2020年に立ち上がり、2026年で7年目を迎える『豊岡演劇祭』。毎年9月に兵庫県北部の豊岡市を中心とした但馬地域で開催され、国内外から多くのアーティストやカンパニーが参加し、年を重ねるごとに増加する来場者とともに大きな賑わいと発展を見せている。期間中は、劇場の周辺はもちろん、山、海、路上にはじまり、信用金庫や空港の滑走路に至るまでさまざまな会場で多様な作品が上演され、アーティスト間の出会いはもちろん、舞台と客席を横断した観客や住民との盛んな交流も一つの魅力となっている。
観光やまちづくりと連動しながら、舞台芸術やその創造環境の可能性を拡張する、固有の文脈を持ったフェスティバル。中でも、参加者を一般公募する「フリンジプログラム」はそんな『豊岡演劇祭』の特色と魅力が色濃く反映された部門であり、アーティストの新たな創造発信の場としても注目を集めている。
「上演しようとする意思が、その場所を劇場にする」。そう語るのは、豊岡演劇祭プロデューサーであり、コーディネーターでもある松岡大貴。立ち上げから7年、現地に移住し、『豊岡演劇祭』、そしてフリンジの変化と発展を見つめてきた松岡にそのプログラムの魅力や公募や参加の意義について話を聞いた。
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『豊岡演劇祭』は「深さを持った演劇の街づくり」のフラッグシップ
―2025年は、『豊岡演劇祭』全体でのべ4万人を超える動員を記録し、公募であるフリンジの応募数も初年度から4倍以上とますますの賑わいを見せています。プロデューサー / コーディネーターとしてフェスティバルを牽引する松岡さんは立ち上げからの参加メンバーでもありますが、まずは参加を決めた経緯や、ご自身が思う『豊岡演劇祭』の特色からお聞かせ下さい。
松岡:僕は大学で演劇を専攻し、その後は劇場、おもに公共ホールで事業担当をしてきました。中でも「創造環境」に興味があり、「どうやったらアーティストや作品にとって最良の環境や表現の場が作れるか」という問いを持ち続けてきました。もちろん、そうした環境や機会を独自で切り拓く人もいますが、そんなにマッチョな人ばかりではないですよね。
前職で東京芸術劇場にいた頃に感じたのは、「ここで上演できる団体はある程度評価されている」という前提でしたが、可能性の原石のようなアーティストや団体は他にもたくさん存在していて⋯⋯。そうした人たちが表現できる場はどうしたら担保できるのだろう。『豊岡演劇祭』立ち上げに参加したのは、まさにそんなことを考えあぐねていた頃でした。当時は誰でも参加できる公募型のフェスティバル自体が少なく、各小劇場が自主的に企画しているような感じだったのですが、『豊岡演劇祭』はまさにそうしたビジョンを中心に据えたフェスティバルだったので参加を決めました。
―実際に豊岡に移住され、この数年演劇祭を見つめる中で感じた「豊岡」という土地の個性や魅力についてもお聞かせ下さい。
松岡:豊岡市は「小さな世界都市」というテーマに加えて、「深さを持った演劇のまちづくり」というスローガンを掲げていました。これって、時々誤解されちゃうんですけど、「街を演劇だらけにしよう」という話ではなく、「演劇やアーティストの視点を、まちづくりに取り入れよう」という話なんです。
その背景にはやはり都市部にはない、地域特有の課題があります。人口減少や過疎化、ジェンダーギャップや文化的に多様でないという状況もその一つ。そこを解決するための「深さを持った演劇の街づくり」であり、『豊岡演劇祭』はそのフラッグシップなのだと感じました。民間ではなく、行政主導でそうした取り組みを行っている例がまずとても珍しい。さらにどの地域でも直面する問題へのアプローチ方法がアーティスティックなのが、魅力だと感じます。城崎温泉など観光的な魅力ももちろん多くありますが、それだけではないですね。

―私も昨年初めて『豊岡演劇祭』を体験して、行政の方や住民の方とも少しお話をさせてもらったのですが、みなさんのまちづくりへの視点の深さに驚きました。
松岡:演劇祭以外にも、豊岡における演劇的な文脈にはいくつかストーリーがあります。2010年代に城崎国際アートセンターというレジデンス施設が立ち上がったこともそうですし、映画『国宝』のヒットで多くの人に知られるところにもなった片岡愛之助さんが毎年歌舞伎をやっている「出石永楽館」という近畿最古の芝居小屋もあります。さらに、2021年には芸術文化観光専門職大学という日本初の国公立で演劇が学べる大学ができました。この1、2年でそのいくつかの文脈が合流し、混ざり合って一つの土壌になってきたことはすごく面白いと思っています。さらにフリンジ型のフェスティバルだからこそ、そういった環境に参加しようと思ったら参加ができる。それは非常に魅力的です。



―滞在中に城崎国際アートセンターで観劇をした際、帰りに立ち寄った温泉で住民の方と観劇の感想を交換したことがすごく印象に残っています。他にも、飲食店で参加アーティストや学生スタッフさんと話したり、観劇の前後も含めて一つの体験だという実感がありました。フェスティバルが地域間や世代間にあるかたまりをほぐす場になっていることも感じました。
松岡:舞台でやることだけが演劇だけではないし、演劇を観ていない時間もそこにいるだけで演劇祭に参加していることになる。そう思ってフェスティバルを運営してきたので、そのお言葉は嬉しい限りです。
僕たちは、「『豊岡演劇祭』に来る人たちをなるべくごちゃ混ぜにしたい」と思っているんです。観客がいて、住民がいて、アーティストがいて⋯⋯という並列の関係性ではなく、アーティストも自分の表現が終わったら観客になり、地元の人だって、飲食店で食べ物を作ってくれている時は地元の人だけど、観劇に行ったら観客になるし、出演している人もいるのでそのときはアーティストになります。

