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最も美しい映画館「Kino International」が物語るベルリンの過去、現在、そして、未来

2024.5.14

#MOVIE

Photo by Ben Kaden

壁があった時代の東ベルリン

ベルリンに壁があったことは周知の事実だが、なぜ壁によって東と西に分け隔てられなければならなかったのか、正しく知っている人はどれほどいるだろうか。第二次世界大戦後、敗戦国ドイツは連合軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)によって西ドイツと東ドイツとに分割された。ベルリンはソ連が統治する東ドイツ(ドイツ民主共和国)に属していたが、ベルリンだけさらに分割され、西ベルリンをアメリカ、イギリス、フランス、東ベルリンをソ連が管理することとなった。つまり、東ドイツにありながら西ベルリンだけは西ドイツに属するという前代未聞の事態となった。

しかし、当初はまだ壁もなく、東西への行き来も自由だった。資本主義の西ドイツと社会主義の東ドイツの経済格差は徐々に大きくなっていき、東ドイツの経済が悪化していくのに対し、西ドイツの経済は成長を遂げ、市民の生活も格段に豊かとなった。そのため、自由で良い暮らしを求め、東ベルリンから西ベルリンへ亡命する人が後を経たなくなった。そこで、国家存続の危機を感じた東ドイツは、東の人々が西に逃げられないように、1961年8月13日に東西ベルリンの境界線を封鎖し、西ベルリンをぐるりと取り囲む壁が一夜にして作られた。有刺鉄線が張り巡らされた3mの高さの壁には厳重な警備が置かれ、東ベルリンの人々は近づくことも許されなかった。それでも亡命を試みた人たちの中には命を落とすこともあった。

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