劇作家、大学教授、美術館館長とさまざまな顔を持つ平田オリザ。その新著『寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか』が2026年2月に刊行された。秀逸なタイトルだと感じた。「寂しさ」という言葉について考える時、現在の日本で、そして世界中で起きているさまざまな出来事を想起して寂しい気持ちになる。また、この先の未来像を想像してみても、そこに寂しさを感じている人は大勢いるはずだ。なぜ、私たちの生はこんなにも寂しいものになってしまうのだろうか。
本書は、先の見えない不況や不安から生じる社会的孤立の問題を指摘し、芸術・文化・観光が果たせる役割を「処方箋」として提示を試みている。新刊で示そうとした「寂しさへの処方箋」について、平田が現在感じている課題と、決して暗くはない未来に向けて、今できることを聞いた。
INDEX
『芸術立国論』から25年。ないがしろにされている人間の精神的側面を掬い取る
ー本書の主題のひとつが「寂しさ」です。いま、なぜそれを切り口にした本を書こうと思われたのでしょうか?
平田:この本は2025年7月頃までに書いていた連載(「シン・芸術立国論」)をもとにしているのですが、ちょうど2025年7月の参議院選挙ぐらいから、社会のなかで排外主義が非常に強くなって、今までは「仮にそう思っていても、政治家がそれを言っちゃ駄目だよ」みたいなことも公然と言われるようになりました。
僕はヨーロッパでよく仕事をしてきたので、ネオナチのような動きはたくさん見てきたんですけれども、日本の場合はどうもそれともちょっと違うなと感じたんです。そもそも日本人は別に外国人に職を奪われてもいないし、外国人が人口の数十%を占めるような状態にもなってないのに、なぜ急に、こんな主張をする人が増えたのか。
社会学者や経済学者は分析からその原因を分断や格差と言ったりするのですが、私は作家なので、そこには潜在的な何かへの不満や苛つき……そういった精神的側面があるんじゃないですか、ってことを書きたいと思ったんです。経済や社会学の視点だけでは補えない人間のマインドの問題が、ないがしろにされている気がずっとしていた。それを作家 / 劇作家の立場で書いてみよう、というのが起点です。

1962年、東京都生まれ。劇作家 / 演出家。芸術文化観光専門職大学学長、青森県立美術館館長。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。著書に『名著入門 日本近代文学50選』『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」』『但馬日記 演劇は町を変えたか』『下り坂をそろそろと下る』『対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術』『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』など多数。
ー2025年の参院選というと、政権与党は議席数を減らしたけれども、その代わりに極右的な主張をする政党が大きく躍進する結果でした。それはとてもショックではありましたが、2026年の現在はさらに状況が進んでいます。たとえば先日、文化庁が国立の美術館 / 博物館に収益ノルマを課し、それが達成されなければ組織再編を行うという報道がありました。冒頭から暗い話で恐縮ですが、戦争や格差など、「寂しさ」をますます加速させる出来事が続いているのが今なのではないでしょうか。
平田:この本のもう一つのテーマは「処方箋」ですが、それが意味しているのは「諦めない」ことだと思ってるんですね。僕はいたずらに年齢だけは重ねてきましたから、本当に今の若い人たちこそ強い閉塞感を感じていると想像します。若くて良心的な人たちほど「もうこれ駄目なんじゃないの?」と思っているかもしれない……しかし、まあ、これまでもずっと駄目なんです(苦笑)。そして、そんなずっと駄目な中でも「どっこい生きてるぞ」みたいなところがアーティストの強みでもある。
非常に厳しい状況でも人生や人間を諦めない、人間を信じるっていうのもアーティストの一番の基本である。僕も毎日嫌な気持ちになりますけど、しかし悲観的でもないんです。そもそも、自分の友人にはテヘラン(イランの首都)でいまも暮らしている俳優たちがいますから、そっちの方がよほど心配です。グローバルに見れば日本はぜんぜん恵まれていて、そんな日本でアートをつくっている人間が諦めていたら、もっと大変なところで頑張っている人々に失礼じゃないかと感じます。
ー諦めないことが重要。
平田:そう。あと、とくに演劇はもうずっとオワコンだったので(笑)。それでもずっとしぶとく生き残ってきて、人が人の前で何かを披露するとか、ものまねをするみたいなことは営みとしてこれからもずっと残ると思うんです。マーケットの中で考えてしまうと大変だったとしても、そうじゃない生存手段は当然あって、そうやってアートは生き延びてきました。逆に言えば、びっくりするくらいアホでネジが抜けてないと21世紀にアーティストなんてやってられないですよ。