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『急に具合が悪くなる』でカンヌを沸かす。濱口竜介の不思議な「キャッチーさ」の秘密

2026.6.18

#MOVIE

『ハッピーアワー』(2015年)、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)『悪は存在しない』(2023年)などの作品が、国内外で高い評価を獲得し、映画ファンから圧倒的な支持を集める映画監督・濱口竜介。最新作『急に具合が悪くなる』は、『第79回カンヌ国際映画祭』でも話題となり、主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が揃って「最優秀女優賞」を獲得した。

そんな濱口監督の作品は、ときに長尺で、哲学的な会話を含むような作風ながら、不思議と観客を惹きつける「キャッチーさ」を内包している。その魅力の秘密はどこにあるのか?

最新作『急に具合が悪くなる』の公開を機に、彼のキャッチーさの秘密に迫った。インタビューで濱口が明かしたのは、シネフィル作家としての姿ではなく、「一人の観客」としての顔だった。


※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

出発点は「映画を知らなかった頃の自分」。作家が見つめる、観客との距離感

―今回、『急に具合が悪くなる』の話の前に、濱口さんにお聞きしたかったことがあります。ご自身がしっくり来ない可能性もありますが、濱口さんの映画には「不思議なキャッチーさ」があると感じるんですよ。

濱口:不思議なキャッチーさ(笑)! それは、ありがとうございます。

濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
1978年12月16日、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が高い評価を得る。2015年、映像ワークショップに参加した演技未経験の女性4人を主演に起用した5時間17分の長編『ハッピーアワー』が、ロカルノなど国際映画祭で主要賞を受賞。『偶然と想像』(2021年)が『ベルリン国際映画祭』で「銀熊賞」(審査員大賞)受賞。『ドライブ・マイ・カー』(2021年)が『カンヌ国際映画祭』で「脚本賞」をはじめ4冠、『米アカデミー賞®』で「国際長編映画賞」を受賞。『悪は存在しない』(2024年)は『ヴェネチア国際映画祭』で「銀獅子賞」(審査員賞)を受賞、この受賞により『米アカデミー賞®』と世界三大映画祭すべてで主要賞受賞を果たした黒澤明以来2人目の日本人監督となる。最新作『急に具合が悪くなる』は、『第79回カンヌ国際映画祭』で「最優秀女優賞」を受賞。
あらすじ:パリ郊外の介護施設「⾃由の庭」施設長のマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)は、⼊居者を⼈間らしくケアすることを理想とする「ユマニチュード」という技法を導入しようとするが、人手不足やスタッフの無理解により、なかなかスムーズに導入できずにいた。そんなとき、マリー=ルーは森崎真理(岡本多緒)という日本人の演出家と出会う。がん闘病中の真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹(黒崎煌代)と行動を共にする俳優・清宮吾朗(長塚京三)の一人芝居。真理の演出する演劇に勇気をもらったマリー=ルー。偶然、出会った二人の交流が始まる。

―私がある場所で、「濱口さんの映画って、なんか不思議なキャッチーさがある」と、ポロっと言ったんです。そしたら、そこにいた知人たちが「すごいわかる」と、ひと盛り上がりしたことがあって。今回はその秘密を濱口さんに直接、伺ってみたいなと思いました。

濱口:キャッチーじゃなさそうなのにってことですね(笑)。

―そうです(笑)。『急に具合が悪くなる』も196分ですが、上映時間の長い作品も多く、かつ哲学的なセリフのやりとりが交わされたりする。世間の評価として、いわゆる「難解な作家の映画」と見られることも多いと思いますが、なぜか映画の世界に入っていきやすいというか、不思議と広く届く力がある。しかしそれは、いわゆるスペクタクルとは別のキャッチーさだと思うんです。

濱口:(イスに座り直しながら)たしかに、なんかあると思いますよ……自分自身も結局、一人の観客であるっていうのがまず大きいと思います。キャッチーなところがあると、どれだけ観るのが楽か、というのを経験として知っているので。もちろん映画をたくさん観ていくと、「こういうところもキャッチーなんだ」というように、細部のキャッチーさを発見できることもあるんです。でも、もちろんそういうふうに観る観客は多くはないので、一体どうやって多くの観客に「この映画の世界に入ってもらえるか」っていうのは、考えますね。

フリーの映画監督にとって、一本一本が勝負だから、というのもあると思います。一本、(興行的に)失敗をしたら、どうも次を撮らせてもらえるかはわからないものらしい。そういう状況もあるにはあるので、観客におもしろいと感じてもらえるかは当然、大事ですね。単に自分がやりたいことだけやっている、というわけでもない。

濱口:じゃあ、「これならいける」って思う瞬間はどこにあるのかと言うと……。さっきも言ったように一人の観客として、「これならいける……!」と自分自身が思える瞬間を、物語の素材を選択する際にひたすら繰り返している、という感じだと思います。

