フランク・オーシャン『Blonde』が、その発表から10年を迎える。2000年、ディアンジェロ『Voodoo』がその後の音楽を一変させたように、『Blonde』もまた2016年以降のR&Bの歴史を塗り替え、ポップミュージックに新潮流を牽引した記念碑的な作品だと言えるだろう。『Blonde』の魅力と同作がもたらしたものを、今あらためて振り返る。
※本記事は『オルタナティヴR&Bディスクガイド』(2024年、DU BOOKS刊)に掲載されたコラム「R&Bと非R&Bの狭間で フランク・オーシャンの『Blonde』はいかにしてジャンル間の壁を曖昧にし、音楽的な革命を起こしたか」を加筆・改稿したものです。
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寡作の天才、その足跡
2026年の今、フランク・オーシャンといえば、「日本でたびたび目撃される海外のアーティスト」という事実を思い浮かべる人は多いかもしれない(移住の噂があった一時期のYeのように)。実際はA24製作の映画を監督するために日本にいるらしいのだが、そもそも彼はとてつもない才能を持った音楽家、シンガーソングライターである。しかし彼は、『Blonde』というマスターピースをちょうど10年前に発表したきり、新しいアルバムを完成させていない。この10年の間に発表したのは10曲のシングルのみで、最後の音楽作品は2020年3月にリリースした7インチシングル“Dear April”“Cayendo”だ。6年間、彼は新曲を発表していない。
とはいえ、この10年、『Blonded Radio』というラジオ番組のホストを務めたり(2017~2022年)、「PrEP+」というクラブでのパーティーをオーガナイズしたり(2019年)、また、事故のために大惨事に終わった『コーチェラフェスティバル(Coachella Valley Music and Arts Festival)』でのヘッドライナー公演があったりと(2023年)、レコードやアパレルを散発的に売る以外に何もしていなかったというわけではない。それに、音楽家フランク・オーシャンの停滞は、たとえば、スライ・ストーンやマイケル・ジャクソンやローリン・ヒルやディアンジェロやマックスウェルやリアーナのそれを思い起こさせもする。天才ほど沈黙してしまうし、そのことが神秘性を高めてしまうことは否めない。
ただ、彼は音楽的なジーニアスであり、誇張でなく革命的な傑作を残したことは、強調しすぎてもしすぎることはない。『Blonde』のリリースから10周年を迎え、あのアルバムやその後の空白がもはや「歴史」になりつつある今、そのことを改めて思い出しておきたい。
フランク・オーシャンことクリストファー・エドウィン・ブローは1987年、カリフォルニア州ロングビーチに生まれている。父はミュージシャンだったが、両親は6歳のときに離婚し、母とともにニューオーリンズへ移住。フランクの音楽観は、ジャズやR&B、ポップスが好きだった母からの影響も大きい。また、大学在学中、彼はハリケーン・カトリーナの被害に遭っている。
大学を中退したのち、LAに移住して作曲家(ゴーストライター)として音楽産業の世界に入り込み、同地のヒップホップコレクティブであるOdd Future(オリジナルメンバーはタイラー・ザ・クリエイターなど)に加わった2009~2010年頃にその名が知られるようになる。そして、2011年に発表したフリーダウンロードのミックステープ『nostalgia, ULTRA』で一躍注目を集め、2012年、Def Jamからのデビューアルバム『channel ORANGE』をリリースした。『channel ORANGE』はリスナーからも批評家からも絶賛され、グラミー賞の最優秀アーバンコンテンポラリーアルバムを贈られるほどの評価を得た。しかし、作品をコンスタントにリリースし、ライブやツアーを定期的におこなう「普通のミュージシャン」としての道を彼が歩むことはなかった。
前作から4年も空けた2016年8月、フランクは、(謎めいたビジュアルアルバムで、限定的な方法でしかいまだにリリースされていない『Endless』とほぼ同時に)セカンドアルバム『Blonde』をリリースした。それも、かなり独特な方法で。
繰り返すが、『Blonde』は現代のマスターピースだ。このアルバムを超えるものは、この10年で作られたのだろうか? そんなことすら思うほどには。音楽の面でも、それ以外の面でも、『Blonde』は、現代のポップミュージック、そしてフランク自身に打ち込まれた楔やトラウマのような作品にも感じられる。それはなぜか? ということをここでは書いてみたい。
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風変わりだった『Blonde』のリリース方法
まず、当時の記憶が薄れつつあるなかで書き記しておきたいのが、上に書いたとおり、『Blonde』が極めて特殊な方法でリリースされたことだ。8月20日、LA、ニューヨークシティ、シカゴ、ロンドンの4都市でポップアップショップが予告なしに開かれ、そこで『Boys Don’t Cry』という謎めいた雑誌が無料で配布された。雑誌には3種類の表紙があったが、銀色の袋で包装されており、中身は開けてみるまでわからない。そこに「付録」のように封入されていたCDが『Blonde』だったわけだが、その後に配信されたアルバムに対して、CDにはKOHHが参加した“Nikes”が収録されているという違いがあった(ちなみに、のちに通販された雑誌のCDにその曲は収録されていない)。

このように、3種類の表紙や収録曲の相違、ジャケットに記載された「Blond」と実際のタイトルである「Blonde」、「ドラッグとマリファナとアルコールはよしなさい」という友人の母親の説教が収められた“Be Yourself”とマリファナ賛歌の“Solo”を繋ぐ構成など、いくつかの状態に引き裂かれて分裂していること、それによって混乱していることこそが、『Blonde』という作品のコアだと私は思っている(前述の『コーチェラフェスティバル』における悲劇を、彼は「混沌としていた。混沌のなかにも美しさがあった」と表現した)。そして、『Blonde』およびフランクの分裂や混乱が何を引き起こしているのかといえば、音楽のジャンルやセクシュアリティといった様々なものの間にある分断線を曖昧にすることだと考えている。
ともあれ、『Blonde』の変わったリリース方法、ソーシャルメディアなどを巻き込んだ効果的なバイラルマーケティングでもあったその手法は、クールで鮮やかだった。かつてプリンスが『Planet Earth』と『20Ten』を新聞や雑誌の付録として配ったことを思わせなくもないが、特に欧米でダウンロード販売からストリーミング再生へと音楽のディストリビューションの形がドラスティックに変わっていった2010年代半ばまでは、大物のアーティストが新作をサプライズでリリースするということが、「サプライズ」が失われるくらいには流行していた。『Blonde』の方法は、その流れにありつつも、カウンター的でもあった。その後に同様の方法が頻繁に真似られたというわけではないものの、作品を聴き手に届ける過程に独自の体験を染み込ませたこと、アルバムがリリースされることに「驚き」を取り戻したことには、一定の意味があったと言える。