#me too問題の中心人物であったアメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインを思わせるハラスメント問題を切実に提起した映画『アシスタント』。同作はキティ・グリーン監督の劇映画デビュー作ながら、一躍脚光を浴びた。
キティ・グリーン監督はドキュメンタリー映画出身というキャリアを活かして、実際にあった「ある問題」のリサーチを重ねてから物語を撮り、議論されるべき話題を机上に上げる。7月26日(金)に公開となる映画『ロイヤルホテル』は、オーストラリアに実在するパブで起こったハラスメントが題材。パブで働くバックパッカー2人が、集う客から不快な言動を受ける様が、非常にリアリスティックな女性目線で描かれるフェミニズムムービーだ。誰も助けてくれない息苦しい状況が続くなかで起こる、挑発的なラスト。「議論が巻き起こってほしい」と語った監督は、どのような思いで本作を製作したのか話を聞いた。
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「ハラスメントかもしれないよね?」という状況について話し合えれば、事態を防げるかもしれない
─前作『アシスタント』は、映画会社に勤める新人アシスタントの一日を通して、ハラスメントや性的虐待を蔓延させているシステム構造を描いていました。新作『ロイヤルホテル』でも、閉鎖的な男性社会の中で、ハラスメント被害を受けまくったふたりの女性を描いていて、国境を越えた世界の話とは思えないほど身近に感じました。
キティ:ありがとうございます。どこにでもある酒場を舞台にしながらも、女性視点で描いたことで、広範囲な議論を交わすことができる作品になったと思います。
─前作に続いて本作も「ハラスメント」をテーマにされたのは、どうしてなのでしょうか?
キティ:共通して興味があるのは、ハラスメントが最終的には性的暴力につながってしまう過程です。まだ、それ自体は性的暴力ではないけれど、不快な感情を抱いたり、最悪レイプや暴力につながってしまったりする危険性をはらんでいる行動が中にはありますよね。
─度が過ぎる言動を見かけたことはあります。
キティ:ハラスメントが起きてしまう手前の、もう少し早い段階で声を挙げることができていたら本人が傷つく前に事態を防げていたかもしれない、と思うことが多々あります。話す余地もなく裁くのではなく、「ハラスメントかもしれないよね?」という状況について、みんなで話すことが、もっとひどくなる状況を阻止する方法の一つではないかと思い、再び描きました。
─それぞれが、ハラスメントについて知識があるだけでなく、もっと互いに会話されるべきではないかということでしょうか?
キティ:私は、そういう会話をすべきだと思いますし、議論をする上でフィクション映画はいいフックになります。たとえば、フィクション映画だとクローズアップカメラを使って、その人物の行動や目線など、ある部分をクローズアップして映し出すことができます。そうすると、意に反する行動が相手にどれだけ安全ではない心象を与えるのか、客観的によくわかると思うんです。
─スクリーンを通して、相手がどう思っているのか客観視できる。
キティ:そうです。私は映画監督として、そういうツールを持っていることを自覚しています。ある行動が相手にどういう感情を抱かせるのか、カメラで映し出すことで、それぞれが映画を通じて考えたことを議論できることが、私にとっての理想です。
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自分の力を少しずつ見つけて、自分や友だちのために立ち上がれる女性を主人公にしたかった
─本作は、フィンランド出身のふたりが、旅先で働いたオーストラリアのパブでハラスメントを受けた話を記録したドキュメンタリー映画『Hotel Coolgardie(原題)』にインスパイアされたと伺いました。どのような着眼点にインスピレーションを受けたのでしょうか?
キティ:映画祭で『Hotel Coolgardie』を観たときに、ハラスメントが起きてしまう状況に対してすごく正直な見方をしている作品だと思いました。アルコールを飲みすぎてしまうと、その場の「脅威レベル」が上がりますよね。ジョークなのか危ないのか、わからなくなってしまう。その辺りの捉え方がリアルだと思いました。
─前作は最悪なシステムに巻き込まれてしまう主人公でしたが、本作では苦しい状況でも立ち向かう女性・ハンナを主人公にした理由は?
キティ:『アシスタント』の主演だった俳優のジュリア・ガーナー(Julia Garner)と再び一緒に映画を作るならば、今回は自分の力を少しずつ見つけていく女性を主人公にしたいと思いました。彼女自身に大きな変化は訪れません。ただ、次第に「No」と言えるようになったり、自分や友人のために立ち向かえるようになったり、迷いながらも自分を信じられるようになることで、立ち上がれる人になっていきます。
─私からするとハンナは最初から強く感じました。「搾取されない」という意志があり、理不尽な場面を決して許さない。ハンナが恐怖と闘ううえで大事にしていたことはなんだったのでしょうか?
