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フランク・オーシャン『Blonde』がもたらした革命。発表から10年、その功績を振り返る

2026.8.20

#MUSIC

フランク・オーシャン『Blonde』が、その発表から10年を迎える。2000年、ディアンジェロ『Voodoo』がその後の音楽を一変させたように、『Blonde』もまた2016年以降のR&Bの歴史を塗り替え、ポップミュージックに新潮流を牽引した記念碑的な作品だと言えるだろう。『Blonde』の魅力と同作がもたらしたものを、今あらためて振り返る。

※本記事は『オルタナティヴR&Bディスクガイド』(2024年、DU BOOKS刊)に掲載されたコラム「R&Bと非R&Bの狭間で フランク・オーシャンの『Blonde』はいかにしてジャンル間の壁を曖昧にし、音楽的な革命を起こしたか」を加筆・改稿したものです。

寡作の天才、その足跡

2026年の今、フランク・オーシャンといえば、「日本でたびたび目撃される海外のアーティスト」という事実を思い浮かべる人は多いかもしれない(移住の噂があった一時期のYeのように)。実際はA24製作の映画を監督するために日本にいるらしいのだが、そもそも彼はとてつもない才能を持った音楽家、シンガーソングライターである。しかし彼は、『Blonde』というマスターピースをちょうど10年前に発表したきり、新しいアルバムを完成させていない。この10年の間に発表したのは10曲のシングルのみで、最後の音楽作品は2020年3月にリリースした7インチシングル“Dear April”“Cayendo”だ。6年間、彼は新曲を発表していない。

とはいえ、この10年、『Blonded Radio』というラジオ番組のホストを務めたり(2017~2022年)、「PrEP+」というクラブでのパーティーをオーガナイズしたり(2019年)、また、事故のために大惨事に終わった『コーチェラフェスティバル(Coachella Valley Music and Arts Festival)』でのヘッドライナー公演があったりと(2023年)、レコードやアパレルを散発的に売る以外に何もしていなかったというわけではない。それに、音楽家フランク・オーシャンの停滞は、たとえば、スライ・ストーンやマイケル・ジャクソンやローリン・ヒルやディアンジェロやマックスウェルやリアーナのそれを思い起こさせもする。天才ほど沈黙してしまうし、そのことが神秘性を高めてしまうことは否めない。

ただ、彼は音楽的なジーニアスであり、誇張でなく革命的な傑作を残したことは、強調しすぎてもしすぎることはない。『Blonde』のリリースから10周年を迎え、あのアルバムやその後の空白がもはや「歴史」になりつつある今、そのことを改めて思い出しておきたい。

フランク・オーシャンことクリストファー・エドウィン・ブローは1987年、カリフォルニア州ロングビーチに生まれている。父はミュージシャンだったが、両親は6歳のときに離婚し、母とともにニューオーリンズへ移住。フランクの音楽観は、ジャズやR&B、ポップスが好きだった母からの影響も大きい。また、大学在学中、彼はハリケーン・カトリーナの被害に遭っている。

大学を中退したのち、LAに移住して作曲家(ゴーストライター)として音楽産業の世界に入り込み、同地のヒップホップコレクティブであるOdd Future(オリジナルメンバーはタイラー・ザ・クリエイターなど)に加わった2009~2010年頃にその名が知られるようになる。そして、2011年に発表したフリーダウンロードのミックステープ『nostalgia, ULTRA』で一躍注目を集め、2012年、Def Jamからのデビューアルバム『channel ORANGE』をリリースした。『channel ORANGE』はリスナーからも批評家からも絶賛され、グラミー賞の最優秀アーバンコンテンポラリーアルバムを贈られるほどの評価を得た。しかし、作品をコンスタントにリリースし、ライブやツアーを定期的におこなう「普通のミュージシャン」としての道を彼が歩むことはなかった。

前作から4年も空けた2016年8月、フランクは、(謎めいたビジュアルアルバムで、限定的な方法でしかいまだにリリースされていない『Endless』とほぼ同時に)セカンドアルバム『Blonde』をリリースした。それも、かなり独特な方法で。

繰り返すが、『Blonde』は現代のマスターピースだ。このアルバムを超えるものは、この10年で作られたのだろうか? そんなことすら思うほどには。音楽の面でも、それ以外の面でも、『Blonde』は、現代のポップミュージック、そしてフランク自身に打ち込まれた楔やトラウマのような作品にも感じられる。それはなぜか? ということをここでは書いてみたい。

