「魔法少女」という言葉に、願いと絶望、そして契約の「過酷さ」を重ねた2011年のTVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』。願いと引き換えに過酷な運命を背負う少女たちの物語は大きな反響を呼び、2012年にはTVシリーズを再編集した劇場版前後編、2013年には『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』が公開された。
その中心にいる一人が、斎藤千和演じる暁美ほむらだ。ほむらは鹿目まどかを救うため、何度も同じ時間を繰り返してきた。『叛逆の物語』では、自らの感情を「愛」と名づけ、まどかを人間として生きられる世界へ連れ戻す。しかしそれは、まどか本人の選択を書き換え、自らが作り変えた世界へ閉じ込めることでもあった。
ほむらは、まどかを救ったのか。それとも、愛する相手の意思を奪ったのか。シリーズ開始から15年を経て公開された『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』を前に、斎藤に聞いた。長くほむらを演じてきた彼女の言葉から見えてきたのは、その愛を支える「約束」と、失敗を抱えて先へ進むことのできない少女の姿だった。
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「答え」はわからないまま——斎藤千和にとっての『まどか☆マギカ』
―『ワルプルギスの廻天』の台本を初めて読んだとき、物語にどのような印象を受けましたか?
斎藤:まず台本をいただいて、「うわあ」と思いました(笑)。特に戦いの場面は、ト書きを読んでも本当に何が起きているのかわからなくて。「わけがわからないよ」って。でも、それが『まどか☆マギカ』だなとも思いました。
たぶん、答えが出てしまうと『まどか☆マギカ』ではなくなってしまう。それぞれが自分で解釈して、自分の答えを持てばいい。そこまで含めて『まどか☆マギカ』なんじゃないでしょうか。
―理解できない部分について、監督や制作陣から説明を受けることはありますか?
斎藤:わからないところは、わからないまま演じています。きっと、言葉では説明できない部分もあると思うんです。わからないままでも、それぞれのセクションが全力を尽くす。私たち演者も、台本からわかることを最大限にやります。それを受け取った方たちが、さらにすごい絵や音楽を重ねてくれる。お会いしたことのない方も含めて、作品に関わる人たちへの信頼があるんです。
だからこそ、演技ですべてを埋めないことも意識しています。あとから入る絵や音楽のための余白を作る。こちらの演技を受け取って、きっとそこにピタリと合う表現を返してくれる。そう信じられるから、自分たちだけでやりすぎず、ほかの方たちに委ねることができる。『まどか☆マギカ』の制作現場には、そういう感覚があるんですよね。

声優。3月12日生まれ、埼玉県出身。主な出演作は、アニメ『物語』シリーズ(戦場ヶ原ひたぎ)、『ケロロ軍曹』(日向夏美)、『魔法少女まどか☆マギカ』(暁美ほむら)など。
―斎藤さんの収録時はどのような映像の状態だったのでしょうか?
斎藤:アフレコの時点では、基本的に劇団イヌカレー(泥犬)さんの異空間や、作画のすべては入っていません。TVシリーズのときも、魔女がどんな姿なのか、放送を見るまでわかりませんでした。映像になったからといって、すべての意味がわかるわけでもないんですけど(笑)。
ただ、それを作る方たち全員が、100%以上の力で取り組んでいることは、ものすごく伝わってくる。それだけで十分なのかなとも思います。完成したものを見ると、「すごい魔法だな」と感じますよね。
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足掛け15年、暁美ほむらを演じ続けて
―『叛逆の物語』から13年を経ての新作収録となりました。以前の感覚へ戻れるか、不安はありましたか?
斎藤:ありましたね。収録前に別の仕事で会うと、みんな同じように「できるかな」と不安を口にしていました。でも、収録が始まると割とあっさり戻れたんです。それぞれの居場所というか、キャストのみんなが集まることで、パズルのピースがぽんぽんとはまっていく感覚があって、収録自体はとてもスムーズに進みました。
以前から、作品について迷ったときは、隣にいるまどか役の悠木碧ちゃんに「これは『まどか☆マギカ』として大丈夫?」と聞いていました。碧ちゃんに「大丈夫です」と言ってもらえたら、「よし、これでいいんだ」と自信を持って演じる(笑)。それが、私なりの確認方法でした。
―斎藤さんが最初にほむらを演じたとき、どのような少女だと捉えていましたか?
斎藤:最初のオーディションでは、私はキュゥべえ(※)と上条恭介(美樹さやかの幼なじみ)を受けていました。
その場で急に「ほむらの原稿も読んでみてほしい」と言われて、原稿をいただきました。当時はおそらく、ほむらについて一番何も知らない状態でオーディションを受けたと思います。本当に、その場で原稿から受けた印象のまま演じました。
でも今も、そのくらいのほうがいいんじゃないかと思っていて。ほむらは世界を牛耳っているように見えて、実は一番翻弄されている人なのであまり考えすぎず、素直に演じることを大事にしています。
※キュゥべえ:少女たちのもとに現れ、願いを叶える代わりに、彼女たちを魔法少女へと変貌させる謎の生物。友好的かつ理知的に話すが、その目的は魔法少女が絶望して魔女になる際に発生するエネルギーを使い、宇宙の寿命を伸ばすことだった。「叛逆の物語」では、魔女となりつつあるほむらを利用し、円環の理を支配しようと目論んでいたが、悪魔となったほむらに阻まれる。

