never young beachの安部勇磨が自身初の北米ツアーに挑戦した。ロサンゼルスのサンディエゴからスタートし、ニューヨークのブルックリンまで計11都市12公演をおよそ2週間という過密な日程で回った安部。国内では幾度となくツアーを開催、主要フェスのトリも多く務め盤石なキャリアを築いたバンドのフロントマンでさえ、楽屋は相部屋で演奏と移動の日々を繰り返したという。そこまでしても安部を挑戦へと駆り立てたのは、日本に留まる危機感とまだ知らぬ刺激への渇望だった。
never young beachは今年で10年目を迎える。『笑っていいとも!』の放送終了と消費税8%の導入があった2014年のデビュー以降、バンドは順調にステップアップを続けた一方、メンバーの脱退も経験。ウキウキウォッチングだったお昼休みは他人の揚げ足を取る時間へと代わり、他人への不寛容と効率主義が社会に蔓延した結果、消費税は上昇を続けGDPは世界4位に転落した。
何においても費用対効果が重視される時代では、大変な思いをしてまで短期間でアメリカを横断するツアーはリターンが読めず時代錯誤かもしれない。それでも、自身でレーベル「Thaian Records」を運営する安部は、経営者としてのリスクも覚悟の上で今回の北米ツアーを行った。そこで再確認したのは、「バカなことをやる」必要性と「日本人」アーティストとしての可能性だった。
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コロナ禍の自身の救済が目的だった安部のソロアルバム『Fantasia』がもたらした海外との接点

1990年東京生まれ。never young beachのとして2014年に活動を開始。細野晴臣や俳優・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズなど、「東京」の文化からの影響を強く受ける。2021年に自身のレーベル「Thaian Records”」を設立、6月に自身初のソロアルバム作品『Fantasia』を発表。2023年5月にはThaian Records / Temporal Drift (U.S)よりEP『Surprisingly Alright』をリリース。2024年2月には11都市12公演に及ぶ自身初の北米ツアーを行った。
ー初めに、海外を最初に意識したタイミングを教えてください。いつ頃から海外でライブをすることを考えていたのでしょうか?
安部:今年で34歳になりますが、20代の後半ぐらいから「日本だけで音楽を続けたら新鮮味のない音楽になってしまうのではないか」という漠然とした危機感があったんです。
アジアの国のイベントにはnever young beach(以下、ネバヤン)として何度か出演経験があるものの、国内のミュージシャンが世界中で活躍しているのを見るとわくわくするし、僕もチャレンジしたくなって。「何かしないと」という焦燥感はずっとありました。どうしても他人と比べてしまう性格なので、日本人が海外でライブをしているのを見ると、自分もやってみたいと強い興味を持ちました。どうなるかなんてわからないけど、挑戦したかったんだと思います。
ー2021年にソロ名義の最初のアルバム『Fantasia』がリリースされました。ソロ名義でも音楽を始めたきっかけについて教えてください。
安部:『Fantasia』は、コロナ禍の自分を精神的に助けるために作ったアルバムで、演奏することを考えて書いた曲ではありませんでした。それでも、Instagramで海外のユーザーからフォローされたり、アルバムに対して好意的な反応をもらったことが、僕にとって海外のオーディエンスとの最初の接点で。そこから海外のオーディエンスも意識した音楽を作るようになりました。
ーソロ名義でのリリースを通して、20代後半から安部さんが抱いていた感情とアーティストとしての目指す場所がリンクしてきたんですね。
安部:「楽しくできればいい」っていう感覚には限界があると思っていて。「身内で楽しくやれればいい」という音楽はどうしても薄くなってしまう。その時の精神状況にもよるかもしれませんが、光る音楽はきっと執着やこだわりがあるもの。僕にとっては他者からの評価が一つのモチベーションなんです。認められるとやっぱり嬉しい。海外での評価はまだまだですが、僕は音楽でご飯を食べてるので、「やるぞ」っていう気持ちで「どうしたらもっと聴いてもらえるか」をもっと考えるようになりましたね。

