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J-CLUB最後の残党・tofubeatsがミッツィー申し訳と語る、日本のクラブ文化史のB面

2026.7.7

#MUSIC

お客さんは毎回4人。『申し訳ないと』の原点は、DJやフロアへの嫌がらせ!?

─それが1990年代半ばですよね。「J-CLUB」という言葉はないけど、その中核となる人物が徐々に世に出始めた時期ですね。

ミッツィー申し訳:でも、毎日クラブにいると、クラブミュージックってものが、どんどんイヤになってくるんです。DJが音楽を「(選曲に)使える / 使えない」で判断するのとかも、よくないなーと思って。それで周囲に一番イヤがられることをしようと、「J-POPをクラブでかけよう」ということになるんです。それが『申し訳ないと』の原点ですね。

tofubeats:1990年代のクラブだと、日本語の曲をかけるのはご法度ですよね。

ミッツィー申し訳:そう、そこをオーナー自らやる。嫌がらせとしてのJ-POP DJですね。ただ、普通にかけるんじゃアンチテーゼにならないんですよ。ちゃんと技術のあるDJが、おふざけではなくちゃんとクラブマナーでJ-POPを繋ぐっていうのが大事。そのスタイルは日本全体のクラブの中でも早かったほうだと思いますね。

tofubeats:それが1996~7年ですよね。

ミッツィー申し訳:そう。その際、私より年上の、宇都宮のドンみたいな富豪(初期の『申し訳』メンバー)に「ミッツィー申し訳」と命名されて。だから、人にたまに言われるんですけど、別に自分から「光則だからミッツィー」と名乗ったわけではないんですが。とにかく、そうやって5名のDJで始めたのが初期の『申し訳』ですね。

tofubeats:アルセニオ申し訳でしたっけ? 名前だけで、存在しない謎のメンバーとかもいるらしいですけど(笑)。

ミッツィー申し訳:で、月一で『申し訳』が始まったんですけど、最初のころはお客さんが4人とかでしたね。毎回、4人。普通のイベンターならそこでやめるけど、オーナーだから辞めない。

すごいゲストを呼んで、そのゲスト回で他の回の分の赤字を埋める、みたいなやり方をするんです。そのゲストっていうのは、パパイヤ鈴木とおやじダンサーズとか、エスパー伊東さんなんですけど。

tofubeats:でも、そこもビジネス的な兼ね合いで面白いですよね。J-POPイベントという建付けなら、パパイヤ鈴木さんを呼べる訳じゃないですか。それを当時のクラブで考えて、やれる人っていなかったと思うんですよ。そういう経営者としての、いい意味での水商売っぽさのセンスがミッツィーさんはスゴいと思いますね。

─普通のクラブイベントだと接点がないけど、J-POPイベントなら「お茶の間」な有名人も呼べるということですね。

ミッツィー申し訳:まあ「森三中をクラブに呼ぶにはどうしたらいいか? まず西寺郷太を呼んで……」とか、そういうことをずっと考えていましたね。

tofubeats:(笑)

ミッツィー申し訳:まあお客さんにしても「ゲスト(有名人)が来るなら行く」って感じでしたからね。あと、店をやってるとどうしても「こわもての人」がやって来るんですけど、なぜか毎回、来るタイミングが『申し訳』の日で。モーニング娘。のパネルとかポスターとかベタベタ貼ってあるのを見て「ここはよくわからん」って感じでスゴスゴ帰ってましたね。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション 2』の『申し訳ないと』特集回、その大まかな歴史を知ることができる

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