画面の四隅へとはみ出すように配置されたウェブサイト。作家名も作品名も記さず、レーベルのロゴだけを表紙に大きく掲げた書籍――。
漫画編集部「よすみ」が打ち出すデザインや佇まいには、既存の漫画の売り方や読み方から、少しだけ外へ踏み出そうとする意志がにじんでいる。編集長を務めるのは、少女漫画の編集に携わったのち、一人で「よすみ」編集部を立ち上げた藁谷周太郎。
「よすみ」が掲げるのは、作品を既存の分類に閉じ込めない「ジャンルレス」という姿勢だ。漫画だけでなく、演劇や小説、短歌など異なるカルチャーを行き来するジャンル横断的な場をつくり、作家が描きたいものを読者へ「巡り届ける」。
そのために、ウェブ発の編集部でありながら、すべての作品を紙の本にすることにもこだわっている。ただし、それは過去の出版文化への原点回帰ではない。むしろ、電子漫画が主流となった時代だからこそ、紙の手触りや重さ、偶然誰かのもとへ渡っていく力を、新しいものとして捉え直す試みだ。
NiEW編集部も手に取った瞬間「これはとんでもない」と直感した、「よすみ」の漫画。編集長はどんな人なのか、気になって仕方がない。藁谷のカルチャーに関する原体験と来歴、批評への熱量をたどりながら、「よすみ」が目指す漫画の未来を聞いた。
INDEX

「カートゥーンネットワーク」にロアルド・ダール、星新一の幼少期から、高校では演劇へ
―藁谷さんは子供の頃、どんなものが好きだったんですか?
藁谷:僕が幼稚園の時は、『鉄腕アトム』や『トムとジェリー』などを繰り返し見ていました。ストーリーよりも、アニメーションの過剰な表現や、デフォルメされた絵に惹かれていましたね。

よすみ編集部、編集長。1996年生まれ。早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系を卒業後、2019年に大手出版社で少女漫画雑誌の編集者に。2024年にSORAJIMAへ入社し、一人でよすみ編集部を立ち上げた。現在も編集部員1名で、連載・読切あわせて20本以上を掲載 / 企画中。紙への思想、カルチャー横断の編集について日頃考えている。
―当時の子供の間で流行っていたのは『ポケットモンスター』とかですよね。
藁谷:友達の輪に入りたくて一応見てましたが、それよりも「カートゥーンネットワーク」でひたすら海外アニメを見るのにハマってましたね。アニメとアニメの間にやってた「レインボーアートデラックス」のCMを、今でも完コピできるくらい(笑)。流行りの真ん中ではなくて、絶妙にマイナーなものが好きだったんですよね。
―幼い頃からオルタナティブ志向だったという。
藁谷:海外アニメは1話完結のものが多くて、見やすいのも大きかったと思います。小説も好きでした。ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』『ダニーは世界チャンピオン』とかが好きで。小学生では星新一のショートショートにもハマったので、重厚な物語よりも短編の先を想像する方が好きだったんですよね。こういった感覚は、読み切り漫画が多い「よすみ」のスタンスにも通じるところだと思います。


―いわゆる日本の少年漫画に触れたのはいつ頃ですか?
藁谷:小学2年生の時に父が『ドラゴンボール』を全巻買ってくれて、めっちゃハマりました。8歳の僕にとって、少年漫画は大人になるための通過儀礼という感じでしたね。
―そこで漫画一筋にはならなかったんですか?
藁谷:ジャンプ漫画は教養として読んでいる感覚があって、「漫画も好き」という感じでしたね。中学では海外ドラマも音楽も好きで、高校に入ったら、クラスの友人の影響でラノベ、アニメ、ゲームにものめり込みましたね。

―高校では何に興味がありましたか。
藁谷:演劇にハマりました。高校の文化祭でなぜか演劇をやることになって、僕が脚本とか演出をやることになったんですよね。10分くらいの寸劇を書いたんですけど、けっこう面白くて。それで2年生では1時間くらいの脚本を書きました。3年生では1時間半の演劇をやって、映像も撮ったりして。
―どんどんのめり込んでいったと。その頃に影響を受けた劇団はありますか?
藁谷:高校生だったので、下北沢の小劇場の公演はけっこう無料で観られたんですよ。その中でも範宙遊泳さんの身体表現に心惹かれました。ミュージカルも好きだったので、帝劇で『ミス・サイゴン』を観たりもしましたね。そこから脚本家とか物書きになりたいと意識するようになって、早稲田大学の文化構想学部に入学したんです。観る側から作る側にシフトしたという意味で、高校時代は大きな転換期でした。
