2007年に59歳で亡くなったあとも、評価が続く台湾の映画作家、エドワード・ヤン。彼が35歳で完成させた長編第1作『海辺の一日』は、単なる原点ではなく、彼自身の全キャリアと運命をあらかじめ俯瞰していた。時間の自由な行き来、幻滅、破局、そして早すぎる死期。のちの『牯嶺街少年殺人事件』『ヤンヤン 夏の想い出』にいたるすべてのテーマが、本作に刻まれている。
今回、エドワード・ヤンの発見・第一世代の映画批評家、荻野洋一が『海辺の一日』をレビュー。当時の思い出とともに、約40年の歳月を経てついに気づいてしまった本作の衝撃について綴る。
※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。
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約40年ぶりの再会。『海辺の一日』との苦い記憶
台湾の映画作家・楊徳昌(エドワード・ヤン / 1947〜2007)のことを「東洋のアントニオーニ」などと、いささか粗雑に形容していた時代があった。アントニオーニといえば「愛の不毛」という紋切り型がすぐに映画ファンの頭をかすめるそんな時代に、エドワード・ヤンは華麗に登場した。筆者はエドワード・ヤン発見の第一世代である。
1987年、大学生だった筆者は、池袋西武の8階にあった、映画・演劇・舞踏など多目的使用のミニシアター「スタジオ200」で行われた台湾映画特集上映に通っていた。ただひとり侯孝賢(ホウ・シャオシェン)だけがようやく知られるようになったばかりの時代である。上映作リストの中に『恐怖分子』(1986年)というじつに魅惑的なタイトルを見つけた。監督は楊徳昌(ヤン・ドゥチャン)、そんな名前は聞いたこともない。しかし観てみると恐るべき傑作で、筆者は興奮に身を任せるまま大学のキャンパスに戻った。そして映画サークルのラウンジ連絡帳に「『恐怖分子』は超傑作。絶対に見に行って」と大書した。
こんな雑な扇動でもタイトルに惹きつけられたか、意外と多くの仲間たちがすぐに「スタジオ200」へ駆けつけてくれて、楊徳昌の名前は若きシネフィルどもの最新注目株となった。これと相前後して、『ロカルノ国際映画祭』で『恐怖分子』を観てきた蓮實重彥も雑誌『話の特集』にみずからの興奮ぶりを記し、エドワード・ヤンという英語表記名とともにいっきに有名監督の仲間入りを果たした。
池袋の台湾映画特集上映はおそらく好評だったのだろう。すぐにまた同じ場所で台湾映画特集が組まれ、『恐怖分子』の再上映ばかりでなく、こんどは前作『幼馴染み』(1985年 / 『台北ストーリー』の当時の仮邦題)と前々作『海辺の一日』(1983年)も上映された。長編に限れば、この3本で当時のエドワード・ヤン全作品だった。

恥を忍んで白状すると、『恐怖分子』と『幼馴染み』のあざやかさ、鋭利さに比べると、一見地味な『海辺の一日』は当時の筆者には理解不能だった。地方都市の開業医のもとで育った娘が父親の権威から逃れて台北で生きていこうとする物語は、当時の日本でたいへん人気のあった向田邦子脚本のホームドラマとさして変わらないように思われた。厳格な医師の父、諦め顔の母、父の意向に従順な医学生の兄、台北に脱出する妹、父と肉体関係を結ぶ看護師、台北で出会うさまざまなタイプの新しい学友たち――これでは完全に向田邦子ではないか。娘役はきっと岸本加世子が演じるにちがいない。
それから数年が経過した1991年の秋。『第4回東京国際映画祭』のコンペティション部門で『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)が初披露される。その時点ですでにエドワード・ヤンの名前は押しも押されもせぬものとなっており、東京中の全映画ファンが会場のシアターコクーン(Bunkamura内の劇場)に詰めかけ、満員の客席は上映前、なにやら震えがくるほどの緊張感に包まれた。大学を卒業したばかりの筆者は映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』のライター兼編集委員をつとめていたが、約4時間に及んだ『牯嶺街少年殺人事件』世界初上映が終わったあと、作品から受けたすさまじい衝撃のあまり、雑誌の編集スタッフらと一言も口を聞けないまま、ただむっつりと渋谷Bunkamuraから四谷の編集室に戻ったことを、今でもまざまざと覚えている。
