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その選曲が、映画をつくる

『僕らの世界が交わるまで』アイロニカルな「分断」の物語の、希望を示唆する音楽

2024.1.17

#MOVIE

© 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.
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音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、映画の中のポップミュージックを読み解く連載「その選曲が、映画をつくる」。第10回は、ジェシー・アイゼンバーグ初監督作『僕らの世界が交わるまで』を取り上げる。

動画配信による小遣い稼ぎに余念がない高校生の息子と、「意識の高い」母親のすれ違いを描いた本作では、息子が劇中で歌う自作曲の存在が大きな役割を担っている。自身も映画劇中歌の制作ディレクションを担当した経験があるという柴崎に、本作の音楽を論じてもらった。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

対照的な母と息子が、コミカルに奔走する

『ソーシャルネットワーク』や『ゾンビランド』等の主演で知られる実力派俳優ジェシー・アイゼンバーグ。これまで、短編小説や舞台脚本を手掛け、『ザ・ニューヨーカー』誌へも度々寄稿するなど、幅広い活動を繰り広げてきた彼が、監督映画としての第一歩を踏み出した。

本作『僕らの世界が交わるまで』の主演を務めるのは、米『アカデミー賞』や『エミー賞』に輝く名優ジュリアン・ムーアと、Netflixのオリジナルドラマ『ストレンジャー・シングス』等で知られる若き俳優フィン・ウォルフハードだ。ムーアは、ドメスティックバイオレンスの被害者を保護するシェルター施設の責任者エヴリン・カッツに扮し、かたやウォルフハードは、そのエヴリンの息子ジギーを演じる。

高校生のジギーは、約2万人のフォロワーを持つ動画配信者で、自身のチャンネルでオリジナル曲を披露し、視聴者からの「いいね」と投げ銭を得ることに熱中している。社会正義の遂行者としての自負を持つエヴリンは、ネット上での「バズ」や目の前のことばかりに執心する息子の言動に、失望に近いものを感じている。それゆえに二人の会話はいつもすれ違い気味で、噛み合わない。お互いがお互いのことを、関心外にある存在のように捉え、理解することも諦めてしまっているようだ。物書きの仕事をしているらしい父親ロジャー(ジェイ・O・サンダース)も、そんな彼らのギクシャクした関係に深入りしようとはせず、家庭にはどこか寒々しい空気が流れている。

© 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

そんなエヴリンとジギーは、お互いの空虚感を穴埋めするかのように、それぞれある人物とのつながりを求めて、空回り気味のコミカルな奔走をはじめる。父親からの暴力を逃れてシェルターにやってきた高校性のカイル(ビリー・ブリック)の温かな人柄に触れて心動かされたエヴリンは、何かと彼の世話を焼くようになり、彼の母を袖にして進学先を強行に斡旋したり、過干渉と思える振る舞いに及んでしまう。一方でジギーは、ライラ(アリーシャ・ボー)という女生徒に対し、憧れに近い恋心を抱く。ライラが昼休みに友人たちと交わす政治的な議論の内容は、社会問題に一切関心のないジギーにはまったく理解できない。しかし、それがゆえ余計に、ライラが自分とは異なる「クール」な存在に思えてならない。「政治的な若者たち」が集う集会に顔を出して子供っぽい自作曲を歌い赤っ恥をかいたジギーは、なんとかライラたち「クール」な若者の一員になろうと彼なりに努力するが……。

巧みに作られた、主人公が歌うオリジナル曲

このあらすじからも分かる通り、本作では、上述したジギーの自作曲が単なる演出装置として以上の重要な役割を与えられている。劇中でジギーが言う通り、彼は「オルタナに影響を受けたクラシックなフォークロック」を目指しているようなのだが、たどたどしいアコースティックギターの伴奏で披露されるその曲は、ときにかなり陳腐で、未整理だ。しかし、ハッとするようなメロディーや言葉が光る瞬間もあり、才能のきらめきを感じさせなくもない。

フィン・ウォルフハード演じる、息子のジギー。 © 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

こういう、「可もなく不可もないように聴こえるけれど、ときおり輝くものがある」劇中オリジナル曲の制作というのは、(私自身過去にある映画のプロジェクトでまさにそういう音楽制作のディレクションを担当した経験があるので身にしみて分かるのだが)実のところかなり難しいものだ。単にインパクトのある、あるいは純粋にクオリティの高い音楽を作る技術とはまた異なる、ある種の俯瞰性に貫かれたプロフェッショナリズム、そして高度のユーモアが必要となるこの種の作業は、通常は作曲家だけではなく、監督を含めた他のクルーとのコミュニケーションがより一層肝要になる。その上で本作におけるオリジナル曲の数々を聴いてみると、実に見事にそれが達成されているのがわかる。

プロダクションノートによれば、まず監督のアイゼンバーグがいくつかのモチーフを提示した上で、余技にとどまらない音楽活動を行っていることでも知られるジギー役のウォルフハード自身の協力の元、米『アカデミー賞』ノミネート歴をもつ作曲家エミール・モッセリが要素を追加し、磨き上げていったのだという。結果的に出来上がったのは、いかにもジギー(のような人物)が作りそうな、軽佻浮薄だけれど同時にどこか普遍性を湛えているようにも聴こえる、不思議に魅力的なフォークロック曲たちだ。

