映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(通称『ぬいしゃべ』)の登場人物たちは、タイトルどおり、ぬいぐるみとしゃべっている。自分が辛いと感じることを人に話したら、話をされた相手が傷ついてしまうかもしれないから。それでも「話さなきゃ」と思うから。だから、ぬいぐるみに語りかける。
一見ごくごくパーソナルに見えるこの営みは、同時に社会的な営みでもある。「ぬいぐるみサークル」に所属する人たちはそれぞれが自分の言葉で、より息がしやすい世界への祈りを、ぬいぐるみに共有しているようなのだ。
本作のメガホンを取ったのは、どんな事柄にも真逆の要素が同居しているのではないかと語り、「ふわふわで軽やかなぬいぐるみを洗ったときの石のような重さが忘れられない」という金子由里奈監督。NiEW初となるインタビューからは、監督本人の、そして『ぬいしゃべ』という作品の、多面的な魅力が浮かびあがるだろう。
INDEX
小学生で短編集を作成。物語と向き合っていた幼少期
ーまずは金子監督ご自身のお話をうかがえたらと思います。映画を撮り始める前は、小説を書いていたそうですね。物語をつくることにもともと興味があったのでしょうか?
金子:最初は自分の話し相手のような感覚で、物語をつくり始めたんです。家族によると、幼稚園生ぐらいのころから指遊びでお話をつくって、寝る前に1人でしゃべっていたそうで。
そのあと小説を書き始めて、小学生のころには『学校に行く途中』という短編集をつくっていました。
ー最初から短編集としてまとめているのがすごいですね。『学校に行く途中』はどんな内容だったんですか?
金子:作家の星新一がすごく好きだったので、それを踏襲したような内容でした。
大人になって自分の作品を読み返してみたら、いまの作風と一貫している部分もありましたね。目を閉じることと瞬きの違いについて書かれている作品があったり、棒をひたすら描き続ける絵描きの話があったりして。自分は小さいころから「気づき屋さん」気質だったんだと思いました。
ー世界の機微に目を光らせる「気づき屋さん」、いいですね。そのまま小説家を目指そうとはしなかったんですか?
金子:そうですね。小学校中学年くらいのときに、自分より年上のお姉さんみたいな人と一緒に登下校していた時期があったのですが、その人に「小説家は全員自殺するからやめておけ」という嘘を吹き込まれたんです。でも、当時の自分は真に受けて。そこから一旦、小説は書かなくなりました。
ーそんなことが。その後も表現活動は続けていましたか?
金子:中学、高校ではバスケしかしていなかったですね。疑うことなく毎日朝練に行っていました。「全国行くぞ」みたいな気合いで頑張っていて。弱小チームで実際には地区9位とかでしたけど(笑)。
ー映画とはあまり関わることなく生活していたんですか?
金子:いえ、当時から映画館は場所としてすごく好きでした。父親(映画監督の金子修介)の影響もあると思うのですが、休みの日には映画を観に行くことがすごく自然な環境で育って。
いろいろなものに出会える映画館は自分にとって遊園地みたいで、すごく楽しいと感じていました。そうした背景もあって、大学でサークルを決めるときに、映画部に入ろうと決めたんです。
ーそこから映画をつくり始めたんですね。
金子:最初は自分で撮る気は一切なかったのですが、当時の部長が「誰にでも映画は撮れるから撮ってみな」と言ってくれて。実際に映画を撮って文化祭で上映したときに、お客さんが私のつくった映画で声を出して笑っていたんです。
大学のイベントなので1、2人しかお客さんはいなかったのですが、「自分のつくったものが、誰かの筋肉を動かしてる!」と感動して。それがいまでも映画づくりの原動力になっていると思います。