2025年3月に、高田馬場で起こってしまったストーカー被害の事件が記憶に新しい。動画生配信中の22歳の女性が、40代の男に刺殺された事件である。
その実在する事件を題材に作られた演劇、焚きびび『グッド、バーニング』が2026年5月に東京・中野の水性で上演された。本記事は、数日の上演期間ながら、大変なインパクトを残した当該公演の劇評となっている。
※ストーカー、殺人、自死などに関する記述や、暴力的な描写を含みます。閲覧にご注意ください。
INDEX
元になったのは、2025年3月11日に高田馬場で発生したストーカー事件
犯罪分析の目的は、犯人のメンタリティを中心に事件の背景を探ることで、同様の事件を防ぐ方策を社会で共有することにある。だからこそ警察OBや法医学関係者、犯罪心理学者が重大事件のプロファイリングをマスメディアで行ったり、ノンフィクションライターが取材を基に事件を掘り下げる記事を執筆したりする。
しかし犯罪に関わる言説は、事件の真相を明らかにするためだけではない。文学者が犯罪を題材に物語化する試みも多くなされてきた。その作業には、事件の加害者を異質な他者として観察するのではなく、誰もがそうなり得た可能性をたまたま体現した、ある種の代表者として捉える意志がある。重大犯罪には当時を生きた人間の精神構造が集約されており、犯罪者を描くことで時代の貌が掴めるかもしれない。そう思うからこそ文学者は、事実と虚構を交えながら、想像力を駆使して人間の機微に触れようとする。人間と社会の特徴を抉り出し、両者の交差点となる「時代」を明らかにすること。それが、文学者による犯罪の向き合い方である。
現代の犯罪で目につくのは、ストーカー殺人である。ストーカーにまつわる重大事件にフォーカスを当てれば、この約四半世紀は、1999年に発生した桶川ストーカー殺人事件(※)を契機に、被害をなくそうと繰り返し法改正されながらも、凄惨な事件が絶えない歴史であった。2025年に川崎市で発生したストーカー殺人事件では、被害者が警察に相談をしていたにもかかわらず、捜査が遅れたために最悪の被害を招くという不手際が問題になった。2026年3月末に池袋の商業施設で発生した、かつて交際していた女性を刺殺し、自身も自死する事件は記憶に新しい。
※桶川ストーカー殺人事件:当時21歳の女子大学生が、元交際相手の男らに執拗なストーカー行為を受けた末に刺殺された事件。遺族は警察の怠慢が娘の死を招いたとして埼玉県を相手取り国家賠償請求訴訟を起こし、勝訴が確定した。この事件から、2000年に日本で初めて「ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)」が成立 / 施行された。
本作が取り上げた題材も、2025年3月11日に高田馬場の路上で発生したセンセーショナルな事件だった。本件は、動画生配信中の22歳の女性が、40代の男に刺殺された事件である。被害者は、キャバクラなどで働いていたシングルマザーであり、ライブ配信アプリでライバー(動画配信者)活動をしていた。ファンだった加害者はキャバクラに客としても通い、次第に被害者に金を貸す関係になっていった。消費者金融に手を出し、生活に困窮しながらも貸し付けた総額は、約250万円。

加害者は借金の返還を求めて、2023年に民事訴訟を起こして勝訴するものの、3万円が返還されたのみであった。その後も配信活動を続けた被害者は、タワーマンションに男性と同棲。そのことを知った加害者は、女性に少額でも良いので金銭を返還してほしいとLINEで訴えたものの、相手にされなかったという。報道によると、金銭トラブルがこじれた末に、加害者は犯行に及ぶ。犯行当日、被害者は視聴者の課金によってサイコロを振り、出目で様々なイベントをするライブ配信を行っていた。被害者の場所を配信中の風景から特定した加害者は、サバイバルナイフで被害者を30ヵ所以上刺して殺害したとされている。なお高田馬場では同年の12月にも、30代の男が、マンション共用部でエステ店の女性を刺す殺人未遂事件が発生している。男はエステ店の客であり、トラブルがあったという。
作 / 演出の益山貴司は、「私は今、今を生きる私たちについて語りたい」と書き出して、長文の「コメント」をチラシ裏に寄せている。

現代社会が「金と寂しさ」に囚われていると捉えた益山は、その象徴としてこの事件を物語化した。そして益山は、事件の悲惨さや被害者、加害者双方に過剰に肩入れすることなく、演劇で彼らを救うことが創作の動機だと述べている。
INDEX
4人の登場人物、誰の恋愛も成就しない
中野区の商店街にある、元はクリーニング店だった多目的レンタルスペース「水性」で上演された本作は、「焚きびび」ユニットメンバーの益山寛司、高田静流の2人芝居である。