ある程度、映画に詳しくなり、映画を観る目が養われるようになったけれども、かつての自分は決してそうではなかったわけです。結局、そこが出発点であって、そこに戻って、「あの頃の自分にもわかるか」「楽しめるか」みたいな感覚は持っていると思いますね。

―「あの頃の自分」というのは。

濱口:映画について詳しく知らなかった頃の自分にも照らし合わせてわかるように、ということですかね。少なくとも単に「これがいいものである」とされているというだけの理由で、当時の自分が理解できなかったような作品を作ったら、その頃の自分に笑われるような感覚は持ってます。

―著書『他なる映画と 1』(著:濱口竜介 / 発行:インスクリプト / 2024年)も、いわゆる「わからない映画」を観ていて寝てしまった経験の話からはじまりますよね。その頃のご自身が体験として大きいということですね。

濱口:いやいや、寝ることは現在もガンガンありますから(笑)。むしろ40代になって昼食後に見るときとかは、必ず寝ると言ってもいい。

『急に具合が悪くなる』場面写真

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』からトレンディドラマまで。シネフィル以前の原点

―まだ映画に詳しくなかった頃の濱口監督は、どんな映画をおもしろいと感じたのでしょうか。

濱口:「どこまで遡るか問題」になりますが、小中学生時代だとやっぱり好きだったのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(ロバート・ゼメキス監督 / 1985年〜)ですね。「こんなにおもしろいものが世の中に存在するのか」と感じたし、今も映画づくりの基準としてあります。ものごとを反復するだけでも――だけではないんですけど――映画は十分に面白くなる、ということ。『ターミネーター』シリーズ(第1作はジェームズ・キャメロン監督 / 1984年)もやっぱり衝撃的におもしろかった気がしますね。今から思うと、ポール・バーホーベンの『トータル・リコール』(1990年)とか、シュワちゃんが出演している映画もおもしろく観ていたと思います。

濱口:高校に入ると、いわゆる「ミニシアターブーム」の作品に触れていきました。もう世間的には下火になりかけの時期だったかもしれませんが、ウォン・カーウァイのような、わかりやすくかっこいい映画や、十分にそのおもしろさを理解していたとは言えないですが、コーエン兄弟の作品などを観ていました。そして日本では、やっぱり岩井俊二監督でしたね。おそらくテレビで『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993年 / フジテレビ)を見たと思うんですけど、「他のテレビドラマとは何か違うな」と感じ、どうも「この映像作品を、裏で作っている人がいるんだ」ということを日本で初めて感じたのが、岩井さんだったんです。

―特別なものがあったのですね。。

濱口:映像の中に「作り手の、異常な欲望が映っている」と感じたような気がします。当時はそこまで言語化できていたわけではないですが、映像の後ろに誰かがいると感じた。そういうことをテレビを見ていて感じたのは初めてでした。それはまるで、見てはいけないものを見てしまったような感覚があったと思いますね。

―さきほどの「あの頃の自分」というと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかを観ていた時代になるのか、ミニシアター映画を観ていた時代になるのか、どちらでしょう?

濱口:そこは連続していると思いますね。あと例えば、さっきテレビドラマという話をしましたけれど、中高時代はトレンディドラマ最盛期でもあり、それらをよく見ていました。

そして大学に入ったら、映画をたくさん見る「シネフィル的な生活」へと突入したわけです。そういう中で、当時「わからない映画」を観ると、作品によっては観客としては観づらいものもあった。けど例えば、当時はゴダールよりはるかにトリュフォーを観やすく感じるわけですね。「例えば恋のさや当て一つあるだけで、どれだけ映画に入っていきやすいことか」という実感があったんですよ。

―たしかに恋のいざこざは、トレンディドラマに欠かせない要素です。

濱口:特に大学後期に出会った、エリック・ロメール(フランスの映画監督。1920年〜2010年)などの作品には、自分にとって観やすく感じられる要素がありました。既に観るようになっていた古典的ハリウッド映画を、日常的な映画の中に実に洗練した形で実現する方法も教えてもらった気がしました。あとは少し遅れて、大学院の時期に自分が発見することになる、ジャン・グレミヨン(フランスの映画監督。1901年〜1959年)という監督も、映画として優れていることはもちろんですが「恋、嫉妬、裏切り、執着……、なんと観やすいことか!」と思うわけですよ。グレミヨンは『PASSION』(2008年)っていう修了制作のかなり直接的な着想源になっていると思いますね。

必ずしもそういう要素だけに限らないですけども、人間の感情的な要素に少しでもフォーカスされていれば、一人の観客としてもすごく観やすいものになって、観ることを助けてくれるということは経験的に思っています。エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)なんかはまさにそうで、最初はVHSで家のテレビで見ていて、画面も暗くて、ほとんど何が何だかわからない。でも、シャオスーとかシャオミンっていう少年少女の心の交流の部分だけは確かに感じ取れる。そういうものに導かれて、少しずつ映画の扉を開いていった、という感覚はあります。

『急に具合が悪くなる』場面写真

往復書簡を「会話劇」にした、日仏の距離とユマニチュード

―今回の『急に具合が悪くなる』はもともと、人類学者の磯野真穂さんと、2019年に亡くなられた哲学者・宮野真生子さんによる往復書簡が原作ですね。これを観客に受け入れられる映画にできるかもしれないと思えたのはどのタイミングでしたか?

