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荒谷翔大編:揺らぎこそが安定。yonawo脱退後に見つけた自分の軸

2026.4.15

#MUSIC

変わっていくものと変わらないもの。時にはファンを驚かせるような変貌を見せ、時には本質に根差した一貫性を突き詰めて、アーティストは人生の歩みを止めない。4人組バンドyonawoの作詞作曲およびフロントマンとして順調にキャリアを積み上げていた2023年末、荒谷翔大はバンドを脱退してソロアーティストに転身した。待っていたのは頭がパンパンになるような日々。それでもつかみたかったものは何なのか。

アーティスト活動に訪れる転機、そしてそれを求める衝動と葛藤について、荒谷がこれまで考えてきたことを、音楽業界で長く活躍してきた産業カウンセラーの手島将彦との対話を通して語った。

「悩みたくてソロになった、みたいなところもある」(荒谷)

─荒谷翔大さんは、2023年12月に6年間にわたるyonawoでのバンド活動にピリオドを打ち、ソロになりました。そこから2年たちますが、クリエイティブの変化にまつわる大変さで悩んだことなどはありましたか?

荒谷:悩む……やっぱり、悩みたくてソロになった、みたいなところもあって。バンドだと4人いたので他の人に頼れる部分がいっぱいあったんですけど、そこを自分でも全部やりたいと思ったのがバンドを脱退した理由の一つです。自分がミュージシャンとして独り立ちしていないのに人に色々なことを任せるのは自分としても不安だったし、頼まれている方も多分気持ちよくないのかな、というか。

荒谷翔大(あらたに しょうた)
作詞・作曲・編曲までを自身で手掛ける、福岡県出身のシンガーソングライター。2023年12月、ボーカルとほぼ全曲のソングライティングを手がけていたバンド・yonawoを脱退。2024年4月、ソロ活動スタート、同年8月にメジャーデビュー。鮮やかに色づく言葉たちと、メロウで芯柔な歌声で、聴く人の心に寄り添う音楽を届ける。その他、幅広いアーティストへの楽曲・詞曲提供、歌唱参加なども行う。

荒谷:全部分かった上で「分かっているけど自分に託してくれているんだ」というコミュニケーションの方が健全だなってずっと思っていて。でも4人でいると楽だし、楽でうまくいっているならそれでいい、という自分との葛藤がすごくありました。ソロになって、音楽のアレンジやビジュアルなど、アウトプットするものを全部自分で考えないといけない状況になって……最初はもう何から手をつけていいか分からなかったですね。1年目はそれこそタスクが多すぎて、何がタスクなのかすら分からない、みたいな感じでした。頭をパンパンにして。でも、そのパンパンな時期がないといけないんだろうなとも思っていました。

あと、最初の1年は、自分の好きなものがなんなのか見極めていくことがすごく大変でした。今でもその作業は続いていますけど。今振り返ってみればいいことだったと思いますが、当時は「何してんだろう」と不安になったりもしましたね。

─それまで順調な音楽活動でしたよね?

荒谷:バンドを始めた当初は、音楽で飯が食えたらマジでやべえよね、くらいの夢だったんです。大学も出ていないし、音楽しかしたいことがないから、うまくいかなかったらその時考えようくらいのノリでした。だから最初は「楽しいことだけ1回やってみるか、その先で売れたらベストだね」という感じで。

そうしたら意外にスッといろんな人に聴いてもらえるようになったんですよ。自分なりの苦労はしましたけど、下積みがほぼゼロの状況で最大の目標が叶っちゃって……その後が大変って言ったら贅沢ですけど、「あれ、飯食えたやん。その先どうする?」というフェーズが悩みの時期でした。

手島:そういうケースはありますよね。売れたその先に、想像していない別の辛さがあったり。

荒谷:僕らはめちゃくちゃ売れるのが目標じゃなくて、飯が食えたらいいというくらいだったので、その先レーベルがついて、メジャーで数字という結果を求められること、しかもその数字が飯を食うというレベルではなくてもっと大きかったところにギャップがありました。1人だったらまだ調整が利くと思うんですけど、メンバー4人の意見を一つにまとめる作業がめちゃくちゃ難しかった。

バンドは誰かが「独裁」した方がいい時もある

手島:足並みを揃えるのは大変ですよね。若いバンドだと、誰か1人のアイデアを1度ちゃんと具現化してみることが大事だったりします。3人とか4人のメンバーがいて練習してそれぞれ上手くなってくると、みんなが「75点ぐらいの演奏」ができるようになるんですよ。そうすると、取り立てて何かが悪いわけじゃないけど、作曲した人にはちょっと違和感が残っているんです。だから、1度最初にアイデアを出した人のものを、「こういうアレンジでこういうふうに弾いてほしい」とか完全に形にしてみて、それで、うまくいかなかったら素直に謝る(笑)。そういう「何が好きで何が嫌いか」を整理する作業が、結局は必要になってくるんですよね。

キャリアを重ねた人たちなら阿吽の呼吸でできることもありますけど、若い人ほど、1度誰かがあえて「独裁」してみたほうがいい時もあります。

手島将彦(てしま まさひこ)
産業カウンセラー、音楽専門学校講師、保育士。ミュージシャンとして活動後、マネジメント・スタッフを経て、専門学校ミューズ音楽院で講師と新人開発を担当。「文化・芸能業界のこころのサポートセンター Mebuki」所属カウンセラー。著書に『なぜアーティストは壊れやすいのか?——音楽業界から学ぶカウンセリング入門』『アーティスト・クリエイターの心の相談室——創作活動の不安とつきあう』などがある。

荒谷:「独裁」……僕がそれをするべきだったんだろうなと、今でも思います。でもそれができない自分に無力感を感じていました。言語化もできないし。

手島:そこに至るまでには頭がパンパンになる時期も必要だったんでしょうね。音楽に限らず生きていく上で人間は誰かと何かをやっていく必要があり、ソロだろうがバンドだろうが完全に単独での活動は難しいですから。なので、自分が何が好きで何が好きではないか、それはなぜなのか、というようなことを詳しく分析して言語化しておくことが周囲に伝えるためにも必要ですね。

荒谷:自己分析をマジで何もせずにバンドをやっていたので、みんなの「好き」がふんわり集まって「いい感じだね」となっていたんです。そこをどうにかしたいけど歩みも止められない、という流れの中で立ち止まった瞬間が今(ソロ)という感じです。今は自分の好きなものを研究して言語化しようとしています。この作業、今までしてなかったなと思って。

バンドの時は、曲は全部自分が作っていましたけど、アレンジはみんなで作り上げていく感じでした。それがバンドとしてのあるべき姿だと勝手に思っていたんですよね。The Beatlesみたいにもう全員が書いてもいいよというモチベーションで始めたので、メンバーにも「(曲を)書いてよ、書いてよ」とずっと言っていました。そうじゃないと自分にとってやる意味がないと思っちゃっていたから。でも最後の方は、それを求めるのも自分のエゴだなと考えるようになりました。曲を作りたいという思いは言われて生まれるものじゃないし。自分は「みんなも曲書きたいでしょ?」って思っていたんですが、そうじゃない人もいる。そこに葛藤はありましたね。

─脱退という大きな決断についてはどうでしたか?

荒谷:自分は活動休止してソロとして1回やりたいという感じだったんですけど、メンバーはバンドを止めたくない、活動休止もその発表もしたくないと。今もしてないですし。そうなると僕が「脱退」という形がいいんじゃないかと話し合って決めました。みんなの発案を受け止めた、合意の上での決断でした。

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