2011年のテレビ放送以来、数々の熱狂を生み出し、社会現象を巻き起こしてきた『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズ。その正統な続編として、新房昭之総監督をはじめとするオリジナルスタッフが再結集し描かれる最新作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』は、長らくその全貌が待ち望まれてきた。前作『[新編]叛逆の物語』が残した衝撃的な結末から10余年、魔法少女たちは再びスクリーンに降り立つ。
近年は作品を「考察」することが流行した結果、評論や批評はクリエイターの意図を読み解くに徹するものだという誤解が生まれつつある。だが、本稿で考えるのは、制作陣の意志はともかくとして、作品が何を反映し、どのように受容されうるか。
作品の内部に答えを求めるだけでは、完結した作品の「続き」がなぜ今なお人々に望まれるのか、その理由が考えられない。ここではむしろ、作品と時代の意識の密かな共鳴についての話をする。誰もが「魔女」になりうる過酷な現代において、この物語は私たちにどんな希望と絶望を突きつけるのだろうか。
INDEX
リブート隆盛の時代に放たれる「正統な続編」
近年のアニメ分野では、有名作品のリメイクやリブートが活発だ。その理由については、若者のアニメ離れが叫ばれてみたり、ヒットを生み出せるオリジナル新作の減少など、さまざまな意見がある。
ただ、もともとポップカルチャーはリブートやリメイクを繰り返してきた。たとえば、大日本帝国が国家総動員法を施行した年である1938年に誕生した『スーパーマン』が、昨年ジェームズ・ガン監督によって新たにリブートされたように、同じ作品が何度もいろんな人の手によって描かれてきたわけである。

しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』の新作映画は、そうした潮流とは一線を画している。
かつての人気作でありながら、リメイクでもリブートでもない。ファンからずっと待ち望まれてきた「源流」に連なる完全新作なのだ。『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』とは、まさにそうした作品なのだ。