メインコンテンツまでスキップ
NEWS EVENT SPECIAL SERIES

問題作『クラブゼロ』監督に訊く 「人はなぜ洗脳されてしまうのか?」

2024.12.5

#MOVIE

私は今、自分の欲望を飼い慣らしている。食べないということは、自分の意思で自分の体と心を制御できているということ。多幸感と高揚感が止まらない。なぜ? 私は不食を実践できる特別な存在だから……。

そうして食を否定した先にあるのは? ジェシカ・ハウスナー監督は、『クラブゼロ』でカルトや洗脳のしくみを描き出す。舞台は多感な思春期を過ごす生徒たちが通う寄宿学校。自身のアイデンティティを見つけようと模索する彼らの心の隙間に、不食を説く栄養学の教師・ノヴァクの言葉がするりと入り込む。ハーメルンの笛吹き男の物語さながら、ノヴァクに従い始めた生徒たちは、一体どこへ進んでいくのか。

前作『リトル・ジョー』を越え、さらなる不快感を描いた本作を作り出した、ジェシカ監督の思想とは。そして、支配する / される関係は、どのようにして起こるのだろうか。ジェシカ監督に話を聞いた。

※本記事には映画本編の内容に関する記述、および摂食障害に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

ジェシカ・ハウスナー(Jessica Hausner)
オーストリアのウィーン出身。『カンヌ国際映画祭』ある視点部門に出品された長編監督デビュー作『ラブリー・リタ』(2001年)で国際的な注目を集め、続くホラー映画『ホテル』(2004年)も同部門に出品された。『ルルドの泉で』(2009年)で『第66回ベネチア国際映画祭』の国際批評家連盟賞ほか5部門を受賞。以降のカンヌ出品作に『Amour Fou』(2014年・ある視点部門)、『リトル・ジョー』(2019年・コンペティション部門)、『Club Zero』(2023年・コンペティション部門)などがある。2016年には、ある視点部門の審査員も務めた。

自分の考えを心から信じている、実在するカルトのリーダーから着想を得た主人公像

ー『クラブゼロ』は、『第76回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門に正式出品されています。現地では、作品に対して賛否両論があったと伺ったのですが、監督はそういったリアクションをどのように受け止めましたか?

ジェシカ:私の作品としては普通の反応でした。自分の映画は、観客を真っ二つに分ける作風なのかなと自負しています。気に入ってくださる人もいれば、自分の期待していることが描かれていないと怒る人もいるような映画ですから。今は、賛否どちらの意見も生まれることが褒め言葉のように感じています。

ジェシカ・ハウスナー(『第76回カンヌ国際映画祭』レッドカーペッドの様子 ⒸKazuko Wakayama)
『第76回カンヌ国際映画祭』レッドカーペッドの様子  ⒸKazuko Wakayama

ー本作では、食事や栄養学が主なテーマになっていますが、どうしてこういった題材について描こうと思ったのでしょうか?

ジェシカ:この映画は「操ること / 操られること(manipulation)」についての作品です。どんな考えも自分の頭の中でどんどん成長して、過激化する可能性があると思いますが、テーマに食を選んだのは、トピックとして実存主義的だからです。

生きている私たちにとって避けられないものであり、同時に体に直接入れるという親密さやパーソナルな側面がありますよね。さらに、何を食べるかや食べ方についてなど、食には文化や社会的なルールとの関わりもたくさんあります。このように、私たちの人生に深く関わっているというところが面白いなと思いました。

名門校に赴任してきた栄養学の教師ノヴァクは【意識的な食事/conscious eating】という「少食は健康的であり、社会の束縛から自分を解放することができる」食事法を生徒たちに説く。親たちが気付き始めた頃には時すでに遅く、生徒たちはその教えにのめり込んでいき、「クラブゼロ」と呼ばれる謎のクラブに参加することになる。栄養学の教師が導くのは、幸福か、破滅か―

ー栄養学の教師であり、生徒たちに「意識的な食事(conscious eating)」を教えることになる主人公ノヴァクを演じたミア・ワシコウスカ(Mia Wasikowska)へは、監督が直々にオファーしたそうですね。2人でノヴァクの人物像について話し合いながら、役のイメージを明確にしていったと伺っています。ミアとはどのような会話をしたのでしょうか?

