺った。
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自分を守れる場所として作ったシアターユニット
─シアターユニット「小梅ちゃん」を立ち上げる際に「本当に大切にしたい表現や世界観があります。それを、いつの時代も見失わずにいたい」と仰っていました。田村さんが表現したいものとは、どんなものなのでしょうか?
田村:私はミュージカルで海外の人物を演じることが多いんですね。そうすると、自分のアイデンティティを消さなきゃいけない瞬間があり、それがやりがいでもあり苦しいことでもあります。
たとえば、恋をした男性に迫るとき、海外の方は積極的にアプローチすることも多いのですが、日本人はどちらかというと奥ゆかしい近づき方をする人が多いイメージです。私もどちらかというと後者のイプなので、役を演じるときは自我を出しすぎないようにかなり意識しています。でも、どこかで自分自身を使って演じたいという「本当の欲」みたいなものが出てきそうになり、自分の表現ができる場所を設けるべきだと思いました。

幼い頃から演劇に親しみながら育つ。小学校低学年より市民ミュージカルやジュニアミュージカルの舞台に立ち、ミュージカル女優を志す。12歳〜17歳までアイドルとして大人の世界の中で過ごす。キラキラした舞台裏で、こっそり、自分らしさとまだ子供でいたい自分と向き合う。18歳でミュージカル女優としてデビュー。その後、歌手としても活動を広げ、音楽と演劇の双方において表現の幅を深めていく中で、作品を「演じる側」だけでなく「生み出す側」への憧れを抱くようになる。コロナ禍をきっかけに、ミュージカルという表現の場の在り方に危機感を覚え、自粛期間中、幼少期から好きだった“書くこと”に向き合い始める。数々の作品への出演を重ねる中で、舞台は決して一人で成立するものではないことを実感し、表現へのこだわりは年々強くなっていく。自身が本当に大切にしたい世界観を守り、形にしていくため、田村芽実としての創作活動を本格化。そのひとつのかたちとして、演劇ユニット「小梅ちゃん」を立ち上げる。
─ご自身のアイデンティティを大事にしたまま演じたい、ということなんですね。田村さんの表現の核はどんなところにありますか?
田村:私が大事にしたい表現というのは、子どもらしさや素直さといったイノセントな側面。いくつになっても持ち続けたい童心こそ、自分の核となる部分だと思います。その個性を否定も肯定もされてきましたが、絶対忘れてはいけないと、歳を重ねるほど感じています。いろいろな作品に呼んでいただける喜びも感じながら、同時に自分が戻ってこられる場所もあったらいいなと思ってユニットを立ち上げました。「自分を守れる場所」というイメージですね。
─どうしたって、大人になることを求められてしまって、子どもらしさは意識的に守らなきゃいけないものですよね。
田村:とくに私の場合は子どもの頃から芸能界にいて、ずっと大人に囲まれてきたので、必然的に大人にならざるを得なかったことへの反動もあるかもしれません。私自身、子どもという存在が大好きなんですね。子役の方とご一緒することもあるのですが、みんな素直で、いい意味でまっすぐ。忘れてはいけないことを、たくさん教えてもらいます。

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劇団四季から文学座、シェイクスピアまで。舞台に夢中だった幼少期
─田村さんは、どのような子どもでしたか?
田村:聞き分けがなく、こだわりが強い子どもでした。誰からも好かれるようなタイプではなかったけれど、私の存在を面白がってくれる人もいましたね。
物心がついた頃から、家にあった劇団四季さんのファミリーミュージカルのDVDをくり返し見ていました。地方に住んでいたので、実際に舞台を観に行けたのは4歳のとき。そこから、姉が通っていたミュージカルスクールに通い始めました。

─ご両親も演劇がお好きだったのですか?
田村:母が楽しいことが大好きで、演劇に限らず人形劇を観に行ったり、科学館に行ったり、いろいろな体験をさせてくれました。小学校1年生のときに、全国公演で宝塚が地元に来てくれたときも、真っ先に連れて行ってくれました。演劇しか知らずに生きてきてしまって、習いごともミュージカルしかやったことがないんです。なので、演劇の道しか想像できなかったのかもしれません。
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30代を目前に、出産と仕事を天秤にかけること。選択の葛藤について
─ユニット名の「小梅ちゃん」はどのような由来なのでしょうか?
田村:赤裸々に話すと、小梅ちゃんという名前も自分のアイデンティティに関わっています。なるべく日本らしい名前を付けたくて、いつか子どもが生まれたらつけようと思っていた名前です。
4年前になりますかね。パニック障害を発症して、体調が不安定になってしまったんです。今は良くなりましたが、それから子どもを持つことを想像できなくなってしまって。自分の面倒を見ることで精いっぱいなのに、誰かの命を見守れる自信がない。これから先、考えが変わるかもしれませんが、自分のことも社会の変化も知れば知るほど、子どもを育てるという選択肢が薄れていって。自分の大切な存在を持つという心の強さは今の私には無いので、それならば自分の子どもを育てるような気持ちでこのユニットを守りたいと思って名づけたんです。