ー2023年にはソロEP『Surprisingly Alright』が、吉村弘や裸のラリーズのリリースも行うアメリカのレーベルTemporal Driftからアナログ化され、全世界流通でリリースされていますが、なぜこのレーベルからのリリースが決まったのでしょうか。
安部:新型コロナウイルスで各国がロックダウンになる直前に訪れたアメリカで知人を通して、Temporal Driftの北沢洋祐さんを紹介してもらいました。一緒に食事をした時に、ソロアルバムを制作していることを伝えて、完成した音源を後日送ったら、北沢さんがリリースを提案してくれて。目的があった旅行ではなかったですが、直接アメリカに行って現地で友達を増やせば何かが動くと思ったので、結果的には意味があったと思います。
ーSpotifyのソロ名義のリスナー分布は、ロサンゼルス、台北、ブルックリン、シカゴが東京に並んで上位の都市になっています。全世界流通で海外のオーディエンスに音楽を届けるにあたって、アメリカのレーベルのスタッフと意識的に取り組んだことはありますか?
安部:北沢さんはレーベルの方なので、ライブや制作の面でお話ししたことは多くないですが、日本とアメリカではレーベルのあり方が全然違うことを学びました。日本は、比較的一人で何役もやることが多い一方、アメリカは役割の線引きがはっきりと決まっているので、関わる人も多い分、お金もちゃんと動く。制作に関しては、もう1人昔からお世話になっているアメリカ拠点の日本人スタッフの方に楽曲のアドバイスをもらっていて。バシバシとシンプルな言葉をくれるんです、「これよくわかんない」とか(笑)。でもその過程がすごく楽しくて、日々勉強って感じで。それに今回の北米ツアーで実際に演奏をして納得することが多くあったんです。

Photo by Asami Nobuoka
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バカなことをやった方が説明のつかないおもしろいことも起きやすいんです。(安部)
ーサブスクの普及で世界中にリスナーがいることは珍しくなくなった一方で、実際に海外ツアーを行ったアーティストはまだ少なく、リスクと捉えられても仕方ないのが現状だと思います。
安部:自分でレーベルをやっているので、今回のツアーにめちゃくちゃお金がかかるのもわかってて。いろんな人の協力のもとお金を出して今回のツアーが実現しましたが、「そんなにお金をかけてバカじゃないの」っていう人もいるかもしれない。でも、バカなことをやった方が説明のつかないおもしろいことも起きやすいんです。
ー音楽に限らず、生産性が一つの物差しになって効率主義が普及した社会では無駄なことに挑戦するハードルは高くなっているかもしれない、と。
安部:「お金がなくて動けない」って管を巻いたままでは人生が終わるので。30歳過ぎてから思うんですけど、プロサッカー選手だったら現役引退を考える年なわけで。ミュージシャンだからまだできるけど、身体はもう衰えが始まっているので「あとどれぐらいライブできるんだろう」という危機感がすごいある。
やっぱり今が一番若いし、思い立ったら吉日だと思うんです。じゃないと、いつまでたっても何も変わらない。ウジウジしていられない性格なので、悩んで1年過ごすなら明日やって後悔する方が絶対いいと思うんですよ(笑)。だって360日ぐらい浮くわけですから。自分に合ってるかもわかるし、結果も見える。迷ってる時間ってすごく無駄で、少しずつ行動に移していく方がいろんなことが好転するはずだから。