ご存知のようにエドワード・ヤンは2007年、59歳の若さでロサンゼルスに客死し、実写の長編作品はたったの7本しか残すことができなかった。そのどれもが傑作と評される中で、筆者としては『海辺の一日』だけは摑みそこなった苦々しい感情が、宿痾(しゅくあ)のごとくくすぶり続けることになる。2027年には早くも没後20周年を迎えようとする今、『海辺の一日』4Kレストア版の上映はそんな宿痾と対峙する機会ともなった。
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混乱した時間感覚で描かれる、自立した女性たちの再会
30余年ぶりに『海辺の一日』に相対した筆者は今、大いなる動揺の中にある。これはひょっとすると、長編デビュー作にして、最高傑作でもあるのではないか。少なくとも、この第1作目にしてヤンは彼の全キャリアをあらかじめ俯瞰し、その静謐なショットとショットの直結のあいだでみずから資質のすべての面を見渡している。
物語は、オーストリアを拠点とするコンサートピアニストの蔚青(ウェイチン)が数年ぶりに台湾に帰国し、かつての恋人・佳森(ジャーセン)の妹・佳莉(ジャーリィ)とホテルの喫茶ラウンジで十数年ぶりに再会することから始まる。父親の決めた女性との結婚を甘んじて受け入れた佳森と蔚青の別離のいきさつ、そして封建的な家父長制に従うことを拒んだ妹の佳莉が、台北の大学で知り合った同級生・徳偉(ドゥウェイ)と結婚するいきさつが、順不同のフラッシュバックを多用しながら粛々と語られていく。フラッシュバックの上にフラッシュバックが容赦なく重ねられ、ナラタージュが混線し、重層化する。人生の選択の瞬間。苦渋を噛み締める夜。わずかな希望とともに歩く朝。残酷な時間経過。にがい回想。破られない沈黙。ヘアスタイルの変遷。豊かなディテールが綿密に時間の織物の中に編み込まれ、声にならぬ万感が研ぎ澄まされていく。


2016年に台湾で刊行された『再見楊徳昌 典蔵紀念版』(王昀燕・編著 / 王小燕工作室 刊)に所収のエドワード・ヤン本人の述懐によれば、『海辺の一日』のシナリオは、彼がアメリカ留学から帰ったとき、親しい友人夫婦が離婚危機にあることを知って受けたショックを発想源として書かれたものだという。また、「『海辺の一日』は私にとって単なる恋愛映画ではなく、社会考察を構想に含んでいた」とのことである。
家父長制秩序への恭順を強いられていく兄と、自由の決断を果たす妹の対比。しかし佳莉と徳偉の結婚生活も、台北での多忙なビジネスライフに晒され、徐々に幻滅の度合いを強めていく。喫茶ラウンジでの蔚青と佳莉の近況報告は、物語行為そのものと化し、映像で提示される情報は、思い出話のイメージをはるかに凌駕し、無時間化していくのだ。久しぶりに対面するふたりの女性は、大きな喪失と引き換えに自立した人生と社会的地位を獲得することができた。
エドワード・ヤンは次のように述べる。
継続的に情報が提示されているとき、もはやその情報の時制は重要ではなくなってきます。フラッシュバックとフラッシュフォワードで処理しながら、引き延ばされた情節(プロット)において、時間の観念は無化していくのです。(『再見楊徳昌 典蔵紀念版』)
時間の自由な行き来、複数のカップルの進展、幻滅、破局、孤独の再発見、そして早すぎる死期、破滅――それらのファクターはエドワード・ヤンのフィルモグラフィーそのものと言ってよく、あたかも予知の儀式としてフィルモグラフィーの青地図を往来しているかのようでもあり、たっぷり2時間47分もある上映時間における記憶イメージの行きつ戻りつによって、私たち観客はめまいを引き起こしてしまう。