濱口:原作をオフィス・シロウズの松田広子プロデューサーにいただいたのが5年前でした。さすがに、往復書簡としてパソコンで文字を打って送り合う様子だけでは映画として成立しない。そこでシンプルに自分が思い浮かべたのが、会話劇です。デジタルでやりとりするのではなく、同じ空間にいる二人が、フィジカルに身体全体を使うようにして会話をするのであれば、映画になるだろう、と。ただ、原作の宮野さんと磯野さんのやりとり自体がアカデミックで知的なやりとりなので、どうすれば幅広い観客に受け入れてもらえるかは考えていました。

『急に具合が悪くなる』書影(著:磯野真穂、宮野真生子 / 発行:晶文社 / 2019年)

濱口:それから2年くらい経った時期に、シネフランスというフランスの制作会社から連絡をもらいました。そのとき、この企画を日仏の共同企画にすれば、いけるかもしれないと感じました。なぜならそもそもフランス映画には、会話劇の伝統があるからです。今にして思えば、これは元々の分厚い演劇の歴史も手伝ってのことかもしれませんね。兎も角、フランスであれば、この原作の精神を尊重したまま映画化できるのではないかと思ったんです。

このとき具体的に頭にあったのはロメールの『モード家の一夜』(1969年)です。『モード家の一夜』は、物語の中盤くらいは哲学的な対話をずっとしているような映画なんですが、そんな作品がフランスで100万人の観客を動員している。もちろん、そこにはやはり色濃く恋愛の要素があるのですが(笑)、そのことを知ったときは、「あの映画がそんなに売れるのか!」と驚いた記憶があります。

https://www.youtube.com/watch?v=UwltD5FR8Oc

―映画の舞台として、ユマニチュードを導入する介護施設を選んだのはなぜだったのでしょう?

濱口:お二人がそれぞれ東京と京都(あるいは福岡)でそれを書いていたように、主人公の女性二人にはある「距離」は必要になるだろうと思っていました。そして、二人のうち一人をフランス人、もう一人を日本人とすることで、「距離」が映画にも生まれ、そのことが二人をより強く惹きつけるだろうと考えました。では、その「距離」をつなぐ要素とは何か。このことを考えたときに、私が以前から興味を持っていた「ユマニチュード」というフランス発祥の介護の技法が思い浮かびました。この技法が目指す、認知症の高齢者個々に人間性を与え返そうとする態度は、お二人の往復書簡ともつながるような印象があったからです。

左から、森崎真理(岡本多緒)、マリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)/ 『急に具合が悪くなる』場面写真

濱口:ただしユマニチュードをどう扱うか、すぐにわかったわけではありません。最初は日本人介護士がユマニチュードをフランスに学びに行く展開を考えていました。実際にいくつかの施設を取材し、その中にはユマニチュードが非常によく機能している施設もあったんです。ただし、日本の現状と引き比べて、どうやってユマニチュードがここまでうまく取り入れられるようになるのか、そのプロセスが理解できませんでした。施設が元々、この技法が目指すような理念を持っていたのか、それともフランスの法制度がユマニチュードの助けになっているのか。

そんな中で、まさに映画の中で描かれたような問題を抱えている施設と出会いました。そのスタッフにもインタビューをしたのですが、特に看護師の人が印象に残っています。少し年配のその方はまだユマニチュードの研修を受けておらず「ああいう丁寧なケアは、一週間に一度ぐらいできたらいいと思います」と仰っていた。ハッキリとは言わなかったけれど、彼女の経験からはユマニチュードは介護の現場、その現実に適さない方法として見えていた。そこにはなんの悪意もない。「これはとてもおもしろい」と感じました。この方がソフィという看護師のキャラクターを発想するキッカケですね。

―ソフィは、ユマニチュード導入を推進しようとするマリー=ルーと意見が対立する人物ですね。キャリアも長く、自身がこれまで行ってきた介護の方法にもプライドはあると思います。

濱口:映画を観る人は、そもそもユマニチュードというものがわからない人がおそらくほとんどでしょう。すると、この技法が本当に存在するのかも不確かですし、どこまで信じていいのかもわからない状態で観る人が多いと思います。だからユマニチュードを導入したい側が、この技法に不信感を持っている人物とどうやってコミュニケーションを成り立たせることができるか、という話にするほうが、観客の身にも寄り添えるだろうと考えました。

また一見すると介護の理想のようにも感じられるユマニチュードも、魔法のように機能するのではないということ。そうした状況は、私にとっては極めて切実なものに思えたし、我々の社会そのものを反映しているようにも思えました。ここでの取材が映画『急に具合が悪くなる』の直接の着想源となりました。

ユマニチュードを取り入れようとする介護施設「自由の庭」の1場面 / 『急に具合が悪くなる』場面写真

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