乾いた虚無感が、歪んだギターサウンドの向こう側に揺らめいている。
日常の中に、うっすらと横たわる絶望。皆川溺の持つ才能は、それを音楽の中に解像度高く描き出すところにある。ジャンルで言えばオルタナティブロックということになるだろう。シューゲイザー的な要素もある。ただ、単なるスタイルとしてそれが鳴らされているのではなく、サウンドと精神性が深く結びついている感がある。
2006年生まれの彼は、早熟かつユニークなキャリアの持ち主でもある。中学生時代にボカロPとして音楽活動をスタートし、現在はシンガーソングライターとして活動。ライブでは「皆川溺集合体」として、バンドスタイルでのパフォーマンスを展開する。以下のインタビューでも本人が語っている通り、彼にとって大きなターニングポイントになったのが、向井秀徳やNUMBER GIRL、ZAZEN BOYSからの影響だ。
4月8日には“カマキリ”が配信リリースされた。<電車の窓から眺めていた>というリリックが印象的なこの曲。いわば「ウィンドウゲイザー」とも言うべきそのマインドはどのように形成されたのか。彼が暮らす東京西部の郊外の自宅にてインタビューを行った。
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ボカロPからバンド編成へ。きっかけはNUMBER GIRL
―まず曲を聴いた感想から。ギターの音が抜群です。
皆川:ありがとうございます。あんまり機材の知識がないので自分なりにやってるんですけれど。ただ、今の音楽のシーンでオルタナって言われてる人たちって、ジャキジャキして、ハイが抜けてるギターが多いと思うんですよね。それとは違う音作りをしたいとは思ってました。殴ってるみたいなギターの音というか。だけど、NUMBER GIRLの系譜ともちょっと違うみたいな。ラフだけど、パワーがある音を作りたい。

東京都出身、2006年生まれの音楽家。記憶、ケーブル、甲州街道、窓、スプライト、排水口、電車、プール、富士山、カナヘビ、マンホール、網戸、渋谷、ウサギ、曇天、血管、木漏れ日、スニーカー、暗闇、ペティナイフ──目に映る風景や、その断片の隙間に潜んだイメージを手がかりに、楽曲を制作している。2025年4月に1st album『TINY EYES SPARKLE EYES』を発表。
―ロックバンドって、ギターのジャーンって鳴らした時の音のかっこよさと、「ワン・ツー・スリー・フォー!」って言ってるカウントのかっこよさがあればオッケーみたいな美学があるじゃないですか。そういうものも感じます。
皆川:それはあります。野生的な部分っていうか。僕は向井(秀徳)さんが好きなので向井さんの話を出しちゃいますけど、向井さんは本能的にやってる部分と、ちゃんと整理してやってる感じがあって。もちろん僕もできればああいう音を出したいんですけど、できないので深く考えず、ギターをアンプにつなげて、歪みのエフェクターも王道のものにして。曲作りも音作りもパフォーマンスもシンプルにしようっていうのが最近のテーマですね。
―向井秀徳さん、NUMBER GIRLやZAZEN BOYSの影響が大きいということですが、どういう出会いでどういう衝撃だったんでしょう? いつ頃に知りました?
皆川:15、6歳の頃ですね。Xで音楽好きの人たちがNUMBER GIRLを神格化していて。最初は『フジロック(FUJI ROCK FESTIVAL)』の映像をYouTubeで見たんですよ。で、なんも良さがわからなくて。友達と「何がいいんだろうね」みたいに話してたんですけれど、いつの間にかハマっていって、解散ライブにも行って。
―どんなところが魅力的だと思いましたか?
皆川:潔いですよね。YouTubeに向井さんが嗜好品を語る動画が上がってるんですよ。キンミヤ焼酎が好きだとか。そういう時も、別に変なことは言ってないんです。ただただ喋ってる。その喋り方にも気品があるし、おしゃれだし。音楽性もそうだけど、そういうところもかっこいいなと思って無意識に真似してます。心の中で勝手に師匠にしているみたいな状態です。
―最初にNUMBER GIRLを知った時は、すでにボカロPとして音楽活動は始まっていた時期だったわけですよね。
皆川:そうですね。“遠泳”とかその後に出した曲はそれまでの曲とは何もかも違うと思います。
―向井秀徳からの衝撃が大きな人生のターニングポイントになった。
皆川:なってると思います。
―その前ってどんな感じでした?
皆川:その前はニコニコ動画でDECO*27とかハチとか聴いてました。単純にその頃の自分は人間としてあんまり自我がなかったっていうか。だからこそめちゃくちゃ曲を作ってたんだと思います。
―だからこそ10代半ばで決定的なものに出会って、そこで自分の美学が形成されたというか。
皆川:そうです。それで言うと岡村ちゃん(岡村靖幸)を聴き始めたのもデカいです。向井秀徳も岡村靖幸も、カッコつけてるんですけど、その中に圧倒的な寂しさとか虚しさみたいなものがあって。それが自分の中にあるものとリンクした。そこはデカいですね。