キティ:おもしろい質問ですね……うまく答えられませんが、もとになった映画に登場する女の子ふたりが強い人だった、というのは大きいです。私は彼女たちが、20代ながら「No」とはっきり言える強さにすごく感心したんですね。もし、同じ状況に立たされていたら、自分の意志を伝えられるかわからない。その場のノリに流されてしまうかもしれないし、立ち上がるガッツもないのではないかと思いました。なので、ドキュメンタリーの彼女たちの力強さを本作にも入れたいと思いました。
─監督も、理不尽な場面で流されてしまうことがあるんですね。
キティ:今の私はハラスメントをしてくる人に対して「No」と言えると思いますが、映画に登場する彼女たちは20代と若いです。その年齢で、言葉はわかっても文化が違うなかで、大きなものに巻かれるのではなく自分のために立ち上がれるのは、すごいと思います。
─心苦しかったのが、ハンナが傷を負ってしまったことです。親友のリブがレイプなどに巻き込まれる可能性を考えて立ち向かい、結果身体に傷を負う。男性的な場所で女性が生き抜くためには、そこまでしなければいけないのかと考えさせられたのですが、なぜああいった描写にされたのでしょうか。
キティ:ドキュメンタリーに忠実でありたかった、というのが一番です。ただ、ドキュメンタリーは主人公が糖尿病を患っていたことからアルコール中毒で目が見えなくなってしまう、という非常に落ち込むエンディングだったので、オマージュ的にニュアンスをいれる程度で暴力的な描写は最低限にしました。
私からすれば、彼女は身体のどこも失わず大きな傷は負っていません。オーストラリアで学びを得てより強くなり、より自分のことを信じられるようになったと解釈しています。次に同じようなことが起こっても、真っ先に彼女は自分のために立ち上がれるでしょう。
─彼女は、ここで学びを得て次に進んでいったんですね。
キティ:私は、この映画をロードムービーだと思っています。若いときに人生を大きく変える旅をして、他にはない経験を重ねて大人になっていく。旅とはそういうものであり、その瞬間を捉えた映画です。
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声を挙げるのは自信が必要ですし、自信をつけるのは時間がかかること
─映画を観た後に思い出したのは、日本の接客は世界一だと言われることです。過剰に丁寧で、愛想がよくて、気遣いができることが評価されてしまっている。リブのようにどんな状況も受け入れることが、日本の美徳とされています。闘うハンナと受け入れるリブ、両者を描いたことで理不尽な場面に遭遇したときの態度について、どのような考えを持ちましたか?
キティ:たしかに理不尽でしたが、私が描いたのは異なる文化の衝突です。新しい文化に出会ったとき、リアクションの仕方はハンナとリブのように2パターンあると思います。どちらが良い悪いではありませんが、リブはある意味「壊れた」男性たちを受け入れて「彼らにもいいところがあるわよ」みたいな態度をとる。一方でハンナは、ガードが固くてずっと疑っている。お酒を飲むと態度の違いがはっきりと現れますよね。
─おっしゃる通り、私もどちらの態度が正解、ということではないと感じました。
キティ:男の人たちが「サンセットを見に行こう」とふたりを誘う場面がありますが、下心のある / なしは判断が難しいところです。様々な国の人に観てもらいましたが、オーストラリアの多くの人はリブの態度を「いい」と思うわけです。その場の状況を受け入れて、楽しみますから。でも、アメリカ人からすれば「危ないのに、なんでついていくの?」と思う。文化的な違いで、態度も様々あるだろうと思います。
─リブ的な受け入れる態度が素敵な場面もありますが、映画の気付きとして、受け入れるばかりではなく自分の中で「搾取されたくないライン」を決めるべきだと考えさせられました。
キティ:私も感覚的ですが、ラインはあります。年齢とともに経験を重ねて、若い頃よりもラインがしっかりできて、自分のために立ち上がれるようになってきました。ただ、それでも、映画を作っているときでさえ「もうすこし声を挙げればよかったかな……」と思うことがあり、まだまだ学んでいる最中です。声を挙げるのは自信が必要ですし、自信をつけるのは時間がかかることですよね。
─この映画を通してどんなことを伝えたいですか?
キティ:直接的なメッセージを伝えるというより、私生活でよく見かける構造だけれど映画では見たことがない状況を撮ることに私は興味があります。『Hotel Coolgardie』を観たとき、自分自身がお酒の場で不快感を感じた瞬間を思い出しました。思い返せばハラスメント的な振る舞いを、ジョークとしてなんとなく笑って済ませてしまったけれど、本当は傷ついたし怖かった。そんな、些細だけれど居心地の悪い瞬間をハイライトして、一つひとつ丁寧に見せてくれたので、私もそうしたいと思いました。
この映画は、ハンナの頭の中で起こっていることが多いんです。見過ごしてしまいそうな瞬間やマイクロアグレッションとよばれる無自覚な差別にも光を当てて、心境を語ることで、女の人がこうした居心地の悪い状況をどう捉えているのか、しつこいくらい伝えたいと思いました。
─些細な光景でも、一つひとつ光をあてて心境を語ってくださっていたと感じました。
キティ:良かったです。それは、先ほど話した、クローズアップカメラがいい役割を果たしてくれました。本当は、前作は全編ワイドショットで撮ろうと思っていたんですね。それは、1970年代のシャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』というフェミニスト映画のオマージュです。ですが、実際に撮り始めてみると、主人公が職場で経験していることや観察していることに対する感情の動きを、クローズアップで見せることが大切だと気がつきました。なので、『ロイヤルホテル』でも同じことをやりました。