甫木元空と菊池剛からなるバンドBialystocks(ビアリストックス)の3rdアルバム『Songs for the Cryptids』のリリースに際した短期連載。Bialystocksの音楽に心を盗まれた3人に、本人に向けた手紙を綴ってもらった。
1人目は、シンガーソングライターの小林私。小林は2024年7月に自身の楽曲“スパゲティ”でBialystocksの菊池剛をアレンジャーに迎えるなど、共に作品を作る音楽仲間であり、大ファン。そんな小林が語る、Bialystocksに心を射止められた馴れ初め話をこっそりと覗いてみよう。
INDEX
「天に近い場所からの眼差し」で描かれた日本語詞との出会い
舗道のはしに押し込められた落葉も見慣れたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
誰それとの出会いを思い返すのは案外難しいものですが、我々の出会いは幸運にも調べれば出てきます。
2022年8月24日大阪。
互いの顔を見ることはまさしく出会いですが、こと音楽家との出会いは耳であったりするものです。行きしなの新幹線で1stアルバム『ビアリストックス』を聴いたのが出会いでした。
なかでも“I Don’t Have a Pen”。
ヤバい、全部が。
俺、日本語詞そのものがめちゃくちゃ好きで、現代文だけやたら得意な卑怯者の目をしたクラスメイトが皆さんの学校にもいたと思うんですけど、申し遅れました、その成れの果てです。
冒頭から凄い。
<今どこらへんを飛んでいるのか>
誰しもの歌詞を鑑賞するとき、当然1行目の1言目が一番分からない状態にあるわけで、そんな矢先にこの歌詞。作者と鑑賞者の間で明確な道標を示すのでなく、共に靄のなかに入る構造なのだ。
<雲の切れ間から見える看板は今にも飛びそうで>
じゃあ今俺達ってどこにいるの!? 看板が目に入る眼差しを考えるときに「雲」はまず出てこない。奇抜じゃないのに変、取り合わせとして完璧。
鳥みたいな視点なんだよな。飛行機からはためく名前までは分からない、地面からでは雲の切れ間には見えない。例えば山だとか、或いは神だとか、天に近い場所からの眼差しがここにあるわけです。
<いくら横にスライドさせても景色は変わらない>
ヤベー。ここまでは霊峰を思わせるような空気感から打って変わってデジタルが醸し出される。
車窓からの景色をトリミングして眺めてもこの感想にはならない気がしていて、大いなるものが地球を地球儀みたく回して遊び飽きたくらいのスケール感、もしくは超ミクロに風景を捉えたのか。少なくともヒトがヒトのなかで得られる視点とは異なるわけです。
そこからの<貴様は何事もなかったかのような夕暮れだけ残して>。
痺れる~。「貴様」が聴こえてきたときにドキッとする~。この突然吐き捨てるようなニュアンスが、俗っぽく例えるなら魔王の悪行に対する勇者、自然だとか、少なからず尋常でないものに相対している空気が作られています。