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深夜の渋谷のサイゼで知った虚無感がエネルギー
皆川:あとは正直、音楽もそうだけど、僕的にはバイトがでかくて。
―バイト?
皆川:僕、中1の途中から学校も行かなくなって、そこから通信制に入って。一応通信制の授業は受けつつ、普通に平日の昼間に渋谷のハンバーグ屋でバイトするようになったんです。それが16とか。そこには圧倒的に小さい社会があって。飲食店で、1日何百人も知らない人と話して。無礼なやつもいたし、日本人だけじゃなくて中国人、韓国人、アメリカ人とか、いろんな人がいて。そこでいろんな人のいろんな表情を見た。それもデカいですね。
―ご出身はどちらですか?
皆川:東京です。ずっと世田谷区で育ちました。

―東京生まれ、世田谷区育ちとしてのアイデンティティって、自分の中にはどういうものがありますか?
皆川:やっぱり、悪く言ったらボンボンじゃないですか。実家も苦しくないし。でも、学校の制度みたいなものが合わなくて行かなくなったんです。決定的な理由があったわけでもなく、いじめられたわけでもなく、なんとなく、面倒くさくなって。部屋で日中寝たり動画を見たりして。昼夜逆転して、朝まで起きてて散歩して。帰りにファミチキ買って食べてたらブクブクに太ったり(笑)。
自覚してなかったんですけど、たぶん鬱だったのかもしれない。実家から渋谷までチャリで通ってたので、終電も気にせず深夜に渋谷のサイゼリヤに行って、1人でご飯を食べてたら、周りはガヤガヤしていて。そういう時に感じていた虚しさみたいなものが、僕にとってのアイデンティティになってるなと思います。今の自分に影響しているし、エネルギーになってる部分もある。


―バンドを組もうと思ったのはいつ頃で、どんな理由でしたか。
皆川:なんでバンド形式でやろうと思ったんですかね? なんだろうな……発散したかったんですかね。
―でも、今までの話を聞いてたら、バンドやるのは必然ですよね。憧れたもの、人生を変えてくれた人たちの姿を見たら、バンドでしかできない表現をやろうと思うのは当然で。
皆川:そうですね。あと友達が欲しかったんじゃないですか。結果的に皆川溺集合体のメンバーはめっちゃ仲いいし。こういう存在があんまりいなかったから。小学校も中学校の時も仲良い人がいなかったので。小学校の体育の授業で校庭から教室に帰る時、大体みんな仲良い子とペアになって喋りながら帰ったりしてたんだけど、僕はいつも1人だったんですよ。そういう幼少期だった。だから友達が欲しかったんだと思います。
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世田谷の実家を出て郊外へ。不便さを「選択」した理由
―今の暮らしについても聞かせてください。今取材させてもらってる皆川さんの自宅は東京の西の郊外のかなり辺鄙なところですが、ここに住み始めたのはいつ頃ですか?
皆川:2025年の8月ですね。母親の知人の紹介で知って、内見してしっくりきたので決めました。
―距離的には不便じゃないですか?
皆川:相当不便ですね。
―でも、そこにメリットを感じたと思うんです。これってどういうところですか?
皆川:何かがあるんですよ。実際、この家の環境が刺激になることは沢山ありますね。駅から遠いし、バスも1時間に1本しかないし、終バスも夜8時くらい。駅からタクシー乗ることが増えたから“タクシードライバー”(未リリース)ができたりとか。“カマキリ”という曲も、すぐそこの公園の小川を想像して作りました。確実にこの家を中心に自分の創作が広がっている気がします。
―世田谷で実家住まいだった時には得られなかったものとして、世の中に対する「角度」というか、「あえて◯◯している」という発想があると思うんです。駅からも遠いし不便だし、だけどここを選ぶというのは「あえて」じゃないですか。
皆川:あえてです。これがオルタナティブだと思って。

―まさに。それをやってみて感じることはありました?
皆川:ありますね。遠いので、正直、今は引っ越したいですけど(笑)。でも、電車に乗ってると、どんどん人が降りていって、電車の中に自分しかいなくなる。終電だったら駅で降りるのは僕だけで。そういう時は僕しか味わえない環境がありますね。めちゃくちゃデカい声で叫んだりもする。そういうのが楽しいですね。

―その感覚は結構、作ってる音楽にも出てきているかもしれない。
皆川:出てきてると思います。最近、僕の曲に電車の風景があるなって気がついて。電車の車窓があって、そこから山が見えて、麓に街があって、そこからグラデーションで都会の景色になって、最終的には新宿に辿り着く。その感覚が曲に反映されていると思いますね。