松岡:フェスティバルディレクターの平田オリザは「コンセプトがないことをコンセプトに」と常々言っているのですが、そういう意味でも、何かで縛ったり、定義するのではなく、人々の関係性が一方通行にならないような設計を重んじています。そうした混ざり合いをフェスティバルを通じて作るうえでは、大都市ではない豊岡という土地でやるのが大きな意味を持つと考えています。
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日本最大級の「フリンジ型」舞台芸術の祭典。3つの部門の特徴は?
―こうして『豊岡演劇祭』の特色をお聞きしていると、外にひらいて参加者を公募する「フリンジ」はまさにその最たるプログラムで、参加者と演劇祭の相互にもたらす反響や効果が非常に大きいのではないかと感じます。どういった経緯でフリンジ型の募集を開始されたのでしょうか。
松岡:「フリンジ」の語源には様々な説がありますが、『豊岡演劇祭』におけるこの言葉の意味づけは、1940年代にヨーロッパの演劇祭で起きた現象に由来しています。アヴィニョンやエジンバラで演劇祭が開催されるようになった頃、そこで上演されるのは招聘作品が中心だったわけですが、そうした枠組みへのカウンターとして、招聘されていないアーティストたちが自主的にその周辺で作品を上演してたんです。つまり、演劇祭と同時期に近いエリアで上演されているけれど、別団体が運営しているという状態。
そんな風に、自主的に創造の場を作り、表現を始めた数多のフリンジたちの存在が、豊岡における「フリンジ」という言葉の原点となっていて、そこをフェスティバルとして一体化しているのが『豊岡演劇祭』です。『豊岡演劇祭』のフリンジは、セレクション、ショーケース&ミーティング(※)、ストリートの3枠に分類されていて、アーティストや団体にとってフィットする形を選んでいただく形になっています。
※2025年までは「ショーケース」の呼称。
―3部門の特徴はどのような違いがあるのでしょうか?
松岡:まずセレクションはフリンジの象徴的な部門で、制作支援金や会場費を演劇祭が負担するなど、いくつかサポートの特色があります。コーディネーターが付き、会場選定やリサーチ等もバックアップをするので、初めて参加される団体やアーティストにとっても心強いのではないかと思います。「豊岡で公演を打ちたい」となった時に、まず会場を掘り起こさなくてはならないわけですが、どういった場所だったら実現できるか、あるいは、作品の効果が高まるかがわからないと思うんですよね。なので、周辺地域や会場を熟知したコーディネーターの役割を拡大しました。




松岡:2つ目のショーケース&ミーティングは、一つの会場を複数団体でシェアするショーケース形式の公演。会場はもちろん、テクニカルスタッフや宿泊場所も演劇祭が手配をします。これは、コロナ禍を経て2022年にできた部門なんですよ。


―ショーケースにはこれまでも多くの若手団体が参加をされていて、観客にとっても一度に複数の気鋭の若手団体の作品が観られる貴重なプログラムだと感じます。
松岡:2020年以降、数多の公演中止を見てきた中で「今後の活躍を期待される最若手の団体や表現者が『豊岡演劇祭』に参加しようとして中止の負債を抱えてしまう、なんてことはあってはならない」と痛感したんですよね。そんな思いから、着の身着のままで来られる部門として立ち上げたのがショーケース部門でした。コロナ禍が過ぎ、その役割がいったん落ち着いたので、2026年からは公演中止のリスクよりも、一緒にやるメリットを活かしたいと考え、ワークショップや交流の場を作り、概念をリクリエーションする意味も込めて「ショーケース&ミーティング」と銘打つことにしました。
ストリート部門が発足したのも同じく2022年から。「セレクションやショーケースでやるのはハードルが高い」といった声を受け、そんな団体にとっても参加しやすい場所を考えた時に「路上」に行き着きました。


松岡:どのジャンルがどの部門に応募してもいいのですが、演劇に限らず、野外向きのダンスや大道芸や音楽のパフォーマンスも積極的に作りたいという思いもありましたし、実際にストリート部門をきっかけに参加した人数も増え、2025年の動員数を万単位で押し上げてくれています。どの部門においても、アーティストと地域を繋ぐ「翻訳者」のような存在でありたい。僕も含めて、フェスティバルを育んでいるスタッフたちはそんな思いを持っています。
―団体や作品の多様性はもちろん、その交流の場の多さも非常に印象的でした。毎日どこかしらで団体やアーティスト間の対話や観客とのコミュニケーションが重ねられていたことも含め、フリンジのショーケース部門に「ミーティング」という言葉が付加されことはとても象徴的な変化であるように感じます。
松岡:去年からショーケース部門の会場を大学から豊岡ミリオン座という小劇場に移したことも影響していると思います。大学を会場にしていた頃はどうしても時間的な制限があり、公演が終わったらすぐ宿に帰る、というタイトなスケジュール感だったのですが、ミリオン座になってから、人がその場にいやすくなったんですよね。より砕けた表現で言うと、公演後もみんながダラダラ残るようになったんです(笑)。