―ほむらを演じ始めてから15年が経ちました。斎藤さん自身は、仕事との向き合い方に変化を感じますか?
斎藤:20代の頃は、とにかくたくさん仕事をして、どんどんのめり込んで、仕事が世界の中心という感覚でした。でも今は、仕事が私にとって「ご褒美」に近いものになっています。
育児をしていると、自分ではコントロールできないことがたくさんあるんですよ。頑張って食事を作っても、子どもが食べてくれなかったり(笑)。こちらが努力した分だけ、思いどおりの結果が返ってくるものではないんですよね。その点、演じる仕事では、自分が努力できる範囲を自分で引き受けられる。真摯に向き合ったものが相手に届けば、答えとして返ってくる。今は仕事をしている時間が、私が一番きらきらできる場所なのかもしれません。

斎藤:以前は「自分が100%コントロールして、それ以上の力を出し、完璧にやろう」と気負っていたところがありました。今は、台本が私のところへ来るまでに、どれだけの時間と人の思いが重ねられてきたのかを、以前より感じます。自分のために仕事があるのではなく、たくさんの方の仕事を受け取り、自分の役割を果たす。そのありがたさを知って、少し謙虚になったのかもしれません。
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暁美ほむらは「結構普通の子」
―TVシリーズでほむらの過去が明らかになることも、最初から知っていたわけではなかったのでしょうか?
斎藤:知ったのは収録の1、2日前、台本を受け取ったときです。「嘘でしょ?」と思って、ほかのキャストに「ねえ、台本見た?」と聞いてまわりました(笑)。事前に渡された役の資料を読んで、知っていたキャストもいたようですが、私は知らなくて。
ただ私は、設定を知ったからといって芝居が大きく変わるタイプでもないので、そのまま収録に臨みました。
―シリーズでは、時間遡行を始める前の、三つ編みと眼鏡姿の気弱なほむら、転校生として現れるクールなほむら、そして『叛逆の物語』終盤の「悪魔ほむら」と、同じ人物の異なる姿が描かれてきました。ゲームなどの派生作品では、それぞれが個別のキャラクターのように展開されています。今回、改めてほむらを演じるにあたって意識したことはありますか?
斎藤:派生作品のなかで、それぞれの特徴が少しずつデフォルメされて、別々に大きくなっていたんです。それを一度全部捨てて、『叛逆の物語』を演じ終えたところのほむらへ戻ることが、唯一やったことでした。
特に悪魔ほむらは、派生作品のなかで少し「マダム」のような雰囲気になっていたので(笑)、いったん忘れようと。『叛逆の物語』本編で最終的に採用されたラストの演技へ戻ってみると、結構普通の子なんですよね。今回は「悪魔であること」をあまり意識せず、その普通のほむらから始めました。