2024年、劇作家 / 演出家の益山貴司を代表に、実弟でダンサー・俳優の益山寛司、舞踊家・俳優の高田静流で立ち上げたオルタナティブ演劇チーム。「焚き火にあたりながら聞くような物語」を、リリカルかつ情動的な対決姿勢で言葉と身体から紡ぎ出し、「今、必要とされる」舞台作品の創出を目指す。
俳優は何もない空間で様々な人物を演じつつ、スタンド照明や箱馬を移動する黒子の役割も果たす。シンプルな空間作りではあるが、アイドルのライブ会場を演出する、天井に投影されるカラフルな円形の照明、生配信中の様子がコメントと共に背景壁に投影される映像、同じく壁に投影される加害者と被害者とのLINEのやり取りが目を惹く舞台作りであった。

すごろく形式で中央線沿線を徒歩で巡る、被害女性の生配信映像が映し出される。しばらくして舞台上にフードを被りマスク姿の男性が現れ、スマホ画面を見ながら歩く。映像内のコメントには、徐々に近づく怪しい男に警戒するよう、ファンたちが多数のコメントを寄せて警告を促し始める。そんな中、舞台上に現れた被害女性の背後に追いついた男性が声をかける。そして、男性が女性を包丁で勢い良く刺そうとする瞬間で静止。舞台はこのような導入で始まった。主な4人の登場人物は、誰かが誰かに一方的な好意を寄せる。成就しない恋愛感情の行き場のなさが理想と現実の乖離を引き起こし、人間の心身をむしばむ様が描かれる物語だ。
主人公は東北出身で20代前半の被害者。モンゴメリの長編小説『赤毛のアン』になぞらえて、赤毛のアン(高田静流)を自称する。彼女はアンと同様に想像力が豊かで、髪の毛が赤い。父親が家を出た家庭環境で育ったアンは、若い頃から地元の飲み屋で働き、アイドル活動も始める。東京に憧れていた彼女は、アイドルの客だったIT企業の経営者に一目惚れされる。結婚の準備を進めていたアンであったが、半年後、結婚相手を事故で亡くす悲劇に見舞われた。アンは真実と嘘を交えながら自身の過去を生配信で語り、ヒロイン化して視聴者の気を引く。そして、投げ銭を得て生活をしている。
加害者の菅沼七也(益山寛司)は40代の就職氷河期世代。美少女フィギュアを扱う薄給の仕事についているらしい。群馬にいる実家の母親からは「早く結婚しなさい」と電話で小言を言われている。そんな折、たまたまアンの生配信に出くわした七也は、勝手に運命を感じる。七也は、他のファンに負けじと投げ銭の金額をエスカレートさせる。母親から結婚相談所の会費にと振り込まれた30万円も、すぐさま投げ銭に突っ込んでしまうほどだ。
赤毛のアンの親友「黒髪のダイアナ」を名乗ってアピールし続けた七也は、アンとLINEを交換する仲になる。「ダイアナの部屋」なる配信も行っている七也はそこで、アンと付き合って結婚することが決まったと本気で妄想する。母親の想いを裏切って資金を投げ銭にしてしまったが、それがきっかけでアンとの結婚にこぎつけたため、母にも顔が立つと勝手に納得してしまう。その一方で七也は、部屋の電気が止まり、食費に事欠いてパン屋の廃棄を盗むまでに生活が困窮し、Timeeでの副業も始める。彼はTimeeの仕事先で出会った大学生から、就職予定先の初任給よりも自身の月収が低いことをバカにされる。それでも彼は、アンへの多額の投げ銭を続ける。

典型的なオタク女子の森内なみ子(高田静流)は、同僚の七也に密かに想いを寄せていた。七也の裏アカウントから黒髪のダイアナの配信にたどり着いたなみ子は、アンの存在と七也の生活実態を窺い知る。職場に七也の分の弁当を持ってきたり、すき焼きをご馳走しようと食材を手に家に押しかけたりする。しかし彼に想いは届かないばかりか、黒髪のダイアナとして女装をしてアンとLINEをする七也を見てしまう。七也に女装趣味があると捉えたなみ子は、そんな彼を受け入れようとするが、そんな趣味はないと言う彼を怒らせてしまう。さらに、自暴自棄になって取り乱した七也は母親に電話をし、自分に性器が付いた男性であることを必死で確認する。その姿を目の当たりにしたなみ子は、彼に「病気」だと告げて、救出することを諦めてしまう。
そして七也を見限ったなみ子は彼に、アンが殺害されるきっかけとなる一週間後の殺害予告は「自分が投稿した」ということを捨て台詞のように打ち明ける。その動機は何だろうか。生活が破滅するまで七夜の金銭を搾取したアンへの憎悪か。あるいは自分を顧みず、彼女に入れ込む七夜への腹いせか。つまり、アンに翻弄される七也は、龍斗に弄ばれて捨てられた過去の自分という構図である。そこに着目すれば、七也に自身を投影したなみ子は、弱者が搾取される関係を断ち切ろうとしたのかもしれないと考えられる。