─田村さんにとって大きな「子ども」という存在について、向き合われたのですね。
田村:姉が子育てをしている姿を近くで見ていて、仕事をしながら子育てをするのは相当難しいことだなと思いました。女性だけが責任を負うことではないけれど、出産は女性しかできないので、仕事と子育てどちらかを選ぶ瞬間がやってくるものだなと思ったんです。とくに、私の場合はダブルタスクができないので、どちらかを選ばなくてはいけなくなってしまうんだろうな、と。もうすぐ30歳になるので、年齢的に1回目の選択を自分で選んだ結果が「小梅ちゃん」なんです。
─今回のプロジェクトは売り上げの一部を、未来を作る子どもたちへの寄付に充てたり、作品を子どもたちに届けることも考えられているんですよね。
田村:決して大それた社会貢献はできませんが、少しでも子どもたちが楽しく生きられるお手伝いをするために今の私にできることはなんだろうと考えていて。それで教育格差や児童虐待、難病と戦う子どもたちに演劇を届けることが私にできることだと思いました。

─「エンタテイメントができる社会貢献とは何か」ということを、考えるのは難しかったですか?
田村:本当に微力だな、と思いましたね。生きることに必死な子も多い中で、エンタテイメントは楽しいよ、演劇を観に来てねと言っても「それどころではない」という子がほとんどだと思うんです。コロナ禍に演劇が苦境に立たされたように、生活があってこそ観られるもの。たとえば、戦争が始まったら演劇はできなくなるでしょうし、ただの娯楽に過ぎないことは確かなんです。ただ、演劇をやってきた人間として、これしかできないということを受け止めて、微力ながらできることを考えたいと今は思っています。
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社会貢献が「偽善」と言われてしまう中で、持ち続けている信念
─田村さんははっきりと「いつか児童養護施設を作りたい」と仰っていますが、ぜひその辺りも詳しく伺えますか?
田村:もともと幼稚園の先生になりたかったくらい、子どもと関わるお仕事をしたかったので、自然と児童養護施設にも関心が向きました。ただ、いくら調べても情報があまり出てこないので、取っ掛かりがわからなくて。今回、作品を書くにあたって、児童養護施設出身者のお話にしたいと思っていました。なので、もっと詳しく知りたい気持ちもあり、元児童養護施設の職員で発信もなさっている、インフルエンサーのふなちゃん(保育士・社会福祉士)に連絡をとったんです。
田村:ふなちゃんに話を聞くと、想像と違うことがたくさんありました。ドラマの影響で、児童養護施設は殺伐としてお金が潤沢ではない印象があったのですが、年齢に応じてきちんとお小遣いをもらえるんです。ただ、余裕があるわけではない。話を聞けば聞くほど、もっと関わりたいという思いが強くなり、今は人生の目標の一つになっています。まだ何もできていないので大きなことは言えないですが、表に出ている立場として目標を声に出すことは大事かなと思っています。
─寄付や社会貢献といったことは、扱いが難しいですよね。程度の差もありますし、とくに芸能関係の方が発信すると「偽善」と言われることもあります。
田村:そうなんですよね……でも、ふなちゃんも言っていましたけど、話題に出さないと輪が広がっていかないんです。たとえ規模が小さくても、私の近くにいてくれるファンの方々が、私が児童養護施設について話すことで興味を持ってくれる。どうやって関わったらいいのかわからない人に、一歩踏み出すきっかけになれるのかもしれないと思うと、発信したほうがいいのかなって思います。まだ手探りですが、やれる範囲で関わっていけるように、現場で関わっている人たちのお話を聞きながら勉強中です。

─実際にお話を聞いてみて、印象的だったことはありますか?
田村:施設の方々が集まって話をする場にお邪魔したときに、一つひとつの細やかな配慮に胸がギュッとなりました。私が見学した施設では、たとえば、子どもを親御さんがお迎えに来る際には、他の子どもたちに配慮して、施設で生活している子どもたちと入口を分けて対応していました。
ただ、施設によって差もあるようなので、そうしたことに奮闘されている職員さんを前にして、私も少しでも動きたいと思いました。今はまだ、いちいち胸を痛めてしまうけれど、問題を前にしたときに「さて、自分は何ができるのだろう」と具体的に考えて行動できるようになったら、ちゃんと関われている、と思えるのかなと思います。
─田村さんのように社会貢献をしたいと思っていても、自分自身にできることは何か模索している人は、たくさんいると思います。
田村:私は影響力も大きくはないですし、はじめての試みを隠した方がいいのか悩みましたが、現場の方々と話していると私の活動に対して「ありがとう」と言ってくれるんです。知ってもらったり、話してもらったりすることがうれしい、と。
たしかに映画やドラマでは、苦しい場所として描かれることが多いんですけど、実際に見学に伺うと雰囲気が明るくて、社会のイメージとのズレが生じているんだなと思いました。そういうことも、私が話題に出すことで、施設が社会と接続しやすくなるかもしれない。そっと見守る優しさもあるけれど、交わったときに生まれる温かさを私は選択したいので、偽善かなと思う瞬間もありますが、できることはしていけたらと思います。
