グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
3月28日は、編集者でライターの柿本真希さんが登場。編集者になった経緯やニュージーランドへの母子留学のお話、柿本さんが制作されている女性の決断にフォーカスした本についてお伺いしました。
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全ジャンルを読んでいた、大好きな雑誌の世界で2年間の編集アシスタント
Celeina(MC):まずはプロフィールをご紹介します。柿本真希さんは、さまざまな媒体やカタログにて編集、執筆、連載、インタビューを担当。2012年から2年半ニュージーランドへ母子留学し、2014年の秋に帰国してからは、エディター、ライターに加え、ディレクション、キャスティングなど多岐にわたって活躍中です。昨日、番組に出演してくださった高島さんは、柿本さんのことを「しなやかな人」とおっしゃっていました。
柿本:番組が始まる直前に、高島さんから「なんて表現したらいいか分からない」とLINEがきていました。「楽しみにしています」とふざけて伝えたら、すごくベタ褒めしていただいて(笑)、優しい方だなと思いました。
Celeina:まず、柿本さんが編集を始めたきっかけを教えてください。
柿本:大学3年生の時、就職活動を始める前に、アルバイトとしてライターと編集のアシスタント募集に応募しました。面接に呼んでいただいて、そこからアシスタントに就かせていただきまして、大学卒業と同時に、独り立ちしました。
奥浜(MC):大学卒業して、すぐに独り立ちを?
柿本:はい。2年アシスタントをした後に独立して、そのまま今に至ります。
Celeina:幼い頃から、雑誌を読むことはお好きだったんですか?
柿本:高校や大学時代は、全ジャンルの雑誌を読んでいました。男性向け雑誌やカルチャー誌、ギャル誌、ストリート誌、音楽誌も。あまりジャンルを決めないで、雑多に読むことが好きでした。
奥浜:他の媒体に比べて、雑誌はこれを紹介したいという熱が濃く詰まっている感じがします。
柿本:そうですね。特に昔は雑誌に熱がある時代だったので、たくさん発行されていました。
Celeina:編集者の業界は上下関係が厳しいという話を聞いたことがありますが、いかがでしたか?
柿本:昔はかなりそうだったと思います。私がアシスタントをしていた時、現場では映画の『プラダを着た悪魔』に出てくるような上司と部下の関係性が普通でした。
奥浜:上司に出すコーヒーは熱々じゃないといけないみたいな。
柿本:はい。でも、それはスタイリストでもカメラマンでも、アシスタントという立場は全員そうでした。もしかしたら今では問題になるかもしれませんが、当時はそこに対して疑問を持つこともありませんでした。むしろ、あの時に厳しくしていただいてありがたいなと思っています。
Celeina:師匠につくお弟子さんみたいな関係性だったんですね。
奥浜:師匠の好みを把握することは、一緒に仕事する相手の希望を理解して、導くことに繋がると思うので、大事なプロセスかもしれないですね。
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価値観が真逆に。ニュージーランドで学んだ豊かな暮らし
Celeina:ニュージーランドへ母子留学されていたそうですね。
柿本:子どもを2人連れて、3人でニュージーランドへ留学しました。当時の旦那さんに日本から送金していただいて、2年半住んでいました。
奥浜:なぜニュージーランドだったんですか?
柿本:当時駒沢で住んでいたマンションに引っ越してきた家族が、ニュージーランド人の旦那さんと日本人の奥さんと子どもたちで、私の子どもと年齢も近いこともあって、仲良くなったんです。彼らがニュージーランドへ戻る時に「いつか私たちも、子どもを留学させたいと思っているんだ」と話したら、「早い方がいいんじゃない? 一緒においでよ」と言ってくれたので、じゃあ行こうかなと決めました。ニュージーランドには行ったことがなくて、いきなり住んだので、相性があっていてよかったです。
Celeina:その決断力がしなやかです。お子さまはおいくつだったんですか?
柿本:小学校2年生と幼稚園の年長でした。まったく英語が喋れない状態で、いきなり現地の学校に入学したので、すごく泣いていました。
奥浜:留学していた2年半で、言葉も話せるようになったんですか?
柿本:はい。子供は早かったですね。最初は泣いていましたが、3、4日したら友達と手を繋いで帰っていました。
Celeina:柿本さんがしなやかマミーだから、お子さんもしなやかキッズなんですね。すごい適応力です。
奥浜:柿本さんご自身は、いかがでしたか?
柿本:もともと英語を大学で学んでいたのですが、まったく喋れない状態で行ったので、分かっている風な感じで、やりすごしていました(笑)。相手の表情で、面白いことを言いそうな雰囲気は分かるので、何か言ったら、ギャグの意味が分からなくても笑っていましたね。
Celeina:ニュージーランドで2年半過ごされて、帰国する時はどんな心境でしたか?
柿本:帰国したくなかったです。ニュージーランドにいる間は、こんなに豊かな暮らしがあるんだと毎日驚いていました。日本で編集の仕事をしていると、徹夜してそのまま撮影へ行くことが多いのですが、ニュージーランドは、夜にしっかりと寝て、朝早くからランニングをしたり、広いお庭でバーベキューをしたりする暮らしが普通だったので、価値観が真逆になりました。
Celeina:帰国してから、日本での暮らしに対する考え方やご自身のメンタルのあり方などに変化はありましたか?
柿本:何を大切にして生きていくのかについて、考えられるようになりました。それまでは、ブルドーザーのように目の前の仕事に取り組んで、家に帰って家事をして、子育てをするという、こなすという感覚が少しありました。だけど、ニュージーランドへ留学して、どう生きていきたいのか、大切なものは何なのかについて考えさせられました。そして、現地の方が皆さん親切だったので、人に優しくすることについて、もう1度学んだところもあります。
奥浜:毎日ブルドーザーみたいに生活を送っていると、ニュージーランドへ行くと豊かさって何だろうと考えるきっかけになりますよね。
柿本:夜って真っ暗なんだということにも驚きましたね。そして、お父さんが18時に帰ってきて、家族皆んなで海でご飯を食べて寝るという生活を、私が徹夜している間に送っている人たちがいたんだと知って、少し泣いたりもしました。
Celeina:今、留学することを迷っていたり、海外へ飛び出してみたいと悩んでいたりするリスナーに向けて背中を押すような言葉をかけるとしたら、何を言いますか?
柿本:長く行かないといけないとか、そこまで気負わないでほしいです。私自身、相談を受けることもよくあって、「親も子どもも価値観が変わるから、1ヶ月でもいいし、行ってみたらいいよ」と話しています。実際に、私の話を聞いて留学される方も多いです。
Celeina:では、ここで1曲お送ります。柿本さんに、この時間にラジオでみんなで一緒に聴きたい曲を選んでいただきました。選曲理由を教えてください。
柿本:ニュージーランドへ留学してすぐに息子のお遊戯会があって、その時に使われた曲になります。息子は踊りが覚えられなくて泣いて、私は息子が着るカニの衣装を作らなくちゃいけなかったけど、作れなくて泣きました(笑)。そんな思い出の曲を、久しぶりに息子と聴き直したら、「歌詞がすごくいいね」という話になりました。あの頃はわからなかったけど、心が緩む曲だなと思います。The Beatlesで “Octopus’s Garden”。