―『叛逆の物語』は、その先が気になる終わり方でもありました。演じた当時、続きを意識していましたか?
斎藤:私は毎回、その作品をその作品できちんと終わらせるつもりで演じています。続編へつなげることを意識して演技することは、あまりありません。
ただ、作品として一区切りついても、そのなかにいる人たちの生活まで終わるわけではないと思うんです。ラストシーンに映っているのは、続いていく日常のなかの、たまたまその一日。だからお芝居をするときは、いつも「この人には次の日がある」と考えています。
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なぜ、暁美ほむらは「悪魔」となってまで、鹿目まどかを「取り戻したい」と願うのか
―TVシリーズから斎藤さん自身は年齢や経験を重ねてきた一方、ほむらは思春期の少女のままです。現在は、どのようにしてその感覚へ近づけているのでしょうか?
斎藤:最初にほむらを演じたとき、私はまだ20代で、まどか役の碧ちゃんは10代でした。碧ちゃんのまどかには、10代が持つ潔癖さのようなものが乗っていて、「そうだよね、この年代はこういう感じだよね」と思いながら演じていました。いま、娘がちょうど思春期に差しかかるくらいの年齢になってきたので娘を参考にしたということではないのですが、見ていると「そうか、このくらいまっすぐなんだ」と改めて感じます。

斎藤:私は年齢とともに、世界をもう少し俯瞰して見られるようになりました。でも思春期の頃は、自分に見えている範囲がすごく狭い。その狭さは、大人からすると苦しく見える一方で、羨ましくもあるし、とてもきらきらして見えます。
だから、ほむらを演じるときは、意識して視野を狭くします。彼女には、まどかしか見えていない。すごく悪魔的に振る舞っているようでも、実はそれほど広く世界を見ているわけではないから、すぐに不意を突かれることもある。そこも彼女の魅力だと思います。
―大人であれば、自分で環境を変えたり、諦めたりすることもできます。でも子どもにとっては、与えられた環境が世界のすべてでもありますよね。
斎藤:そうなんです。大人は、自分で選んだ場所だと思えば、その責任を背負うこともできるし、別の場所へ逃げることもできる。でも子どもは与えられた世界のなかで、もがきます。「ここが世界のすべて」だと思っているから、どうにかそこから抜け出そうとする。
苦しそうだと感じることもあります。でも同時に、大人が見守っている範囲でのもがきだから、ある意味では安全でもあるんですよね。それは、『叛逆の物語』でほむらがまどかを閉じ込めた世界の構図にも、少し近いのかもしれません。

―斎藤さん自身は、年齢を重ねて世界を俯瞰できるようになったとおっしゃる一方で、ほむらを演じるときには、意識して視野を狭くする。そのほむらが『叛逆の物語』で「愛」と呼んだ感情を、斎藤さんはどのように捉えていますか?
斎藤:執着が一番大きいのかなと思います。ほむらにとっては、「まどかとの約束」「まどかへの執着」という言葉が、一番近いのではないでしょうか。まどかが、ほむらの生きる意味になっている。最初に自分を見つけ、頼ってくれたまどかを救うことが、ほむらの原動力です。それは、ある種の執着ですよね。
―その一方で、ほむらの「まどかを取り戻したい」という願いは、まどか本人の願いとすれ違っているようにも見えます。ほむらの愛には、相手を思う気持ちだけでなく、支配的な面も含まれているのでしょうか?
斎藤:それが「執着」という言葉に表れているんだと思います。まどかは、それを望んでいないようにも見える。でもほむらは、「まどかの幸せのため」という地点にいる。それをやめたら、ほむらは生きていけなくなってしまうんじゃないでしょうか。まどかが自分を頼ってくれたことが、彼女にとってものすごく大きかった。だから、まどかとの約束を破れないのだと思います。
