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ゆうめい10周年『養生』レポート 夢を追う若者が、夢を諦め苦しむ10年間の末路

2026.2.5

#STAGE

舞台美術に注目。ゆうめい10周年『養生』再演ツアー

人生の幸不幸を、つい我々は他人と比べて推し量ってしまう。あの人と比べてまだ自分は幸せな方だと納得させたとしても、それは相対的なものにすぎず、自分の苦しみそのものが消えるわけではない。やはり個々人の苦しみは絶対的なものであり、それ自体が解消できなければ、本当の安心や幸福を感じることはできないだろう。ゆうめい『養生』の再演を観ながら、大なり小なり常に苦しみを抱えて生きる人生を、どのように肯定し得るのかを考えさせられた。

2024年2月に下北沢 ザ・スズナリで初演、第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した本作『養生』をもって、10周年を迎えた演劇団体のゆうめいは、2025年11月~12月にかけて6道府県を巡る全国ツアーを敢行した。

あらすじ:美大生の橋本(本橋龍)と、大学生の阿部(丙次)はショッピングモールの内装作業を行う夜勤バイトで出会い、意気投合した。当たりがきつく家庭内不和の渦中にいる正社員に陰で不満を漏らしながら「卒業したら、こうはならない」と笑い合う。数年後、2人はその夜勤の正社員になっていた。阿部は家庭を持ち、新入社員の清水(黒澤多生)を教育する。作家を目指していた橋本は、著名作家となった同期、佐伯の個展がショッピングモール内の人気ギャラリーで開催することを知り、その広告設営を担う。喪失した過去と現在とが対峙をしつづける、夕方から明け方への話。

ゆうめいの作品は、主宰する池田亮自身や家族について自伝的に綴る物語を、池田自身が手掛ける目を惹く舞台美術と共に表現する作風で知られる。近年の代表作の一つである本作もまた、まずは舞台美術が特徴である。

まっすぐに伸ばした3脚の脚立の端をコの字型につなげ、左に90度倒した物体。キャスター移動できるこの物体が、大小5基、舞台上に置かれている。その背景には、透明の養生テープが天井からすだれのように無数、垂れ下がっている。さらにその養生テープは床面を通って、舞台の地面まで貼られている。

初演は東京の小劇場で上演されたが、横浜公演の再演場所であるKAAT 神奈川芸術劇場の大スタジオは、その何倍もの広さがある。それに合わせて脚立の物体も3基から5基に増え、舞台美術のスケールが大きくなっている。この美術は、登場人物である橋本養(本橋龍)が、大学の絵画学科油絵専攻の卒業制作で創った作品である。これは実際に、東京藝術大学出身の池田自身が在学中に思いついたものの、当時の教授から否定されたアイデアらしい。

大学時代の橋本は大船の百貨店で、各種展示物やポスター掲示の設営を行う夜勤バイトをしていた。背景の養生テープは、過酷な労働環境を苦に辞めていった数々のバイトの人数を、床面の養生テープはそれでもしがみついている正社員を、そしてコの字型の脚立は、そんな労働へと誘う「地獄の門」に見立てた、百貨店の入り口を表現している。簡素な道具で夜勤現場を表した作品は、指導教官から「パッションが感じられない」と低評価を下された。

橋本養(本橋龍)

しかし同級生の佐伯だけは、脚立や養生テープを本来とは別の用途で使用することで表現した、搾取の構造を読み取って評価してくれた。そういった感想を書いた佐伯の「Twitter」の画面を唯一の誇りに、橋本は大学卒業後の10年間をなんとか過ごしてきた。卒業制作のコンセプトをゼミで発表する橋本のプレゼンから始まる物語は、社会人になった10年後と10年前を行き来しながら進む。舞台の展開に合わせて、コの字型の物体を移動させて地下の倉庫の片付けを表現したり、星形に折り曲げてクリスマスツリーの展示物を表現したりと、様々に変形させて場面が転換してゆく。

左:阿部一郎(丙次)、右:清水唯我(黒澤多生)

地獄の労働環境ながら、橋本は展示物が見学できる夜勤バイトは嫌いではなかった。そのため橋本は、同じアルバイトをしていた私大の経済学部卒の阿部一郎(丙次)と共に、この百貨店の正社員に収まり、同じ仕事を続けている。10年前には要領が悪くて仕事ができず、先輩社員・川口貴司(黒澤多生)にパワハラ的に注意されていた彼らも、橋本と同じ美大出身の新入社員・清水唯我(黒澤多生)を指導しながら、淡々と日々の仕事をこなすまでに成長している。川口と清水は、いずれも黒澤多生が演じる。川口が注意した阿部の失敗を、10年後には清水が全く同じミスをして阿部から説教される。立場が逆転して繰り返されるシーンが笑いを生む。

クリスマスを機に溢れ出す、各々の苦しみ

しかしこの10年間、立場は変わっても彼らの苦しみは癒えることがない。この苦々しさが、おかしみと悲哀を伴って描かれる。10年後のクリスマス。翌日から始まる展示会の広告を掲示するために、橋本たちはクリスマスツリーの撤去にとりかかる。その展示会とは、今や画家として成功している佐伯のものである。

橋本は、画家の道を諦めた自分が、成功した同級生の展示会のために、深夜労働をしてお膳立てしなければならない現実を突きつけられる。橋本は清水に佐伯のことを話す。親も画家で裕福な境遇にある佐伯は、社会で起こった大事件を取り入れ、コラージュした社会風刺の作品を作っている。自分は決して傷つかない安全地帯から政治的なメッセージを発する佐伯の創作姿勢に、橋本は思うところがないわけではない。