© 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

他方、本作において既存のポップミュージックはほとんど使用されていないが、バッハやショパン、チャイコフスキーらのクラシック曲は随所でふんだんに流される。これは主に、エヴリンやロジャーが好んで聴く音楽として使用されており、ジェネレーションギャップを演出する記号として機能しているのに加え、ジギーの通俗的な指向ともユーモラスな対比を描いている。

加えて、エヴリン、ロジャーともに、クラシックのみを嗜好する堅物ではないということもいくつかの会話から示唆されるのだが、これらも彼らの文化的なバックグラウンドを効果的に伝えている。ストラトキャスター(エレキギター)を買いたいと言うジギーに対して、すかさずロジャーがアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の名を出して「ブルースはやめておけ、白人がそれを演奏することは文化の搾取になる」と諭すシーンは、彼の思想的スタンスを端的に表している。

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エヴリンも、現在の職に就く以前には『ローリング・ストーン』誌の記者になるのが夢だったと言い、かつて幼いジギーを連れて抗議デモに参加しプロテストソングを歌わせたことを「良き思い出」として語る。このような音楽にまつわる様々な描写を通じて、中産階級の自覚的な左派リベラルであるエヴリンと、刹那的な自己表現に生きる「ノンポリ」のジギーという映画の根幹をなす対立構造が巧みに反復されているのがわかる。

浅薄vs「意識高い」の対立構造と、双方に向けられる皮肉

あえて単純化して言うなら、この映画には、社会正義(政治)と自己表現(非政治)の対立とその分断が最も太いストーリーラインとして引かれている。そうした対立構造の提示の仕方は、述べてきた通りコミカルで、ときにかなり皮肉っぽいものだ。しかも、その皮肉は、どちらかからどちらかへと一方的に向けられるのではなく、作り手の側から両者へと容赦なく向けられている。

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自己中心的で視野の狭いジギーの姿を嗤うシーンが度々あるのはもちろんのこと、反対に、同僚のささやかなバースデーパーティーにマジメすぎる一言で水を差してしまうエヴリンのなんとも世慣れない様子や、カイルの将来を想うあまり下層階級への無意識的な差別意識をのぞかせてしまう彼女の空回りぶりの描写も、ある種の「意識が高い」人々への皮肉になっている。

そんな中で、本作におけるアイロニーのもっとも鮮烈な例は、ジギーがある重要な曲をライブストリーミングで歌った話をライラたちへ披露するシーンだろう。ジギーは衝撃的な発言をして、ライラたちを唖然とさせる。多くの観客も同じく唖然とするであろうジギーのこうした言動は、戯画的ながらも、ポストSNS時代特有の浅薄性を残酷に描写している。そう考えると、本作の英語版原タイトル『When You Finish Saving The World』=「君たちが世界を救い終わった後に」も、かなりシニカルなものに思えてくる。

ジギーが恋心を抱くライラ(アリーシャ・ボー)。 © 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

家族再生の予感を担う劇中音楽

それでも本作は、そうした分断(とそれに伴うアイロニーの応酬)をなんとか食い止め、超えようとすること、つまり、ある種の希望を語ることを諦めてしまっているわけではない。あまりにもお馴染みの主題ではあるが、本作は、家族の再生への予感を描こうとするのだ。

あまりにもお馴染みであるということは、それが普遍的なテーマであるということに他ならない……私たちは、そのことに改めて気付かされる。親にとって子供は、あるいはまた、子供にとって親というのは、最も身近な存在であると同時に、理解が及ばない他者でもありうるし、それによってお互いが拭い難い疎外感に絡め取られてしまうことも少なくはない。逆に言えば、疎外を共有するもの同士として、なにかのきっかけで再び最も親しい存在となりうる他者同士であるということだ。もちろん、これは一般論の話であって、実際の親子関係の中にあって、それを自覚し実践するのはいかにも困難かもしれない。ではそういうとき、現実とファンタジーの彩たるべき現代のホームドラマ映画においては、いったい何が効果を発揮するのだろうか。

アイゼンバーグは本作で、その役目を音楽に担わせている。不器用な奔走の末、彼ら親子はふと、お互いに再度対峙しようとする。そのときに聴こえてくるのは、映画の冒頭にも流れたジギーご自慢の自作曲、“Pieces of Gold”だ。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/3qtFFlkX6qmtnV7azbW7N4

紙きれでしかない 黄金の破片が
いつの間にか 蒸気となって消える
空気は薄く 扉には鍵が
君は顔を上げ 彼女は悔やむフリ
並んだ線路の 2つの高速列車
息切れしても 後戻りはしない
並んだ道路の 2台の高速自動車
クラッシュはしないけど 出会うこともない
僕の言葉に 彼女は反論できない
予言じゃないって フリもできない
不吉なもの パラノイド
一時的なポラロイド

むりやりな押韻のために一見ナンセンスな歌詞のこの曲が、映画のクライマックスでリプライズすることで、にわかに豊かな詩情を帯びてくるのだ。「並んだ線路の2つの高速列車 / 並んだ道路の2台の高速自動車」というラインに、観客の誰しもがジギーとエヴリン二人の姿を重ね合わせてしまうはずだ。このリプライズの巧みさは実に見事だし、劇中の最重要部ともいうべき同シークエンスで、真正面から音楽の力を信頼してみせたアイゼンバーグの胆力も称賛すべきだろう。2台の高速列車 / 自動車は、ここに至ってようやく速度を落とし、お互いに出会うことができるのだろうか……? ほのかな希望が入り混じったクエスチョンとともに、優しく映画は閉じられる。

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