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クラブでの「ご法度」をあえて犯し、J-POPでフロアの支持を集められたワケ
─宇多丸(RHYMESTER)さんなどが『申し訳』に加入して、メンバーがどんどん賑やかになっていくのは、いつ頃からですか?
ミッツィー申し訳:初期メンバーで3年くらいやってたんですけど、「◯◯申し訳Jr.」として、外部からメンバーが入ってくるのは2000年以降ですね。宇多丸さんは宇多丸さんで、東京で『さびしんぼナイト』とかでJ-POP DJをやってたんですけど、我々『申し訳』のミックスCDを聴いて「俺がやりたいことはこれだ!」と思ったらしく……。
tofubeats:宇多丸さんは『申し訳』に入門すべく、宇都宮に毎月自費で通うんですよね。
ミッツィー申し訳:毎月『申し訳』に来て、翌日に温泉に入って、鮎を食べて帰るコースですね。で、そこから「あの人もJ-POP DJやりそうだな」みたいな人に、どんどん声をかけてって。宇多丸さんの次に『申し訳』に入ったのが、掟ポルシェ(ロマンポルシェ。)さん。その次が、電撃ネットワークのギュウゾウさんかな。
ミッツィー申し訳:だからPLANETという場所があって、そこにまず普通に出演してもらって、その流れで「入る?」みたいな感じですよね。で、宇多丸さんとか、ケツメイシとか、さらには大貫憲章さんとか、そういう人たちまで『申し訳』にいると、他のジャンルの人たちも文句言えなくなる。
tofubeats:押さえるべき人を押さえて。政治ですね(笑)。
ミッツィー申し訳:で、『申し訳』を東京に持っていって、また縁が広がった。だから『申し訳』はシステムというか、構造の強さで続けられたんですよ。
tofubeats:その『申し訳』絶頂期の2004〜5年ぐらいに、自分はクラブミュージックを聴き始めたんですよ。で、『タマフル(TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』)』などで『申し訳』のことを知って。『JAPANESE CLUB GROOVE DISC GUIDE』(2006年、宙出版)っていう本に、重要な対談が載ってて。
─宇多丸さんとミッツィーさんの『申し訳』対談ですね。
tofubeats:そうそう、2006年とかの本でなんですけど、ミッツィーさんが選曲について「大人の女性が多いと判断すると『OL向け』の選曲をして、今日は若い男性が多いと判断したら『学生向き』の選曲にする、その2択しかない、他はどうでもいい」と言ってて、自分はそれ読んだとき16歳とかですけど「クラブって、DJってそうなんや~」とか思ってましたね。
─その言葉に影響を受けたんですか?
tofubeats:まだDJが何を考えて選曲してるかとか全然知らないときに読んだから、かなり胸に残ってるというか。
ミッツィー申し訳:だから(tofubeatsが)一番受け継いでるのは「OL心」でしょうね。
tofubeats:古内東子を聴いて泣きたいっていう、そういう気持ちですね(笑)。
─トーフさんがDJを始めるにあたって、すごく影響があったと。
tofubeats:そうですね。その当時はまだ未成年なんですけど、学園祭とかカフェとかでちょっとDJやりだして。『申し訳』の影響でJ-POPをかけるんですけど、ひんしゅくを買って。
─その頃(2006年)でも、J-POP DJは下に見られてたんですね。
tofubeats:大阪だと、J-POPとかかけるのは450(ヨゴレ)って言われるような文化もあったんですよ。「ストイックなクラブミュージック」と「そうじゃないもの」という棲み分けが、2000年代はまだあったと思いますね、特に地方は。
ミッツィー申し訳:まだ「J」の看板は掲げられなかったと。「J」の十字架かな。「J」って字も十字架みたいな形してますよね?
tofubeats:(笑)
─ジャンルの棲み分けがそこまであったのは、クラブがまだ景気がよかった時代だったからなのかもしれませんね。最初はJ-POPを認めなかったクラブ側も、儲からなくなってくると、集客があるならJ-POPイベントもやらざるを得ないというか。
tofubeats:そうかもしれませんね。あとは世代ですね。自分みたいに、クラブに興味を持ち始めたときから『申し訳』みたいなイベントがあったから、最初から抵抗もないし。そもそも世の中全体的に「日本の曲はダサい、洋楽がエライ」みたいな価値観がめっちゃ衰退したってことでしょうね。もはや今となっては、ZEROTOKYO(※)みたいな大箱でボカロがかかってたりするわけで。
※ZEROTOKYO:2023年4月に新宿・歌舞伎町にオープンしたナイトエンターテインメント施設。オープニングパーティーにはLEXやKID FRESINOらヒップホップアーティスト、石野卓球や砂原良徳らが出演した。

─『申し訳』は、他に競合するようなイベントやシーンはなかったのでしょうか?
ミッツィー申し訳:1997年の始めた当初は、新宿2丁目の歌謡曲ナイトとか、そういうのぐらいですよね。曲をフルでかけて、歌うフリをするっていう、2丁目らしい文化のもの。
tofubeats:ヒップホップというか、「和モノ」ブームで、サディスティック・ミカ・バンドのブレイクを2枚使いで繋ぐ、みたいなDJは既にいたんじゃないですか?
ミッツィー申し訳:いや、自分の周りにはいなかったですね。「和モノ」っていうのも2000年代以降じゃないかな(※)。
tofubeats:たしかに『申し訳』は、そういう「和モノ」ともまた違う、もっと水商売っぽい雰囲気なのが特徴かもしれませんね。
※編注:『JAPANESE CLUB GROOVE DISC GUIDE』掲載の小西康陽、あいさとう(The Hair)、吉田哲人の鼎談記事では、編集者・ライターの北沢夏音によるクラブイベント『自由に歩いて愛して』(1993年〜2001年)が「和モノ」DJカルチャーの先鞭をつけたと説明されている

ミッツィー申し訳:(旧譜である)「和モノ」より、むしろJ-POPの新譜が聴けるイベントでしたからね。それこそRHYMESTERがついさっき録音してきた音源とか、そういうのが聴けるわけで。
tofubeats:新譜をとにかくクイック(1曲あたりのかける時間が短く、すぐ次の曲に行く)に繋ぐんですよね。『申し訳』って、J-CLUB的ではない、普通のJ-POPもミックスされるじゃないですか。それも当時は新しかったのかなと。
自分が『申し訳』に出た最初の頃に、自分でクラブミュージックっぽくエディットしたJ-POPを持っていったら、ミッツィーさんか誰かに「それは邪道だ」と言われたんですよ。「『申し訳』のDJは、トーフくんが思ってるDJっぽいDJじゃなくて、ただただJ-POPをワンコーラスごとにビュンビュンミックスするだけだ」というようなことを言われて、実際『申し訳』のDJを初めて観て、びっくりしたんですよね。