靴底に挟まっていた石に、公園にかつてあった遊具。さらには、道端の鉢植えに水をあげる行為までがアートに?
そんなちょっと変わった展覧会『路上、お邪魔ですか?』が、金沢21世紀美術館で開催中だ。ライター中島良平がレポートする。
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路上は「邪魔」なことができる場
『路上、お邪魔ですか?』。まずそのタイトルがさまざまなことを連想させる。路上に座り込んで抗議活動を行うデモ集団? あるいは、歩行者天国などで突然始まるフラッシュモブか(遭遇したことはないが)? 歌を歌い、大きなギターケースを開いて投げ銭を期待するストリートミュージシャンがいれば、ガード下ではホームレスが寝床を構えてもいる。展覧会タイトルは、2020年に東京・渋谷で路上生活者が殺害された事件における、「彼女が邪魔だった」という加害者の発言を参照してもいるという。

誰かにとって「邪魔」なことができる場である路上。裏を返せば、所有や統治が曖昧であり、何かが起こる自由と紐づけられた場でもある。この展覧会は、アーティストの赤瀬川原平や建築家の藤森照信によって1986年に結成された、「路上観察学会」の40周年を契機に企画された。
同学会が目指したのは、意図を持って生み出されたアート作品ではなく、都市と自然とが意図せず生み出してしまったものたちは、ときとして不思議な可笑しさを醸し出している。予期せず誕生したそうしたアートを紹介することで、彼らは路上の豊かさを伝えると同時に、開発によって町を均質化してしまうことへの批判も行っていた。均質化することで、路上から新しいものが生まれる可能性を削ぎ落としてしまうからだ。

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靴底に挟まった小石に、公園の遊具……さまざまな「作品」
路上観察学会のメンバーである林丈二は、1980年にヨーロッパを旅行した際、靴底に挟まった石が捨てられず、持ち帰って小瓶に詰めて保管した。作品タイトルは『靴底の小石』。林だったか、赤瀬川だったか、「靴底で集めたヨーロッパ」とも表現したというから、旅の記憶、ヨーロッパという土地の一部を収めた標本とも呼びたくなる作品だ。

展示されているのは路上観察学会の資料だけではない。本展のために制作された新作を含め、現代美術作家の作品からさまざまな「路上での実践」の記録までが並ぶ。
この展覧会では路上の定義を車道や歩道に限定せず、「共有された土地」という条件を満たす路地、公園にまで拡張する。鈴木康広の『遊具の透視法』は、かつて公園に多く見られた球体型の回転遊具(グローブジャングル)を用いた作品。昼間に遊ぶ子どもたちの姿が、夜になると回転する遊具の表面に映し出される。回転させることで楽しめる遊具を用いたこの作品は、やはり回転させることで表面がスクリーンとなり、作品として成立するようになっている。明かりを落とした空間にこの作品を置けば、どんな場所でもそこは夜の公園だと錯覚させられるはずだ。



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路上の自由は政治によって規制されうる
路上の政治的な側面について考えさせる作品も観ることができる。ひとつの象徴的な作品が、山田脩二による『新宿駅西口広場』。戦後日本を代表する建築家のひとりで、ル・コルビュジエに師事したことでも知られる坂倉準三の設計により1966年に完成した、世界でも稀な地上と地下をつなぐ広場だ。

「広場」の名の通り、人が集まり、何かができる場として設計された新宿西口広場だが、実際に1969年に若者たちによってフォークゲリラが起こると、「広場」は「通路」へと置き換えられ、集会を禁止されてしまった。その最後の広場の姿を写したこの写真は、路上とは何かが起こる可能性がある場所であり、また権力によってその自由が規制され得ることを表している。
模型と映像を通して紹介されているChim↑Pom from Smappa! Groupの『道』も、多くのメッセージが読み取れるプロジェクト型作品だ。
『アジア・アート・ビエンナーレ2017』に参加したChim↑Pom from Smappa! Groupは、美術館の屋内外をつなぐ200メートルに及ぶ1本の長いアスファルトの道をつくった。公道でも美術館の敷地でもない第三の公共空間と位置づけ、誰しもが参加可能なブロックパーティー、パフォーマンス、ライブや出店などさまざまな活動の場とした。道を真に開かれたものとし、プロジェクトを通じてその場が「誰のものなのか」を問おうと試みたのだ。

その「道」で、台南のコレクティブ・Xiganggogreenが、拠点にしている村の再開発に反対する記者会見、デモ、パフォーマンスをゲリラで開催。美術館が公式に許可したわけではないが、Chim↑Pom from Smappa! Groupが仲介して協議したことで、美術館は見過ごすことを決めたのだという。路上を管理することとはどういうことか。そこでは個人や集団が何をすることが許容され、何をしたら罰せられるのか。公の空間としての影響力なども含め、民主的とはどういうことなのかを根源的に考えさせる壮大なプロジェクトを彼らは実現した。
一方で、路上のルールそのものを可視化した作家の作品も展示されている。監視カメラや道路標識があちこちに並ぶのは世界各国に共通しているが、写真家のダニエル・エヴェレットは現在の日本を撮影することで、住民を統制しようとする厳格性と、場当たり的に領域を拡張した無計画性という都市の両面を浮かび上がらせている。

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美術館の外まで拡張した展示も
「路上」をテーマとする展示は、いくつかの企画を通じて金沢21世紀美術館から外へと拡張した。そのひとつが村田あやこによる『金沢の路上園芸』だ。

街を歩いていると、家の軒先や店先に、鉢植えを並べている光景をよく見かける。そこは誰かの家の前であり、みんなの路上でもある。私的な空間と公的な空間との曖昧な境界において、家主が個人の楽しみとして植物を世話しているとも、街行く人の目を楽しませているともいえるだろう。
村田あやこはそこに着目した。美術館内で「路上園芸」をインスタレーションとして形にし、植物用の水の自動販売機を設置。市内各地に『金沢の路上園芸』のバケツの植物が置かれ、その自動販売機から購入した水をやることでバケツの植物が育ってゆくという接続が生まれる。もしタイミングがよければ、街で『金沢の路上園芸』に参加した家主と出会い、コミュニケーションが生まれるかもしれない。「路上」における「公」と「私」の境界の曖昧な部分がもつ可能性を感じさせるプロジェクトだ。

過去の実践から現在の批評的なアプローチまで、路上の公共性を考察すべく、多様なメディア、時代、目的で生まれた作品や資料を展示する『路上、お邪魔ですか?』展。記事で紹介したのは、あくまでも展示の一部に過ぎない。路上ではさまざまなことが起こる、その可能性と多様性を存分に感じさせる企画展となっている。
路上とは誰のものなのか? 真の民主主義国家であれば「みんなのもの」だと言いたいが、それは綺麗事のようにも思える。公共空間の安全性はだいじな一方、仮に路上から一切の危険なものが排除されたとしたら、それは極端な管理社会にも思える。曖昧な存在であるからこそ、路上にはさまざまな可能性があるのかもしれない。
『路上、お邪魔ですか?』

期間:
2026年4月25日(土)〜9月6日(日)
10:00~18:00(金・土曜日は20:00まで)
会場:
金沢21世紀美術館 展示室
7〜12、14、デザインギャラリー、レクチャーホール
料金:
一般 1,200円(1,000円)
大学生 800円(600円)
小中高生 400円(300円)
65歳以上の方 1,000円
※本展観覧券は同時開催中の「コレクション展」との共通です
※( )内はWEB販売料金と団体料金(20名以上)
※当日窓口販売は閉場の30分前まで
休場日:月曜日(ただし5月4日、7月20日は開場)5月7日、7月21日