加藤が「自分自身」を探る本連載、記念すべき初回ゲストはカメラマンの桑島智輝。終始和やかなムードで進んだトーク・セッションはしかし、たがいの感覚をすり合わせるような繊細さと、ルーズで心地良いユーモアにあふれるものだった。
じつに1時間45分にわたって繰り広げられた、奥ゆかしい二人の交流をどうぞ。
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なかなか距離が縮まらない、2人の奥ゆかしい関係。
―まずお2人の馴れ初めから伺ってもいいですか。
桑島:2016年とかかな、スタイリストの入山(浩章)君がZINEを作る企画があったんですよ。スタイリストがバンドマンをスタイリングする企画。僕はスタイリストの森川雅代さんから企画に誘われて。それで、そのバンドマンがNOT WONKだったっていう。
加藤:六本木のスタジオに行って、バカ高いモジャモジャの服とか着て。
桑島:モジャモジャの服からどんどん毛玉とか出てきて、これ大丈夫かみたいな(笑)。

加藤:それが最初の出会いですよね。で、その入山さんのZINEの発刊イベントが渋谷WWWであって、桑島さんが観にきてくれたんですよ。
桑島:当時出てたアルバムを聴いて、あーカッコいいなーみたいな感じで観に行って。で、その次に恵比寿・LIQUIDROOMのライブに行ったんですよ。そこで“Down the Valley”を聴いて。あれドンドンドンドンって4つ打ちから始まるじゃないですか。俺4つ打ちがすげえ好きなんで、何じゃこりゃ、すげーかっこいいって思って(笑)。それで、写真撮らせてもらいたくてツアーについてったんです。
加藤:札幌、大阪、小倉、福岡、東京の全部に来てくれた。
桑島:最初が札幌のBessie Hallだ。もうずっとNOT WONKの写真撮ってる佐藤くんもいるのにカメラマンとして行くのは、なんかスイマセン! みたいな感じだったんですけど。自分自身、ライブ写真もそんなにガッツリ撮ったことはないし。でも好きだから前の方で撮れるの嬉しいみたいな。

商業カメラマン、写真家。1978年、岡山県生まれ。2002年、武蔵野美術大学を卒業し、鎌田拳太郎に師事。2004年に独立。2010年、株式会社 QWAGATA設立。
―そのツアーで印象的な思い出などはありますか。
加藤:あのときはほとんどしゃべってないんですよね、楽屋が一緒だったぐらいで。
桑島:本番前に話しかけるのもアレかな、みたいな。写真のセレクトもわかんなくて、顔見えてた方がいいのかなとか(笑)。で、苫小牧のELLCUBEでやった『YOUR NAME』ってイベントのとき、それまで撮った写真をファンジンという体で出したんですよ。

―写真を撮りたくてツアーに同行したってところから関係が始まってるんですね。でも、自分から売り込んだわりにはかなり奥ゆかしい。
桑島:けっこう人見知りをしてしまうので。知らない人ばっかだしみんな年下だし、俺の行動大丈夫かなとか(笑)。
加藤:俺、桑島さんは東京生まれ東京育ちのバキッとしてる人だと思ってて。LINEはするけど現場で会ってもそんな喋んないし。いっつも来てくれてんだから飯とかご馳走しないと悪いよなとかメンバーと話してたんですけど、でもあの人って居酒屋の飯とか食えんのかな? って(笑)。
桑島:そういう認識のされ方なんですよ。
加藤:フライドポテトとか食わねーだろみたいな(笑)。

NOT WONK/SADFRANK。1994年苫小牧市生まれ、苫小牧市在住の音楽家。2010年、高校在学中にロックバンドNOT WONKを結成。2015年より計4枚のアルバムをKiliKiliVilla、エイベックス・エンターテインメントからリリース。またソロプロジェクトSADFRANKとしても2022年にアルバムをリリース。多くの作品で自らアートディレクションを担当している。
桑島:でも、そういうバイアスがかかってるのもわかってるから。歩み寄りたいけど、自分のトゲが相手に刺さったらどうしよう的な。
加藤:で、大阪・十三のFANDANGOでライブやった後、思いきって「もしよかったら今日、飯とかどすか?」って誘ったんですよ。
桑島:こっち的にはキター! だよね(笑)。
加藤:で、寿司居酒屋みたいなとこに行って。下駄で寿司が出てくるとこだったんだけど、4人で食うと絶対何個か余るんで、ジャンケンで勝った奴が寿司を食べるっていうのをやって。
桑島:寿司レクって呼んでるんですけどね。
加藤:その寿司レクのおかげで一気に仲が深まったという。しかも桑島さんめちゃくちゃジャンケン弱くて、おもてなしするつもりが俺らばっかり食ってて(笑)。
桑島:でも僕が勝って、マグロとかイクラとかばっか食ってたらマジ寒いじゃないですか。だから、負けるごとに、あ、よかった~って(笑)。
―奥ゆかしいですね。
加藤:奥ゆかしい始まり(笑)。

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「高校のときに電気グルーヴのコピーバンドやってたんですよ」(桑島)
―桑島さんは音楽家に惚れ込んで写真を撮るというのは初めての経験だったんですよね。
桑島:商業写真を中心にやってきたんで、自発的に作品を撮るっていうのはあんまりやってこなかったんですよ。だからすごく楽しかったんですよね、100%マジで撮りたいものを撮れるのって幸せだなぁって。しかも超好きなバンドのライブを最前線で観れるワケじゃないですか。
加藤:それからもかなりの頻度でライブを撮ってくれて、苫小牧にも来てくれて。
―桑島さんから見た苫小牧の印象はいかがでしたか。
桑島:言い方は悪いんですけど、さびれちゃってる部分に惹かれたんですよ。俺、地元が岡山なんですけど、岡山は綺麗に整理されちゃってるんですよね。北海道は雪降るじゃないですか、それでメンテナンスしてる余裕がないというか、ある種の自然的なところに惹かれましたね。

―岡山にいた頃はライブハウスとか行ってました?
桑島:俺、高校のときに電気グルーヴのコピーバンドやってたんですよ。「中国人」ってバンドで、メンバーが僕と、サカモトリュウイチって奴と、土建屋の息子の3人で。対バンがジュディマリ、ピストルズ、ルナシー、電気っていうコピバンイベントがあって、土建屋の息子とピストルズのベースのヤツがめちゃくちゃ仲悪くて、毎回一触即発だった。
加藤:電気とピストルズが喧嘩(笑)。
―これは一度加藤くんに聞いてみたかったんですけど、環境と音楽ってどのくらい関係あると思います? たとえば北海道のバンドだと北海道っぽいとかよく言われたりするじゃないですか。
加藤:正直よくわかんないですよね。北海道って無茶苦茶広いじゃないですか、ブッチャーズ(bloodthirsty butchers)の吉村さんっぽいとか言われても、あの人見てるの日本海だけど俺太平洋なんだよな、みたいな。でも山形のフェス行ったとき、ブッチャーズのドラムの小松さんにライブ終わった後、吉村さんみたいだったって言われて。この人に言われるんだったらまぁしょうがねーかみたいな(笑)。