1980年代にデビューし、現在はZ世代やクィアコミュニティーからも支持される世界的ディーバ、カイリー・ミノーグ。3月12日(水)に東京・有明アリーナで行われる『Tension Tour 2025』での14年ぶりの来日公演を前に、56歳の今もなお世界中で愛される彼女の軌跡と輝きを紐解く。
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デビューの衝撃——カイリー・ミノーグ、ポップ・スターへの第一歩
いま、カイリー・ミノーグを見られるのはどれだけ幸運なことだろうか。「アイ・シュッド・ビー・ソー・ラッキー、ラッキー、ラッキー、ラッキー!」と歌わずにはいられない。デビューから現在まで5つのディケイドをくぐり抜けてきただけでなく、最新ヒットを携えての来日なのだから。

カイリーがカバー曲“The Loco-motion”でシングルデビューしたのは1987年のこと。もともとはオーストラリアの人気ソープオペラ(※)『ネイバーズ』に出演するティーンスターだった彼女が、慈善コンサートでキャロル・キング作曲のオールディーズソングである同曲を披露したことをきっかけに、リリースされることとなった。『ネイバーズ』の人気エピソードが放送されるタイミングだったこともあり、本国オーストラリアで大ヒット。1980年代を通じてもっとも売れたシングルとなった。
※ロングランで放送されるテレビのドラマシリーズのこと。1話完結でなく、ストーリーがのちのエピソードに続いていく形式をとる。
“The Loco-motion”のヒットを契機に『Kylie』でアルバムデビューすると、“I Should Be So Lucky”をはじめシングルヒットを連発。当時、ユーロポップを牽引していたプロデューサートリオのストック・エイトキン・ウォーターマンが手がけたきらびやかなダンスポップはカイリーのキャラクターとフィットし、アルバムは全英チャートで4週連続1位を獲得するなど数々の記録を打ち立てた。こうして、カイリーは瞬く間にスターダムを獲得することになる。ハウスなど当時のトレンドを取り入れたサウンドを軽やかに乗りこなし、狂騒的な時代を駆け抜けていった。
重要なのは、1980年代のUKでのエレクトロポップやシンセポップの隆盛とシンクロし、すでにカイリーがゲイコミュニティの間で人気を博していたことだ。挑発的なポップクイーンとして君臨していたマドンナに対し、ソープオペラ出身のカイリーはキュートで親しみやすいキャラクターとして愛されていた。