風変わりだった『Blonde』のリリース方法

まず、当時の記憶が薄れつつあるなかで書き記しておきたいのが、上に書いたとおり、『Blonde』が極めて特殊な方法でリリースされたことだ。8月20日、LA、ニューヨークシティ、シカゴ、ロンドンの4都市でポップアップショップが予告なしに開かれ、そこで『Boys Don’t Cry』という謎めいた雑誌が無料で配布された。雑誌には3種類の表紙があったが、銀色の袋で包装されており、中身は開けてみるまでわからない。そこに「付録」のように封入されていたCDが『Blonde』だったわけだが、その後に配信されたアルバムに対して、CDにはKOHHが参加した“Nikes”が収録されているという違いがあった(ちなみに、のちに通販された雑誌のCDにその曲は収録されていない)。

『Boys Don’t Cry』には、「白のフェラーリ」ほか多数の自動車関連写真やカニエ・ウェストの寄稿エッセイなどが収録されている。上掲写真は『Blonde』の終曲“Futura Free”のアウトロでも聴けるインタビューの書き起こしページ。

このように、3種類の表紙や収録曲の相違、ジャケットに記載された「Blond」と実際のタイトルである「Blonde」、「ドラッグとマリファナとアルコールはよしなさい」という友人の母親の説教が収められた“Be Yourself”とマリファナ賛歌の“Solo”を繋ぐ構成など、いくつかの状態に引き裂かれて分裂していること、それによって混乱していることこそが、『Blonde』という作品のコアだと私は思っている(前述の『コーチェラフェスティバル』における悲劇を、彼は「混沌としていた。混沌のなかにも美しさがあった」と表現した)。そして、『Blonde』およびフランクの分裂や混乱が何を引き起こしているのかといえば、音楽のジャンルやセクシュアリティといった様々なものの間にある分断線を曖昧にすることだと考えている。

ともあれ、『Blonde』の変わったリリース方法、ソーシャルメディアなどを巻き込んだ効果的なバイラルマーケティングでもあったその手法は、クールで鮮やかだった。かつてプリンスが『Planet Earth』と『20Ten』を新聞や雑誌の付録として配ったことを思わせなくもないが、特に欧米でダウンロード販売からストリーミング再生へと音楽のディストリビューションの形がドラスティックに変わっていった2010年代半ばまでは、大物のアーティストが新作をサプライズでリリースするということが、「サプライズ」が失われるくらいには流行していた。『Blonde』の方法は、その流れにありつつも、カウンター的でもあった。その後に同様の方法が頻繁に真似られたというわけではないものの、作品を聴き手に届ける過程に独自の体験を染み込ませたこと、アルバムがリリースされることに「驚き」を取り戻したことには、一定の意味があったと言える。

ジャンルの境界を溶解する越境性

さて、ここで音楽面の話をようやくしてみたいと思う。この10年の間に、『Blonde』ほどわかりやすい形で音楽的な影響を広範に及ぼした作品がほかにあったかというと、なかなか思い浮かばない。

R&Bの近現代史における革新的な作品ということでいえば、たくさんの作品が挙げられる。ビヨンセの『Lemonade』、ソランジュの『A Seat at the Table』、ジャネール・モネイの『The ArchAndroid』……。新しい音、新しい態度、新しい価値観、何より新しい歌を伴った傑作が多数生まれた。

しかし、ほかのアーティストへ音楽的な影響を及ぼした、音楽的なフォロワーを多数生んだという点で、『Blonde』に並ぶものはないのではないだろうか。直接的にも間接的にも影響を受けている作品は無数にあり、その作風を真似た曲はいくらでも挙げることができる。(The Beatles的な形式や様式を模範とする音楽の「ビートレスク」のように)「ブロンディッシュ」と言える作品は数多い。

2010年代のポップミュージックは、「ポストジャンル」ということがたびたび語られた時代だった。それは、2026年の今も深く、様々な位相で進行中である。当然、ジャンルの壁はまだまだあると感じるが、それでもはっきりとした区切りは溶解した部分が多いし、ジャンル間の交流や交通は自然なものになった。リスナーの耳は拡張され、自由さや解放を経験している。

