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その選曲が、映画をつくる

『スキンレスナイト』 はちみつぱいの名曲にのせて描かれる「失われた青春」

2023.9.13

#MUSIC

1991年に製作され、シネフィルのあいだでは幻の名作とされているという映画『スキンレスナイト』が、32年ぶりに劇場公開される。

本作には、ムーンライダーズの前身であり、1970年代前半に短期間のみ活動したバンド・はちみつぱいの代表曲“塀の上で”が、象徴的に使用されている。

“塀の上で”を「異常に好き」だという音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、音楽とその時代を鍵に本作の魅力を紐解く。連載「その選曲が、映画をつくる」、第6回。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

ピンク映画 / アダルトビデオの監督が手掛けた、幻の自伝的作品

望月六郎監督は、しようもない男を描くのが巧い。ちょっと巧すぎるくらいに。その巧さは、ときにあからさまなほど反時代的でもある。自らのしようもなさに無自覚で、夢見がちで、周りに迷惑をかけるのも厭わない、そういう「あの時代の男たち」。

その一方で、望月六郎作品に描かれる男たちは、一種不思議なほどに正直で、やけにユーモラスだ。しようもない人間たちが同時に抱えてしまう純真さとおかしみ。映画というメディアは、旧くから人間のそういう多面性やあけすけな様子を、ただ切り捨ててしまうのではなく、鋭く、ときに残酷な美しさとともに切り取ることに長けてきた。そういう意味で、望月六郎は紛れもない「名匠」だ。

1957年に東京都に生まれた望月は、若き日から映画と演劇にのめり込み、慶應義塾大学を中退。その後、イメージフォーラム付属研究所に入所し、卒業後には金子勝に師事、脚本家としてキャリアをスタートした。ピンク映画の巨匠、中村幻児に才能を認められたのをきっかけに、日活ロマンポルノ作品の脚本を手掛けつつ(この時代に共同脚本で関わった上垣保朗監督作『少女暴行事件 赤い靴』は、日活ロマンポルノ史上にも稀に見る傑作なので、ぜひチェックしてほしい)、助監督として活動した。

1985年の監督デビューの後もピンク映画の世界で活動するが、1987年には自らの会社を立ち上げ、主にアダルトビデオの制作に従事する。

本作『スキンレスナイト』(1991年)は、そんな望月が初めて手掛けた一般映画だ。『ベルリン国際映画祭』や『東京国際映画祭』など含め、10以上の映画祭で上映され、高い評価を得た。今回、35mmフィルムが発掘されたのを受け、精巧なデジタルレストアが施された上、32年ぶりにリバイバル上映されることとなった。

主人公の加山睦郎(石川欣)は、元ピンク映画の監督で、現在はアダルトビデオの制作会社を運営しながら、自らも監督を手掛けている。制作に追われ多忙な日々を送る傍ら、かつて夢見た映画作りの夢がふとした瞬間に蘇ってくる。

その日々に決定的な不満はないものの、どこかフラストレーションを拭いきれない。しかも、妻も子もいる立場でありながら、若かりし頃に思いを寄せていた女性への憧れを断ち切れず、人知れず彼女の影を追う……。

上記のあらすじを読めばお気づきだろうが、(個々のエピソードには創作が加えられているらしいが)この映画は、望月監督自身の歩みを投影した半自伝的な作品である(これらの点から、フランソワ・トリュフォーによるいわゆる「アントワーヌ・ドワネルもの」、中でも『家庭』(1970年)や『逃げ去る恋』(1979年)あたりを彷彿させもする)。それゆえ、業界の仔細が丁寧に描かれるそのストーリーや、登場人物のキャラクター造形、そして、加山の見せる弱さやいらだちや逡巡には、どこかヒリヒリとした、やけに実存的なリアリズムがともなっている。加えて、昭和末期〜平成初期の東京の街に漂う独特の色彩感がロケーションや小道具などから濃密に立ち上る様には、当時の様子を知らない世代ですら、一種不思議なノスタルジアと心地よさを覚えるだろう。

大人になった元サブカルチャー青年の葛藤を描く

本作のテーマは、ずばり「失われた青春とその再生」だ。つまり、(アダルトビデオ業界という「一般的でない」舞台設定にもかかわらず)その物語類型は実にオーセンティックで、これまでも数々の映画が挑んできた普遍的なテーマに貫かれている。だから、私達は容易に作品の世界に入っていけるし、各々の感情を投影することができる。

多少なりともピンク映画の歴史に明るい読者ならよくご存知だろうが、かつて主に日活ロマンポルノが主導した日本のピンク映画界では、後に一般映画で大成する巨匠や、作家性(思い切って「イデオロギー性」といってもいいだろう)を強く秘めた作り手が多く蠢き、「映画的」としかいいようのない実験的な、かつ野心的な試みを数多くフィルムに刻んできた。濃淡の差はあれど、そこにはしばしば「政治の季節」の挫折と、サブカルチャー / 対抗文化の拡散という、1970年代以降の日本のアンダーグラウンド文化に広く共有されていたムードが、色濃く反映されていたのだった。

どうやら、本作の主人公である加山も、そういう時代の空気を胸いっぱいに吸いながら青春時代を過ごし、映画好き / 演劇好きとして将来を夢見てきた「元青年」のようだ。

象徴的なシーンがある。(かつての映画 / 演劇仲間らしい)サラリーマンの男たちと待ち合わせをして、アングラ演劇のカリスマ、唐十郎の劇団「唐組」の芝居を観に行くくだりだ。

生活のために現在はアダルトビデオの監督に「甘んじている」けれども、本当にやりたいことはそうじゃない……。加山のそういう青い思いは、振り切ろうとして振り切れるものではなく、クライアントとの打ち合わせの際にやたら詩的な舞台設定を熱く語ってしまうなど、普段の仕事にも端々にその思いがにじみ出ている(彼よりも「リアリスト」である同僚達は、そんな加山の「癖」をやや冷ややかに見ている)。

唐組の芝居を観た翌日、加山は思い立ったように自宅にある古い荷物をあさる。発見したのは、若かりし頃に自らが撮った(憧れの女性に捧げられた)短編映画を収めた8mmフィルムだ。

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