※本記事には公演の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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舞台美術に注目。ゆうめい10周年『養生』再演ツアー
人生の幸不幸を、つい我々は他人と比べて推し量ってしまう。あの人と比べてまだ自分は幸せな方だと納得させたとしても、それは相対的なものにすぎず、自分の苦しみそのものが消えるわけではない。やはり個々人の苦しみは絶対的なものであり、それ自体が解消できなければ、本当の安心や幸福を感じることはできないだろう。ゆうめい『養生』の再演を観ながら、大なり小なり常に苦しみを抱えて生きる人生を、どのように肯定し得るのかを考えさせられた。
2024年2月に下北沢 ザ・スズナリで初演、第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した本作『養生』をもって、10周年を迎えた演劇団体のゆうめいは、2025年11月~12月にかけて6道府県を巡る全国ツアーを敢行した。

ゆうめいの作品は、主宰する池田亮自身や家族について自伝的に綴る物語を、池田自身が手掛ける目を惹く舞台美術と共に表現する作風で知られる。近年の代表作の一つである本作もまた、まずは舞台美術が特徴である。


まっすぐに伸ばした3脚の脚立の端をコの字型につなげ、左に90度倒した物体。キャスター移動できるこの物体が、大小5基、舞台上に置かれている。その背景には、透明の養生テープが天井からすだれのように無数、垂れ下がっている。さらにその養生テープは床面を通って、舞台の地面まで貼られている。
初演は東京の小劇場で上演されたが、横浜公演の再演場所であるKAAT 神奈川芸術劇場の大スタジオは、その何倍もの広さがある。それに合わせて脚立の物体も3基から5基に増え、舞台美術のスケールが大きくなっている。この美術は、登場人物である橋本養(本橋龍)が、大学の絵画学科油絵専攻の卒業制作で創った作品である。これは実際に、東京藝術大学出身の池田自身が在学中に思いついたものの、当時の教授から否定されたアイデアらしい。
大学時代の橋本は大船の百貨店で、各種展示物やポスター掲示の設営を行う夜勤バイトをしていた。背景の養生テープは、過酷な労働環境を苦に辞めていった数々のバイトの人数を、床面の養生テープはそれでもしがみついている正社員を、そしてコの字型の脚立は、そんな労働へと誘う「地獄の門」に見立てた、百貨店の入り口を表現している。簡素な道具で夜勤現場を表した作品は、指導教官から「パッションが感じられない」と低評価を下された。

しかし同級生の佐伯だけは、脚立や養生テープを本来とは別の用途で使用することで表現した、搾取の構造を読み取って評価してくれた。そういった感想を書いた佐伯の「Twitter」の画面を唯一の誇りに、橋本は大学卒業後の10年間をなんとか過ごしてきた。卒業制作のコンセプトをゼミで発表する橋本のプレゼンから始まる物語は、社会人になった10年後と10年前を行き来しながら進む。舞台の展開に合わせて、コの字型の物体を移動させて地下の倉庫の片付けを表現したり、星形に折り曲げてクリスマスツリーの展示物を表現したりと、様々に変形させて場面が転換してゆく。

地獄の労働環境ながら、橋本は展示物が見学できる夜勤バイトは嫌いではなかった。そのため橋本は、同じアルバイトをしていた私大の経済学部卒の阿部一郎(丙次)と共に、この百貨店の正社員に収まり、同じ仕事を続けている。10年前には要領が悪くて仕事ができず、先輩社員・川口貴司(黒澤多生)にパワハラ的に注意されていた彼らも、橋本と同じ美大出身の新入社員・清水唯我(黒澤多生)を指導しながら、淡々と日々の仕事をこなすまでに成長している。川口と清水は、いずれも黒澤多生が演じる。川口が注意した阿部の失敗を、10年後には清水が全く同じミスをして阿部から説教される。立場が逆転して繰り返されるシーンが笑いを生む。
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クリスマスを機に溢れ出す、各々の苦しみ
しかしこの10年間、立場は変わっても彼らの苦しみは癒えることがない。この苦々しさが、おかしみと悲哀を伴って描かれる。10年後のクリスマス。翌日から始まる展示会の広告を掲示するために、橋本たちはクリスマスツリーの撤去にとりかかる。その展示会とは、今や画家として成功している佐伯のものである。
橋本は、画家の道を諦めた自分が、成功した同級生の展示会のために、深夜労働をしてお膳立てしなければならない現実を突きつけられる。橋本は清水に佐伯のことを話す。親も画家で裕福な境遇にある佐伯は、社会で起こった大事件を取り入れ、コラージュした社会風刺の作品を作っている。自分は決して傷つかない安全地帯から政治的なメッセージを発する佐伯の創作姿勢に、橋本は思うところがないわけではない。