フランクの音楽は、その筆頭だろう。実際、『Blonde』を「R&B」として聴いているリスナーがどれくらいいるのだろうか? 無用な比較をするなら、『SOS』であらゆるジャンルを取り込んでみせたSZAの音楽はR&B的だと感じられるし、フランクのほかの作品で言えば、『channel ORANGE』やThe Isley Brothersの“(At Your Best) You Are Love”をカバーした『Endless』にはR&B的な手触りがまだ強くあるが、『Blonde』はといえば……。

『Blonde』は、『Endless』の冒頭、“Device Control”でヴォルフガング・ティルマンスが歌っているように、様々な境界線を曖昧にしている。

Blurring, blurring the line between still and motion
静止画と動画の境界線が曖昧になる

With this Apple device
このAppleのデバイスで

You can blur the border between still and motion pictures
静止画と動画の境界線が曖昧にできる

(“Device Control”より)

https://www.youtube.com/watch?v=VZisgqJvKUs

そのわかりやすい例として、プロデューサーや参加ミュージシャンの人選が挙げられる。元Vampire Weekendのロスタム・バトマングリ、フィオナ・アップルなどとの仕事や映画音楽で知られるプロデューサーのジョン・ブライオン(ただし、彼はカニエ・ウェストやビヨンセとも協働している)、フレンチエレクトロ系ミュージシャンのセバスチャン、ほかにもヴィーガン(Vegyn)、アレックス・G、Radioheadのジョニー・グリーンウッド、元Dirty Projectorsのアンバー・コフマン、Slow Hollowsのオースティン・ファインスタインetc.。目立つのは、インディーロックやエレクトロニックミュージックの音楽家たちである。

極めつきは、サンプリングや引用されているのがThe Beatles、エリオット・スミス、Gang of Fourなどのロックミュージックだということ。そもそも「Boys Don’t Cry」という誌名からしてThe Cureの曲名(ないし1999年の映画のタイトル)の引用であり(『Blonde』のタイトルは当初、「Boys Don’t Cry」になる予定だった)、同誌で列挙された「好きな曲50曲」からもわかるとおり、それらはフランク自身の音楽的な嗜好があってこそだろう。

パーソネルを眺めるだけでもわかる越境性や折衷性は、音楽的にも当然、わかりやすく表れている。“Pretty Sweet”の中間部の、ドラムンベースにも近い高速ブレイクビート。“Skyline To”や“White Ferrari”や“Seigfried”や“Godspeed”の、アンビエントのような曖昧な音作り。IDMのように複雑で楽音から離れたノイズに近いサウンドの多用は、『Blonde』でも『Endless』でも聴くことができる。アルバムを締め括る“Futura Free”が象徴するように、1曲のなかでプロダクションが次々と変遷していき、フランクの歌の自由なフロウも相まって、伸び縮みしているかのような奇妙な時間の感覚を抱かせるところもある。

https://www.youtube.com/watch?v=VHGqsnsuA3c

R&Bの定義をゆさぶる「ドラムレス」な音作り

『Blonde』を聴いて印象に残るのは、ドラムでもシンセサイザーでもベースでもなく、ギターの音ではないかと思う。しかも、ファンク的なカッティングではなくて、コードをじゃらんと弾き流したり、アルペジオやシンプルなフレーズを繰り返したりする、こう言ってよければインディーロック的なギターの音(ちなみに、アレックス・Gやオースティンはギタリストとしてこのアルバムに参加している)。“Self Control”のような弾き語りに近い「声とギター」の親密でシンプルでミニマルな曲、あるいはパートが多く、それ以外の場面でもギターが重要な役割を果たしている曲が複数あるのだ。幻想的なリバーブや催眠的なトレモロが深くかけられているギターの音色自体も象徴的だろう。アルバムのなかでフランク自身もギターを弾いているが、スティーヴ・レイシーやミッギー(Mk.gee)の仕事と並んで、『Blonde』は現代のR&Bにおけるギターの新しいあり方を示したと言える(2016年以降、「『Blonde』っぽいギター」は様々なアーティストの曲から聞こえるようになった)。