ーちゃんとした社会保障もある日本はある意味挑戦しやすい環境でもあるかも知れないですね。
安部:日本はひどい国だなと思うところもあれば、死にかけても国が助けてくれる制度もあるじゃないですか。アメリカみたいに死ぬわけじゃない。保険もあるし生活保護もあるから何とでもなる。「まぁ死なないだろう」くらいの軽い感覚で音楽と向き合えるようになったことは大きいかもしれません。
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アメリカの空気に触れて感じた「ロックンローラー」という偶像
ー演者としてアメリカの空気や音楽文化に触れて感じたことは他にもありますか?
安部:アメリカのアーティストに対して、ルーズでかっこいい「ロックンローラー」なイメージを持っているなら、鵜呑みにすべきではないです。初めての海外ツアーを終えたばかりですが、彼らは上手く見せてるだけで、実はものすごく考えてビジネスしてる。
これから海外に出ようとしているバンドマンは、何に執着して、どんなビジョンを持ってやっていくか常に考えた方がいい。一概には言えないですが、スタッフをはじめいろんな人と一緒に考えないと、どこかで頭打ちになってモチベーションがなくなってしまう。海外ツアーはめちゃくちゃお金がかかるので、現実的なところはバンドマンと言えど考えないといけない。日本には給料制という優しい仕組みもある代わりに、気づいたら自分で行動することが難しい状況になっているのも否定できない。自分で決めることが少ないから、選択することをバカにする人もいる。「そんなことやんなくていいじゃん」とか横槍も入ってくる。お金とか採算も当然大事だけど、自分がやりたいことにはバカになって一度採算とか度外視するくらいの行動力も必要なんです。バカと真面目を都合よく使った方がいい。

Photo by Asami Nobuoka
ー自身でレーベルをやられている経験がそういった気づきにも繋がったのではと思います。
安部:国内のシーンは売れるものが決まっているような気がします。どこの国にもそういうものはありますよね。そういったものの良さもあるけど、なんだか自分はそれになれる気がしなくて。どうやっても僕には作れない。だから絶対に地道に海外でライブをしていかないといけないと思うんです。リスナーが増えないとサブスクの良さも享受できないし、国内でCDだけを売って生活することはもはや不可能。簡単な話ではないけど、一つの選択肢として、海外でのライブ活動は当たり前な時代になってきてると思います。
ーバンド / ソロを問わず国内でのライブはファンが多く集まる「アットホーム」な空間ですが、今回のツアーはデビュー当時のように目の前のお客さんをイチから魅了する必要もあるライブだったのではと思います。今回のツアーで難しかったことや新鮮な経験だったことはありますか?
安部:初対面のお客さんを相手にライブをするのはすごく嬉しかったです。ネバヤンを知ってくれてるありがたさももちろんあるんですけど、それには無い緊張感もあるので。僕のことを全然知らない人が音楽だけで評価してくれる緊張感にすごい興奮しました。評価への緊張感から生まれる自信も僕にとっては重要なんですよね。

Photo by Asami Nobuoka
ー今回のツアーは、以前お話しされていた「欧米の模倣だけではグローバルシーンでは目立てない。日本のアーティストとしてのアイデンティティーを取り入れることが強みになる」という仮説を実証する場でもあったと思います。収穫や改善点はありましたか?
安部:曲のクオリティが高ければ歌う言語は関係ないことを再確認できました。アメリカのオーディエンスは単純にいいものを求めてる。今回で完全に通用したとは思ってないですが、自分次第だと感じました。
反省は演奏向きではない曲が多かったこと。『Fantasia』はミドルテンポ中心のアルバムなので、日本でやってもきっと間延びしてしまう。でもこのアルバムがあったからこその気づきであって、今後もっとライブを楽しむためにも、次は違うアルバムを作ってアメリカにもファンを増やせるような作品を作っていきたいです。
ー日本以外を「海外」と一括りにしてしまいがちですが、実際にはロサンゼルスもシカゴも全く異なる街だと思います。ツアー前後で、海外のオーディエンスに対する印象の変化はありましたか?
安部:どこのライブハウスも個性的で面白かったですが、特にロサンゼルスやニューヨークのお客さんの盛り上がりはすごかったです。都市の方が文化的な土壌があって音楽が近いのは日本と似てるのかなと思いました。西海岸の方はおおらかで、聴こえてくる音楽もインディっぽくて下北沢のBasement BarとかThreeみたいな雰囲気と言えるかもしれない。