音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、映画の中のポップミュージックを読み解く連載「その選曲が、映画をつくる」。第10回は、ジェシー・アイゼンバーグ初監督作『僕らの世界が交わるまで』を取り上げる。
動画配信による小遣い稼ぎに余念がない高校生の息子と、「意識の高い」母親のすれ違いを描いた本作では、息子が劇中で歌う自作曲の存在が大きな役割を担っている。自身も映画劇中歌の制作ディレクションを担当した経験があるという柴崎に、本作の音楽を論じてもらった。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
INDEX
対照的な母と息子が、コミカルに奔走する
『ソーシャルネットワーク』や『ゾンビランド』等の主演で知られる実力派俳優ジェシー・アイゼンバーグ。これまで、短編小説や舞台脚本を手掛け、『ザ・ニューヨーカー』誌へも度々寄稿するなど、幅広い活動を繰り広げてきた彼が、監督映画としての第一歩を踏み出した。
本作『僕らの世界が交わるまで』の主演を務めるのは、米『アカデミー賞』や『エミー賞』に輝く名優ジュリアン・ムーアと、Netflixのオリジナルドラマ『ストレンジャー・シングス』等で知られる若き俳優フィン・ウォルフハードだ。ムーアは、ドメスティックバイオレンスの被害者を保護するシェルター施設の責任者エヴリン・カッツに扮し、かたやウォルフハードは、そのエヴリンの息子ジギーを演じる。
高校生のジギーは、約2万人のフォロワーを持つ動画配信者で、自身のチャンネルでオリジナル曲を披露し、視聴者からの「いいね」と投げ銭を得ることに熱中している。社会正義の遂行者としての自負を持つエヴリンは、ネット上での「バズ」や目の前のことばかりに執心する息子の言動に、失望に近いものを感じている。それゆえに二人の会話はいつもすれ違い気味で、噛み合わない。お互いがお互いのことを、関心外にある存在のように捉え、理解することも諦めてしまっているようだ。物書きの仕事をしているらしい父親ロジャー(ジェイ・O・サンダース)も、そんな彼らのギクシャクした関係に深入りしようとはせず、家庭にはどこか寒々しい空気が流れている。
そんなエヴリンとジギーは、お互いの空虚感を穴埋めするかのように、それぞれある人物とのつながりを求めて、空回り気味のコミカルな奔走をはじめる。父親からの暴力を逃れてシェルターにやってきた高校性のカイル(ビリー・ブリック)の温かな人柄に触れて心動かされたエヴリンは、何かと彼の世話を焼くようになり、彼の母を袖にして進学先を強行に斡旋したり、過干渉と思える振る舞いに及んでしまう。一方でジギーは、ライラ(アリーシャ・ボー)という女生徒に対し、憧れに近い恋心を抱く。ライラが昼休みに友人たちと交わす政治的な議論の内容は、社会問題に一切関心のないジギーにはまったく理解できない。しかし、それがゆえ余計に、ライラが自分とは異なる「クール」な存在に思えてならない。「政治的な若者たち」が集う集会に顔を出して子供っぽい自作曲を歌い赤っ恥をかいたジギーは、なんとかライラたち「クール」な若者の一員になろうと彼なりに努力するが……。