ジェシカ:彼女とは、非常に興味深いリサーチをしました。カルトを抜けた方に話を伺ったのですが、私は「なぜカルトを始めるのか」について興味があったので、特にリーダーの方がどんな方なのかを調べていきました。権力を持ち、他者を自分の支配下に置きたいと考えるサイコパスのようなリーダーもいたのですが、一方では、自分が行っていることを本当に信じているリーダーもいました。彼らは、自分の考えは正しくて良いことなので、信者に伝えたいと心から思っている。私は後者の人物像が面白いと思いました。この人物がまさにノヴァクです。

「意識的な食事(consious eating)」を実践する生徒たち

ジェシカ:つまり、ノヴァクは自分がいいことをしていると完全に信じているんです。神と自分は繋がっていて、神からの啓示やメッセージを子どもたちに伝えている。ある種、聖人のような人間です。聖人というのは、背景を調べていくと実は結構過激だったりするんですよね。

ノヴァク

どんな境遇にいる子どもも操られる可能性がある

ーノヴァクが受け持つクラスの中で、彼女の考えを信じてのめり込んでいく生徒もいれば、疑問を抱き、途中で授業を受けるのをやめる生徒もいます。2つのグループの間には、どのような違いがあったと思われますか?

ジェシカ:操られることに対して抗うことができる人もいれば、できない人もいる。その理由はとても重層的なものなので、簡潔に答えるのは難しいですね。

ただ、もしかしたら大切なのは「知識」なのかなと思っています。知識があればあるほど、ある概念に対して、それを信頼してもいいのか、間違っているのかをより自分の尺度で決められるし、すぐに乗っ取られるようなことはないと思うので。あと、「今自分が操られているんだ」と自覚できることも大事だと思います。

「意識的な食事」を実践する生徒の一人・フレッド

ーノヴァクの教えにのめり込むようになる生徒たちの親子関係についても丁寧に描かれていた印象がありましたが、どういう意図があったのでしょうか?

ジェシカ:万華鏡じゃないですが、さまざまな親子関係を見せたかった、という意図がありました。この映画では、シングルマザーの男の子や、家族が海外で暮らしていて、休日も1人で過ごしている男の子、裕福な家庭で母親も同じように摂食障害がある女の子、なんでもやらせてくれるリベラルな親を持つ女の子などが出てきます。

「意識的な食事」を実践する生徒の一人・エルサとその家族

ジェシカ:色々な家族を見せることで、「こういう家庭に生まれた子どもだから簡単に操られてしまうんだ」というふうに見せることを避けて、どんな境遇にいる子どもも操られる可能性があると示したかったのです。例えば、裕福な家庭と、生活に困っているシングルマザーの家庭というように、経済状況が異なる家庭が登場しますが、どちらの子どももノヴァクに操られていきます。

それに、シングルマザーであるベン(サミュエル・D・アンダーソン)の母親なんて、子どもへの愛に溢れていますよね。ベンのことを本当に考えていて、ノヴァクの教えに従って子どもがだんだんと食事を摂らなくなるという事態の異常さもしっかり理解している。それでもベンの考えが過激化していくことを止めることができません。なので、親のせいではないということも伝えられればと思っているし、他者の考え方を操るということがしばしば起きてしまうのは、社会的な部分が関係しているということも見せたいと思っていました。

ー海外メディアのインタビューで、監督は「親がこんなに働かないといけない社会のシステムに問題を感じる」とおっしゃっていました。シングルマザーとしてベンを育てる母親のキャラクターには、そういった考えが重ねられているように思います。

ジェシカ:今の世の中は、誰もがたくさん働かないといけないですよね。では、働く間誰が子どもたちの面倒を見るのかという問題は、いまだにどの社会も解決できていないのではないかと思います。西洋では、一昔前までは半日だけ働いて、午後から子育てをするようなケースが多かったんですが、不況の煽りで、女性もフルタイムで働くことが望まれています。ですが、誰が育児をするのかについての議論は出てこないんです。それがすごく変だと感じます。

今の社会では、成功や、効率、どれくらい儲けられるかみたいなことばかりが語られているけれど、公立の学校に行っていれば先生たちが無料で子どもたちの面倒を見てくれるわけですよね。しかし、その教師たちに対して、私たちは感謝の意を全然伝えられていないのではないかということも感じます。