ホストの槙野龍斗(益山寛司)はアンの彼氏であるが、なみ子とも交際していた過去がある。アンが七也を始めファンから金を搾取していることを面白がって煽っている。龍斗はアンとの結婚を考え始めていたが、ある日、自分の全てを知ってほしいと、彼女から髪色の秘密を打ち明けられる。その告白の様子を動画撮影された龍斗はその行為に不信感を抱き、2人の関係性がこじれた際に、脅迫の道具として使おうと企んでいるのではないかとアンに問い詰める。アンはそんな意図はなく、結婚した将来、こんなこともあったねと思い返すためだと応じるが、龍斗は彼女への愛が一気に冷める。そしてなみ子を含めて、メンタルが重い女ばかりが寄って来ると嘆き、アンを突き飛ばして部屋中を探し回り、預けていたキャッシュカードを取り返す。

このように登場人物たちの誰もが、愛してほしい人からの愛が得られず、一方通行の想いに耐えられず次第に追い詰められてゆく。
INDEX
殺害予告の裏で、交わされていたやり取り
そんなとき、アンへの「一週間後の殺害予告」がSNSで拡散され炎上。それを受けて炎上商法を狙ったアンは、殺害予告日にあえて生配信をすることを計画する。しかし龍斗との関係性がこじれていたアンは、変な人間が近づいたら守ってやると豪語していた彼のサポートが受けられなくなり、生配信を一人で行うしかなくなった。
では、七也がアンを殺害するスイッチはどこだったのか。生配信を行う前日の夜、龍斗に見捨てられて傷心したアンは、ダイアナにLINEをする。時を同じく、生活が困窮し切っていた七也つまりダイアナは、実家の金を盗むまで追い込まれていた。
共に傷心しているアンとダイアナはここで、腹心の友のような交流をかすかに行う。ダイアナはかねてより、ケーキを食べに行く女子会をアンに提案していた。かつてはかわされていた提案を、この時はアンから行い、近いうちに実現することを約束する。そしてダイアナは、殺害予告の件で炎上しているアンを気遣う。しかしアンから返って来た返答は、「これまで通り応援してね」の言葉だった。七也はこの言葉に、腹心の友=恋人になれず、あくまでも配信者とファンとの一線を引こうとするアンの対応に、突き放されたような距離を感じたのだろうか……彼はアンの殺害をここで決意するのである。

その後、劇冒頭のシーンが繰り返される。だがここでアンを刺そうとする瞬間、七也の手には赤いフォークが握られている。不幸な形で初対面することになったアンと七也だが、本当はLINEで約束したように、和やかにケーキを囲んでいろんな会話がしたかった。手にした赤いフォークからは、七也の切ない想いが伝わる。そこから赤毛のアンと黒髪のダイアナによる、互いに求めていた理想の関係を、ダンスで幻視する。

このシーンが本作の核である。彼らは生身の人間ではなく、モンゴメリが描いた小説の登場人物になりきり、本当の腹心の友となる。そして2人は想像力をはためかせて、小説の舞台となったプリンス・エドワード島で、赤く燃える森を見ようと詩的な台詞で誓う。

イメージが広がる演劇的な場面であるが、これはあくまでも幻想である。一連のシーンの最後、2人が抱き合う瞬間に、フォークはやはりナイフに入れ替わっており、アンは刺される。そして彼女に馬乗りになった七也は、アンの首筋を切り裂く。他者からの承認を求める一方通行の恋愛感情は、抱けば抱くほど距離を生じさせてしまう。アンとダイアナのメルヘンチックな交流は、七也の心理的な空虚感の裏返しであり、理想と現実の埋めがたい落差の視覚化になっていた。
事件を報じるニュース音声が流れるが、その中には、なみ子が龍斗を同じく刺したことも伝えられる。抑え難い感情を爆発させたのは、七也だけではなかった。誰もが七也やなみ子のように、犯行に至る可能性がある。登場人物を複数演じる2人芝居のスタイルは、そのことを物語上だけでなく示唆する効果があった。