一方でニコニコ動画や配信サイトの歌い手を目指していた阿部は、尊敬していた歌い手と妻が不倫をしたことが発覚して離婚に至る。自分の子供がファミレスの配膳ロボットに登る様子をネットにアップして炎上した川口は、会社を解雇されてしまう。

そんな中、阿部のパワハラによって休職していた清水は、復職後、両親が離婚して奨学金で大学に通った自分とは異なる佐伯を「社会的強者だ」と批判しはじめる。そして佐伯が取り上げた事件で友人が犠牲になった経緯がある清水は、自分もアーティストとして自宅を開放し、社会的弱者を自由に受け入れる開放区を作る。また、阿部のパワハラを告発し労働環境を改善する活動も始める。しかし清水の自宅がネット上に晒されたことで、物見遊山の見学者が集まって大混乱。音楽を爆音で流しながらバーベキューをされたり窓を外されたりして、警察沙汰になってしまう。

そんな中、佐伯が自殺したという連絡が橋本に入る。思うところはあったにせよ、心の拠り所だった佐伯の自殺を知らされて混乱する橋本と、家族のために過酷な労働を10年間続けてきた阿部。彼らがクリスマスツリーを背景に、夢を自分から諦めて生活のために働く不遇さへの鬱憤を爆発させ、相手を非難し合い、最後に阿部が歌い手だった頃のように“アメイジング・グレイス”を叫ぶように歌う。いつまで経っても成功できず、満たされない人間の悲しみ。それをユーモラスに描く本作の頂点が、心の潤いを渇望する俳優の演技となって結実している。まさに地獄の門をくぐった人間たちの悲哀が、舞台全体にぶつけられている。

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恵まれた環境でも悩みはある。苦悩から解放されることができるのか?
不幸な彼らが人生を肯定することは可能なのか。そのヒントは舞台美術にある。高所作業のために登る脚立や、作業現場での保護シートや布を仮止めする養生テープを、本来の機能とは異なる使い方で作った舞台美術。それは脚立や養生テープにとっては、「余計」な使われ方である。

それを人生に置き換えて考えたい。「余計」なものとはなんだろうか。人生において何が余計で何が有用なのかは、万人にとって一様ではない。恵まれた環境にある佐伯ですら自殺したのである。佐伯を追い詰めた一因は、本橋や清水のような、羨望と嫉妬の裏返しとなった批判がネット上に拡散されたことにある。
他者は人知れず多様な悩みを抱えている。その苦悩から解放されるには、人生の正解を強固に決めつけて求めないことだ。自分の人生はこうあらねばならないという理想が強すぎれば、そこから外れた行動が招く結果は、外から強いられた無駄なものに感じられる。
人生には無駄があり、それも含めて今がある。そのように捉えることで、苦労を人生にとって有用なものへと転換できる。そのような「無駄の存在感」というものが、物を別の用途に使った舞台芸術が主張している。道具がむき出しになったシンプルな舞台美術は、橋本の指導教官が評したように、ある意味ではチープで脱力的な一方で、巨大だ。だからこそ、人生を一面的に決めることの息苦しさから解消し、無駄を肯定するような説得力を持った存在としてそこにあった。

またこの舞台美術は、芸術の有用性についても考えさせられる。多くの人にとって、芸術は生きていく上では必要不可欠ではなく、無駄で不必要なものかもしれない。だが物を別の用途として使用した舞台美術と物語によって、無駄の有用性を観客に示唆した。そのことは、物の見方や考え方の違いを多様に見せる、芸術の存在価値そのものに通じている。
実は劇場に入った観客は、客席にそのまま着席するのではなく、舞台裏、垂れ下がった養生テープの裏を通ってから客席に着く導線が敷かれていた。そこにはこの舞台美術を一度、美術作品として観客に観せるというコンセプトがあり、初演から変わらない演出である。そして再演時の当日パンフレットには、池田による以下のあいさつ文が掲載されている。
目の前にある養生テープの裏と舞台は、皆様が既に通ったことにより過去となっています。その過去と、劇をつなぐ時をこれから始めさせていただきます。
ゆうめい10周年全国ツアー公演『養生』当日パンフレットより
この言葉を踏まえてラストシーンを観た私は、大きな示唆を得た。照明が落とされた倉庫で、阿部の一人目の子供の誕生と同じく、橋本は自分の誕生も、クリスマスの日に両親がセックスをしたことがきっかけだと彼に語る。聖なる夜に、性による生の誕生を語るおかしみが滲む。その後、背景の養生テープの後ろに、照明でシルエットになった男が手を振っている。その人物に橋本と阿部が手を振り返して幕となる。なんともセンチメンタルな印象を与える幕切れだが、シルエットの男は川口=清水である。しかし池田の言葉を念頭に置いたならば、このシルエットは橋本と阿部にとっての、ぞれぞれの過去の自分だと私は受け取った。橋本と阿部は過去の自分と対峙し、そして手を振ったのである。

