変わっていくものと変わらないもの。時にはファンを驚かせるような変貌を見せ、時には本質に根差した一貫性を突き詰めて、アーティストは人生の歩みを止めない。4人組バンドyonawoの作詞作曲およびフロントマンとして順調にキャリアを積み上げていた2023年末、荒谷翔大はバンドを脱退してソロアーティストに転身した。待っていたのは頭がパンパンになるような日々。それでもつかみたかったものは何なのか。
アーティスト活動に訪れる転機、そしてそれを求める衝動と葛藤について、荒谷がこれまで考えてきたことを、音楽業界で長く活躍してきた産業カウンセラーの手島将彦との対話を通して語った。
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「悩みたくてソロになった、みたいなところもある」(荒谷)
─荒谷翔大さんは、2023年12月に6年間にわたるyonawoでのバンド活動にピリオドを打ち、ソロになりました。そこから2年たちますが、クリエイティブの変化にまつわる大変さで悩んだことなどはありましたか?
荒谷:悩む……やっぱり、悩みたくてソロになった、みたいなところもあって。バンドだと4人いたので他の人に頼れる部分がいっぱいあったんですけど、そこを自分でも全部やりたいと思ったのがバンドを脱退した理由の一つです。自分がミュージシャンとして独り立ちしていないのに人に色々なことを任せるのは自分としても不安だったし、頼まれている方も多分気持ちよくないのかな、というか。

作詞・作曲・編曲までを自身で手掛ける、福岡県出身のシンガーソングライター。2023年12月、ボーカルとほぼ全曲のソングライティングを手がけていたバンド・yonawoを脱退。2024年4月、ソロ活動スタート、同年8月にメジャーデビュー。鮮やかに色づく言葉たちと、メロウで芯柔な歌声で、聴く人の心に寄り添う音楽を届ける。その他、幅広いアーティストへの楽曲・詞曲提供、歌唱参加なども行う。
荒谷:全部分かった上で「分かっているけど自分に託してくれているんだ」というコミュニケーションの方が健全だなってずっと思っていて。でも4人でいると楽だし、楽でうまくいっているならそれでいい、という自分との葛藤がすごくありました。ソロになって、音楽のアレンジやビジュアルなど、アウトプットするものを全部自分で考えないといけない状況になって……最初はもう何から手をつけていいか分からなかったですね。1年目はそれこそタスクが多すぎて、何がタスクなのかすら分からない、みたいな感じでした。頭をパンパンにして。でも、そのパンパンな時期がないといけないんだろうなとも思っていました。
あと、最初の1年は、自分の好きなものがなんなのか見極めていくことがすごく大変でした。今でもその作業は続いていますけど。今振り返ってみればいいことだったと思いますが、当時は「何してんだろう」と不安になったりもしましたね。

─それまで順調な音楽活動でしたよね?
荒谷:バンドを始めた当初は、音楽で飯が食えたらマジでやべえよね、くらいの夢だったんです。大学も出ていないし、音楽しかしたいことがないから、うまくいかなかったらその時考えようくらいのノリでした。だから最初は「楽しいことだけ1回やってみるか、その先で売れたらベストだね」という感じで。
そうしたら意外にスッといろんな人に聴いてもらえるようになったんですよ。自分なりの苦労はしましたけど、下積みがほぼゼロの状況で最大の目標が叶っちゃって……その後が大変って言ったら贅沢ですけど、「あれ、飯食えたやん。その先どうする?」というフェーズが悩みの時期でした。
手島:そういうケースはありますよね。売れたその先に、想像していない別の辛さがあったり。

荒谷:僕らはめちゃくちゃ売れるのが目標じゃなくて、飯が食えたらいいというくらいだったので、その先レーベルがついて、メジャーで数字という結果を求められること、しかもその数字が飯を食うというレベルではなくてもっと大きかったところにギャップがありました。1人だったらまだ調整が利くと思うんですけど、メンバー4人の意見を一つにまとめる作業がめちゃくちゃ難しかった。