最も重要なポイントが残っている。『Blonde』を語るときによく言われるのが、「ビートレス」だということだ。ただ、私としては、これは「ドラムレス」と言うべきではないかと思う。『Blonde』は、聞こえないクリックがちゃんと鳴っている感じが全体的にあるからだ。声とギターやベースやキーボードなどしかないシーンでも律動感やテンポ、ループ感がキープされており、それらが希薄になる瞬間はそれほど多くなく、「ビート」はたしかにあると感じられる。

しかし、ドラムレスであることがなぜ問題になるのかというと、それはやはり、「リズム&ブルース」というジャンル名の頭に「リズム」があることを考えればわかるだろう。リズムを司り、支配する力を持つドラムセットという楽器、あるいはドラムを模してプログラムされた電子的な打音、その力強さや心地よさこそがR&Bと呼ばれる音楽の核のひとつであることは疑いようがない。特に反復を前提とするポップミュージックにおいてドラムが果たす役割は説明するまでもなく大きく、ドラムビートがない曲はラジオフレンドリーでもない。

だが、『Blonde』においてドラムビートが完全に入っていない曲は、スキットを除けば2曲目の“Ivy”をはじめ7曲もある(“Skyline To”にはうっすらとキックが入っているが、アンビエントハウスのそれよりもずっと希薄だ)。もちろん「アンビエントR&B」と呼ばれるビート感が希薄な作品が以前からあったことは確かだが、それでも、である。R&B、ひいてはポップミュージックのアルバムでは、異例中の異例だと言っていい。

https://www.youtube.com/watch?v=AE005nZeF-A

ダニエル・シーザー、Joji、Quadeca、小袋成彬……後続に与えた大きな影響

『Blonde』のプロダクションの面での革命は、主流に対するオルタナティブであり、ダニエル・シーザーやカリード(Khalid)、Joji、BROCKHAMPTON、トビ・ルー、Mariah the Scientist、ドミニク・ファイクといった後継者たちに影響を及ぼしていることは、彼らの作品を聴けばわかる。また、ロックやベッドルームポップの音楽家にも、特に『Blonde』の密室的でダウナーな側面はインスピレーションを与えている。ロイ・ブレアのようなアーティストは直接的なフォロワーだと言えるだろうし、Quadecaの音楽にはその影響が端々から感じられる。

日本では、宇多田ヒカルが共同プロデューサーを務めた小袋成彬の2018年のソロデビュー作『分離派の夏』、翌年の『Piercing』の一部の曲には、上記の特徴がわかりやすく表れている。変わったところでいうと、岡田拓郎の2020年のアルバム『Morning Sun』はフォークロックと言っていい作風だが、『Blonde』のビート感覚を持ち込もうと試みたのだそうだ。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/2VoiEyYHs8DJvDZFa5IPi2
https://open.spotify.com/intl-ja/track/7D9i7leV7AivGeXIFYpzYj

2012年のカミングアウトによって、フランクがゲイないしバイセクシュアルであることはよく知られている。これについての「人生はダイナミックなもので、ダイナミックな経験とともにある。そして、同じ感情を音楽ジャンルに対しても抱いているんだ」という発言こそが、すべてを語っているだろう。彼は、『Blonde』であらゆるボーダーラインを曖昧にし、そして、未来を最初に見た(“Nikes”には<We gon’ see the future first>というラインがある)。『Blonde』は、今でもR&Bの、そしてポップミュージックの未来でありつづけている。

アルバムは、「一光年ってどれくらいの距離?」というマイキー・アルフレッドの発言が反復されて終わる。その意味ありげな言葉は、『Blonde』という作品が影響を及ぼす射程の長さを示しているかのようだ。私は、『Blonde』というアルバムをこの10年で幾度なく聴いた。それでも、未だに聴くたびに発見があり、このアルバムの汲めども尽きない底の深さに何度も驚かされている。『Blonde』に潜在している可能性は、一光年ほどの長さをもってしても測りつくせない。

フランク・オーシャン『Blonde』

https://open.spotify.com/intl-ja/album/3mH6qwIy9crq0I9YQbOuDf

『オルタナティヴR&Bディスクガイド フランク・オーシャン、ソランジュ、SZAから広がる新潮流』

監修:川口真紀、つやちゃん
著:アボかど、天野龍太郎、井草七海、奧田翔、押野素子(翻訳)、高久大輝、高橋芳朗、辰巳JUNK、長谷川町蔵、林剛、パンス、Yacheemi、矢野利裕、渡辺志保
価格:2750円(税込)
DU BOOKS
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