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自分の人生は自分で選択するしかない。過去とどのように付き合うべきか
過去の捉え方には2種類ある。一つは、辛いことが多々あったけれども、今の自分があるのは過去があったからだという捉え方。もう一つは、今の自分が苦境にあえいでいるのは、過去からずっと苦労しているからという捉え方だ。
過去自体は変えることはできない。しかしながら、現在を肯定できれば、その過去の経験は現在にとって有用であったと捉えることができる。反対に現在を不遇だと規定すれば、同じ過去の経験や出来事でも、それは現在にとっての悪い原因となる。現在をいかに捉えるかで、同じ過去でも認識が正反対になるのだ。
過去に起こった事実は不変だが、現在の捉え方しだいで過去の肯定 /否定が決まることを、自己認識的には「過去は変えられる」と考えてみてはどうだろうか。過去と現在を巡る肯定 / 否定の関係を、そのまま現在と未来の関係にスライドさせてみる。そうすると、良き結果をもたらすために行動することが、視点を未来に置いて振り返った際の過去、すなわち現在を肯定することになる。「過去は変えられる」と考えることで、将来に後悔しないために、現在どのような行動をすべきかという内省が生まれるのである。
「未来は変えられる」と楽観的に思うだけでは、遠い将来が不確定なだけに、なかなか現在の行動を変える気になれないかもしれない。しかし過去に焦点を当てることで、一歩一歩、踏みしめながら確実に歩むことができるので、実際的な効果を生むのではないだろうか。過去になり続ける現在を重視する方が、結果的に未来を変えることにつながる。重要なのは、将来に後悔しないよう、いかに現在の自分の背中を押すかなのである。
無駄だと思えるものも含めて、過去の経験が自分にとって有用なものだったと思えるよう、常に現在を生きよ。本作のラストシーンは、過去から現在の自分へのメッセージである。

阿部は夜勤仕事が続くストレスを発散させるためのセックスで、一人目の子供を作った。人の誕生とはそのように親の都合でしかない。しかし生まれたからには、結局は自分の人生は自分で選択するしかない。そうであるならば、常に過去となってゆく現在を未来の自分への糧にし続けて、前向きに生きたいものだ。シルエットとなった自分が手を振ることは、現在の自分への応援である。その過去の自分に手を振ることは、過去の自分へのお礼である。そのような関係が自分自身に築けるように生きることを、ラストシーンは鼓舞している。だからこそ、悲しくもコミカルな俳優たちに私も自身を投影して、同じく手を振り返したくなった。
ゆうめい10周年全国ツアー公演『養生』

公演概要(日程・会場)
全国ツアー期間【11月1日(土) 〜 12月28日(日)】
11/1(土)~3(月・祝) ロームシアター京都 ノースホール
11/8(土)〜9(日) 三重県文化会館 小ホール
11/29(土)〜30(日) いわき芸術文化交流館アリオス GSユアサいわき小劇場
12/6(土)〜7(日) クリエイティブスタジオ(札幌市民交流プラザ3階)
12/12(金)〜13(土) 高知県立県民文化ホール オレンジホール
12/19(金)〜28(日) KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>
12月19日(金)19時
12月20日(土)13時 18時
12月21日(日)13時
12月22日(月)休演日
12月23日(火)19時
12月24日(水)14時 19時
12月25日(木)19時
12月26日(金)19時
12月27日(土)13時 18時
12月28日(日)13時
【公式ホームページ】https://www.yu-mei.com/yo-jo2025
【X】https://twitter.com/y__u__m__e__i
前売一般 ¥5,000
前売U-39 ¥4,000
前売U-25 ¥2,800
U-18 ¥1,000
作・演出・美術:池田 亮(ゆうめい)
出演:本橋 龍(ウンゲツィーファ) 黒澤多生(青年団) 丙次(ゆうめい)
舞台監督:中西隆雄 三津田なつみ
照明:阿部将之(LICHT-ER) 渡辺佳奈(LICHT-ER)
音響:今里愛(Sugar Sound)
音響操作:日本有香(Sugar Sound)
演出助手:小松大二郎(ゆうめい)
宣伝美術:りょこ(ゆうめい)
ビジュアルロゴデザイン:りょこ(ゆうめい)
ビジュアル造形・撮影・HPデザイン:池田 亮(ゆうめい)
制作:星野花菜里(コンプソンズ) 高橋戦車(劇団鹿殺し・オフィス鹿)
票券:高橋戦車(劇団鹿殺し・オフィス鹿)
当日運営:塩田友克
宣伝協力:吉田プロモーション
ゆうめい新作音楽劇ツアー公演『あわせて』

【東京公演】2026年7月24(金) – 26日(日) 渋谷 ユーロライブ
地方公演有り
作・演出・美術:池田 亮
出演:宮崎吐夢 村山 新(ex.しあわせ学級崩壊)
音楽:小西力矢(ex.しあわせ学級崩壊・僻みひなた)
アートディレクション:りょこ