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実写映画『ルックバック』レビュー 原作が投げかけた問いへの、是枝監督の答え

2026.9.10

#MOVIE

2021年に発表され、多くの人に衝撃を与えた藤本タツキの漫画『ルックバック』が、是枝裕和監督の手で実写映画となった。

漫画表現が残した「余白」を、是枝監督はどう「埋めた」のか?

アニメーションでも漫画でもない、実写映画という表現手法がもたらした独自の「重み」や「豊かさ」を紐解く。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

身体的重みが宿るファーストカットと、2人の共作の始まり

女の子がひとり、窓に面した机に向かっている。コッコッコッコッコッ。少し丸まった背中越しに、鉛筆かシャープペンシルの乾いた音が響く。四角い窓枠の外に広がるのは、夜明け前の空。くろぐろとした闇の底にほの明るい群青と紫が混じった、一瞬で移ろう儚い色だ。だが彼女は一度も顔を上げることなく、蛍光灯の光のもと懸命に何かを書き続けている。

実写映画『ルックバック』は、原作にはない、こんな短いシーンで幕を開ける。スクリーンに映し出されるのは、小学校4年生で学年新聞に4コママンガを連載している主人公・藤野(七瀬ふうり)の背中。おそらくはクラスで新聞が配られる、その前夜の風景なのだろう。時間にすればせいぜい1分ほど、淡々とした描写の中にドラマティックな要素はほとんど見当たらない。と同時にこのさりげない導入部には、是枝裕和監督が『ルックバック』という漫画の実写化を手がけた理由が凝縮されているようにも思える。

自分の手を動かして何かを生みだすという行為に、フィジカルな重みを加えること。その歓び、しんどさ、費やされた膨大な時間を、俳優の身体を通してリアルに捉えなおすこと。もしそれが監督の目論見だとしたら、見事に成功していると言っていい。それくらい、ファーストカットに宿る息づかいは胸に迫る。

人気漫画家・藤本タツキによる原作は2021年7月、『少年ジャンプ+』で公開されて絶大な反響を呼び起こした。それは創作を巡る、美しくシビアな物語だ。

漫画の才能を周囲から絶賛され鼻高々だった藤野は、あるとき、学年新聞で京本(岡田六花)という不登校児の4コママンガを目にする。そして、会ったことのない同級生の圧倒的な画力に打ちのめされる。人生で初めて味わった大きな敗北感。負けず嫌いの藤野はスケッチブックと参考書を買い込み、猛然とデッサン練習を重ねるが、ライバルとの差は埋まらない。気持ちの糸が切れた彼女は一度、好きな漫画を投げ出してしまう。

やがて訪れた卒業式の日。担任に頼まれしぶしぶ卒業証書を届けにいった藤野は、初対面の京本から「私、藤野先生のファンです!」と告げられて驚く。

「藤野先生は漫画の天才です! それなのにどうして6年生の途中で4コマ描くのをやめたんですか?」なけなしの勇気を振り絞って発せられた京本の言葉。一番認めてほしかった相手に作品が認められ、冷静を装いつつも湧き上がる嬉しさを抑えられない藤野。ほどなく2人は「藤野キョウ」のペンネームで共作にのめりこんでいく──。

「不要不急」の時代に共鳴した、原作の「覚悟」と是枝監督の「覚悟」

是枝監督は、書店に平積みになった原作の単行本をたまたま手に取って、買ったその晩に一気に読み終えた。そして「作品に注ぎ込まれた覚悟に打ちのめされた」という。2021年秋、コロナ禍がまだ完全には収束せず、地域によっては緊急事態宣言が続いていた頃の話だ。

筆者が『映画ナタリー』で行なったインタビューで、是枝監督はこう語っている。

「あの時期は、社会全体が刺々しい空気になって、いろんな社会活動やエンタテインメントが“不要不急”の一言で切り捨てられたじゃないですか。何かしらの表現に関わる人間にとって、あれはとんでもなくキツい経験だったと思うんです。(中略)自分が好きでやってきたことは世界にとって本当に必要だったのか。そういうシビアな命題を多くの人が改めて突き付けられた。その問いに対して、『ルックバック』という作品はすごく誠実に向き合っていると感じたんです。どんなに無力感に苛まれても自分は描き続けるしかない。おそらく作者の藤本タツキさんはそう覚悟を決められたんだろうなと。自分と同じことを思っている人がここにいると感動した。映画とマンガでジャンルは違いますが、同じ作り手として背筋が伸びる思いでした。」

——“是枝裕和が藤本タツキ「ルックバック」から受け取った覚悟、実写映画化への思い”. 映画ナタリー. 2026. https://natalie.mu/eiga/pp/lookback

作り手の「覚悟」を真っ直ぐ受け止めた是枝監督が映像化を決意したとき、最大級の「覚悟」をもって撮影に臨もうと考えたのは想像に難くない。原作のエッセンスを決して損なうことなく、漫画にもアニメにもできない、映画ならではの表現を模索すること。その帰結が、前述したような実写映像のフィジカルな重量感であり、生身の俳優の表情や息づかいであり、もっと言うと藤野と京本が生きる世界の自然光の美しさ、2次元表現の余白にあたる豊かな細部だったのだと思う。

たとえば、藤野と相棒の京本が部屋にこもって、最初の投稿作品に打ち込む一連の流れを観てほしい。共作を始めて間もない2人の動作を、映画は一つひとつ実にきめ細やく掬い上げていく。ストーリーと登場人物を考える藤野の指先はまだぎごちなく、線1本を引くスピードも決して速くない。背景担当の京本は一心不乱にディテールを描き入れ、慣れない手付きでスクリーントーンを切り出す。黒ベタがうまく塗れないもどかしさ。インクが乾くまでの心躍るひととき。すべての描写が丁寧でみずみずしい。映画を観ながら、消しゴムかすのザラッとした手触りや、汗ばんだ腕が紙に触れるペトリとした肌感が蘇ってくるようだ。

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