「意識的な食事」を実践する生徒の一人・ラグナとその父親

ーベンの母親は、生徒の親たちの中で最初に校長先生にノヴァクの教育方針がおかしいのではないかと話をしに行きます。しかし、経済的に弱い立場であるために、ノヴァクを信じる校長先生からは軽くあしらわれたような印象がありました。学費が高い寄宿学校に存在する、経済的な格差が見え隠れしているようにも思いました。

ジェシカ:まさにそうですよね。彼女が最初に真実に気がつき正しい主張をしているのに、誰も耳を傾けようとしません。校長先生や他の親たちは、彼女が貧しいが故にその言葉を信じないわけですが、これはある種、この作品の皮肉でもあります。

私たち人間は知識ではなく、自分の信じていることに突き動かされている

ーエルサ(クセニア・デヴリン)が両親の前で嘔吐し、その吐瀉物をもう1度食べるシーンは、思わず目を覆いたくなるような衝撃がありましたが、隠さずにカメラに収めていました。今回、センシティブなシーンもそのまま撮影したのには何か理由があるのでしょうか。

ジェシカ:この映画自体が、概念や考え方が過激化していくことを描いている映画ですが、それを見せるシーンでもあるからです。一連の流れをカットを割らずに長回しで撮っているのは、そこまでやるんだということを表すためでした。通常の私たちや、それまでのエルサだったらやらないようなことをやるほど過激な状態であることを見せるシーンであると共に、過激になりすぎると自分自身をも傷つけてしまうということを見せる意図もあります。

エルサ

ジェシカ:「食べない」という食の否定がこの映画の大きな一部でもあるわけですが、この行為を続けていけば体は朽ちていき、自傷行為となって、ゆくゆくは死んでしまう。でも初めのうちは、「食べることを否定する」ことは、魅力的で中毒性があることなんじゃないかと思います。自分の体が求めている食べ物を自分であえて否定することで、自分が強いと感じられ、幸福感を覚える。自分へのエンパワーメントになるんですよね。だからこそ依存や中毒に繋がって、摂食障害になっていく。そういった繋がりがあると思っています。

ーエルサが吐瀉物を食べるシーンは、彼女の信念を象徴するようなシーンだと思いました。映画の最後にも「信念が大切」という言葉が出てきますが、この作品においてそれは1つのキーワードになっていますよね。

ジェシカ:信念(faith)は必要だと思います。ただ、何も食べないことを信念とした「クラブゼロ」に入会した子どもたちは、あのまま飢え死にしてしまうか、この世ではない天国のような場所に足を踏み入れていくわけなので、皮肉な終わり方ですよね。ラストシーンで、失踪した子どもの親たちと校長先生が集まって話し合いますが、彼らは子どもたちがなぜ「クラブゼロ」に入会するほどまでに、不食に魅力を感じてめり込んでいったのかを理解できない。それは観客も一緒だと思います。

そういうわからないことに出会った時に、人は何かを信じ始めるのではないかと思っています。「知らないことが信じることであり、信じることは知らないことである」という言葉がありますが、どの社会においても、人間は知識ではなく、自分の信じていることに突き動かされていると思います。私たちは、科学的なことが自分たちの行動のベースになっていると思い込んでいるけれど、実は知識ではなく、自分の脳裏にある信念に突き動かされているんです。

『クラブゼロ』

CLUBZERO_poster_B2_outline

出演:ミア・ワシコウスカ
脚本・監督:ジェシカ・ハウスナー 撮影:マルティン・ゲシュラハト
2023年|オーストリア・イギリス・ドイツ・フランス・デンマーク・カタール|5.1ch|アメリカンビスタ|英語|110分|原題:CLUB ZERO|字幕翻訳:髙橋彩|配給:クロックワークス
Ⓒ COOP99, CLUB ZERO LTD., ESSENTIAL FILMS, PARISIENNE DE PRODUCTION, PALOMA PRODUCTIONS, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, ARTE FRANCE CINÉMA 2023

公式サイト:klockworx-v.com/clubzero/
公式X:@clubzeromovie
12月6日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国公開

RECOMMEND

NiEW’S PLAYLIST

編集部がオススメする音楽を随時更新中🆕

時代の機微に反応し、新しい選択肢を提示してくれるアーティストを紹介するプレイリスト「NiEW Best Music」。

有名無名やジャンル、国境を問わず、NiEW編集部がオススメする音楽を随時更新しています。

EVENTS