左:橋本養(本橋龍)、阿部一郎(丙次)

一方でニコニコ動画や配信サイトの歌い手を目指していた阿部は、尊敬していた歌い手と妻が不倫をしたことが発覚して離婚に至る。自分の子供がファミレスの配膳ロボットに登る様子をネットにアップして炎上した川口は、会社を解雇されてしまう。

左から橋本養(本橋龍)、川口貴司(黒澤多生)、阿部一郎(丙次)

そんな中、阿部のパワハラによって休職していた清水は、復職後、両親が離婚して奨学金で大学に通った自分とは異なる佐伯を「社会的強者だ」と批判しはじめる。そして佐伯が取り上げた事件で友人が犠牲になった経緯がある清水は、自分もアーティストとして自宅を開放し、社会的弱者を自由に受け入れる開放区を作る。また、阿部のパワハラを告発し労働環境を改善する活動も始める。しかし清水の自宅がネット上に晒されたことで、物見遊山の見学者が集まって大混乱。音楽を爆音で流しながらバーベキューをされたり窓を外されたりして、警察沙汰になってしまう。

左:阿部一郎(丙次)、右:清水唯我(黒澤多生)

そんな中、佐伯が自殺したという連絡が橋本に入る。思うところはあったにせよ、心の拠り所だった佐伯の自殺を知らされて混乱する橋本と、家族のために過酷な労働を10年間続けてきた阿部。彼らがクリスマスツリーを背景に、夢を自分から諦めて生活のために働く不遇さへの鬱憤を爆発させ、相手を非難し合い、最後に阿部が歌い手だった頃のように“アメイジング・グレイス”を叫ぶように歌う。いつまで経っても成功できず、満たされない人間の悲しみ。それをユーモラスに描く本作の頂点が、心の潤いを渇望する俳優の演技となって結実している。まさに地獄の門をくぐった人間たちの悲哀が、舞台全体にぶつけられている。

恵まれた環境でも悩みはある。苦悩から解放されることができるのか?

不幸な彼らが人生を肯定することは可能なのか。そのヒントは舞台美術にある。高所作業のために登る脚立や、作業現場での保護シートや布を仮止めする養生テープを、本来の機能とは異なる使い方で作った舞台美術。それは脚立や養生テープにとっては、「余計」な使われ方である。

左:橋本養(本橋龍)、阿部一郎(丙次)

それを人生に置き換えて考えたい。「余計」なものとはなんだろうか。人生において何が余計で何が有用なのかは、万人にとって一様ではない。恵まれた環境にある佐伯ですら自殺したのである。佐伯を追い詰めた一因は、本橋や清水のような、羨望と嫉妬の裏返しとなった批判がネット上に拡散されたことにある。

他者は人知れず多様な悩みを抱えている。その苦悩から解放されるには、人生の正解を強固に決めつけて求めないことだ。自分の人生はこうあらねばならないという理想が強すぎれば、そこから外れた行動が招く結果は、外から強いられた無駄なものに感じられる。

人生には無駄があり、それも含めて今がある。そのように捉えることで、苦労を人生にとって有用なものへと転換できる。そのような「無駄の存在感」というものが、物を別の用途に使った舞台芸術が主張している。道具がむき出しになったシンプルな舞台美術は、橋本の指導教官が評したように、ある意味ではチープで脱力的な一方で、巨大だ。だからこそ、人生を一面的に決めることの息苦しさから解消し、無駄を肯定するような説得力を持った存在としてそこにあった。

高知公演より

またこの舞台美術は、芸術の有用性についても考えさせられる。多くの人にとって、芸術は生きていく上では必要不可欠ではなく、無駄で不必要なものかもしれない。だが物を別の用途として使用した舞台美術と物語によって、無駄の有用性を観客に示唆した。そのことは、物の見方や考え方の違いを多様に見せる、芸術の存在価値そのものに通じている。

実は劇場に入った観客は、客席にそのまま着席するのではなく、舞台裏、垂れ下がった養生テープの裏を通ってから客席に着く導線が敷かれていた。そこにはこの舞台美術を一度、美術作品として観客に観せるというコンセプトがあり、初演から変わらない演出である。そして再演時の当日パンフレットには、池田による以下のあいさつ文が掲載されている。

目の前にある養生テープの裏と舞台は、皆様が既に通ったことにより過去となっています。その過去と、劇をつなぐ時をこれから始めさせていただきます。

ゆうめい10周年全国ツアー公演『養生』当日パンフレットより

この言葉を踏まえてラストシーンを観た私は、大きな示唆を得た。照明が落とされた倉庫で、阿部の一人目の子供の誕生と同じく、橋本は自分の誕生も、クリスマスの日に両親がセックスをしたことがきっかけだと彼に語る。聖なる夜に、性による生の誕生を語るおかしみが滲む。その後、背景の養生テープの後ろに、照明でシルエットになった男が手を振っている。その人物に橋本と阿部が手を振り返して幕となる。なんともセンチメンタルな印象を与える幕切れだが、シルエットの男は川口=清水である。しかし池田の言葉を念頭に置いたならば、このシルエットは橋本と阿部にとっての、ぞれぞれの過去の自分だと私は受け取った。橋本と阿部は過去の自分と対峙し、そして手を振ったのである。

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