FRISKが新たなチャレンジを始める社会人や学生たちを応援するプロジェクト「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」とラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコラボレーションコーナー「FRISK DEAR ME」。
2日目に登場したのは、日本の音楽を再定義するエクスペリメンタル・ソウルバンドWONKのボーカリスト・長塚健斗さん。現在は飲食店をプロデュースするなど、好きな料理と音楽を両立する長塚さんに、高校生・受験期だった18歳の自分に向けた手紙をもとに、今だからこそ分かる好きなものへの向き合い方や、人との付き合い方などについて伺いました。
※NiEWでは、番組では放送されなかった内容も含めて記事化しています
INDEX
海外で刺激受けた一方、父親と大喧嘩した大学進学期
Celeina(MC):「18歳の自分へ。」ということで、思い浮かぶ当時の風景はありますか?
長塚:18歳って受験期なので、その前の17歳のときに初めて海外に行って。学校は中高一貫だったんですけど、そのときの企画で、ニュージーランドにホームステイで3週間行ったんですよ。初めて英語圏に行って、自分の英語がちゃんと通じるんだって自信になりました。初めて日本以外の土地で会話する機会がすごく刺激的で、その後にもバイトしてイギリスに行ったりして。
そこからの受験期、英語の成績は良くなったんですけど、大学には別に興味なくて。最終的に父親と大喧嘩したり色々あったんです。世界は広いというのを知ってから、次のステップに進む狭間というか、スタートダッシュする時が僕にとっての18歳だったんで、あの時から始まったんだなみたいな感覚があったんですよね。
タカノ(MC):お手紙の中にも「イギリス行ったりしたのもめっちゃ良い思い出になった」という一節があるんですけど、それはいつになりますか?
長塚:高2の夏ですね。
18歳の自分へ。
中高一貫校での6年の生活、まぁまぁな青春ができてよかったな。バイトして金貯めて一人でイギリス行ったりしたのもめっちゃ良い思い出になったよな。一人そんなんだったから結構浮いてたけど、なんだかんだ平和だったよな。まぁまぁいい感じの結果に受験は終わるから安心しとけ。
手紙の序文。長塚健斗(WONK)直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)
Celeina:行動力ありますね! イギリスに行ったときの思い出はありますか?
長塚:ホストファミリーのお父さんがThe Policeがめっちゃ好きで。色々と聴かせてくれて、マドンナを聴くんだとか、ブリティッシュジェントルマンとはなんぞやみたいなことを語られたりとか、いろいろ連れ回してくれたりとかして。すごい良い思い出ができたんですよ。
Celeina:音楽的なインプットも?
長塚:ありました。ブライトンに行ったんですけど、港町フェスとかやっているようなところで。ビーチ沿いにある半地下のクラブ / ライブハウスみたいなところがあって、爆音でヘヴィメタルのライブをやっててめちゃくちゃトガっていると思って。入口のところで190cmのボディビル選手みたいな男性カップルが熱くキスをしているのを見て「海外すごい!」ってなりました。
タカノ:長塚さんが音楽を始めたのは何歳頃なんですか?
長塚:3歳ぐらいからバイオリンは習っていたんですけど、遊びでずっとやってて。ちゃんとやり始めたのは中3から2年間ぐらいですかね。その時からバンドも流行り始めたので、クラシックではなくバンドにいっちゃったんですけど。
Celeina:その後、プロになろうと思ったのは?
長塚:21歳とかですね。その時はもう大学生で、平日5日間、学校終わったらすぐレストランに行って夜まで働いて、週末たまにライブするみたいなスケジュールだったんですけど。大学に入る前に父親と喧嘩した理由が、大学ではなく料理の専門学校に行きたかったからなんですよ。でも父親は、「大学に行きながら料理できるだろう」って意見で。
父親は高卒で経営者なんですけど、周りに高学歴な社長さんたちがいっぱいいる中で自分は……みたいな劣等感を抱えていた人でもあるんですよね。それもあって、「お前は大学に行くチャンスがあるんだから、行っておけ」「大学を出てから料理の専門学校に行っても遅くないだろう」みたいなことで、1週間、殴り合いかけの喧嘩をしました。全然、殴ってないですよ(笑)。めちゃくちゃ大喧嘩しましたね。
Celeina:でも結局大学に行かれて、今となって、大学のご経験はどう感じていますか?
長塚:ぶっちゃけあんまり学んだことはないです(笑)。でも、WONKのメンバーも大学にいたからこそ出会えたし、今音楽やっているのも大学に行ったからだなとは思っていますね。じゃなかったら、僕はずっと料理をやっていると思います。だから、可能性を潰さないでくれたという意味では感謝しています。