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伊藤紺が『わたしのなかにある巨大な星』で綴った「役に立ちたくない」の真意とは

2026.6.15

#BOOK

自分でも気がつかなかった、魂のさらに奥にある感情に触れる。読む者にそんな感触を与える短歌を数多く生み出しているのが、歌人・伊藤紺だ。そんな伊藤にとって初のエッセイ集『わたしのなかにある巨大な星』が、4月15日に刊行された。2016年に作歌を始めた伊藤にとって、活動10周年を記念する作品だ。

本書のなかで、伊藤は自身の短歌や文章について「誰に求められなくても、作品の価値は変わらない。自分が掘り出した鉱物のように、値段がつかなくても美しくそこにある」と綴る。10年の活動のなかで、伊藤はどのように現在の創作姿勢にたどり着いたのか。31文字の短歌からエッセイにも広がっている伊藤の現在地、その裏にある生き方を訊く。

「やっぱり、嘘は書けなかった」。エッセイを書くことを通じて得た気づき

─活動10周年、そして『わたしのなかにある巨大な星』刊行おめでとうございます。ご自身初のエッセイ集ですが、執筆のなかでエッセイならではの苦悩はありましたか?

伊藤:ありがとうございます。そうですね、それこそ本に入っている「エッセイがむずかしい」という文章でも書いたのですが、「自分のことを書く」というのは難しいことだなと感じました。

伊藤紺(いとう こん)
歌人。1993年、東京生まれ。2016年に作歌を始める。2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行し話題に。2022年に両作の新装版を短歌研究社より刊行。2023年には歌集『気がする朝』(ナナロク社)を上梓した

伊藤:エッセイのなかでは、「わたし」という言葉が100%伊藤紺を指すので、すごく重く感じるというか。わたしという人間のバックグラウンドや、外から見たキャラクターなどを意識せざるを得なくて、それがとても大変でした。

でも、自分の過去を自分の言葉で語る、という行為を続けていくうちに、「自分自身を組み直していく」みたいな感覚になっていって。それはすごく贅沢で、エッセイならではだなあ、書けてよかったなと思いましたね。

─書き上げてみて、気づきや発見はありましたか?

伊藤:やっぱり、わたしは嘘は書けないんだな、とは感じました。エッセイって、事実をベースにしながらもある程度、小さな嘘を交えながら「物語化」させて書かなくちゃいけないというイメージがあったんです。実際そういう部分は確かにあるんだけど、でも、エッセイには、本当のことと本当のことがぶつかって物語的な接続が断絶しても、自分の存在やキャラクターが勝手に働いて、文章を接続してくれる力があって。そういう意味で自分の「今」「本心」が100%出たなと思います。

もう一つ気づいたのが、わたしは昔からずっと変わっていないということ。昔から変だとか独特だとか言われてきて、納得いってなかったんですが、最近は自分の思考回路が独特なのかもと思うことが増えて。エッセイを書くために過去を振り返ってみると、だいぶ昔から「独特なわたし」がいる。

伊藤:例えば「仕事ができない」というエッセイで書いたのですが、学生時代にガソリンスタンドでバイトをしていたとき、お客さんにお店のポイントカードをあんまり渡せなかったんです。「たまたまガソリンを入れに来ただけの人にポイントカードを渡すなんて失礼だ」っていう確固たる思いがあって。当時は自分が器用で優秀だと思っていて、それが正解だと思っていたのですが、今振り返ると「あ、ずっと不器用だったんだ」って気がつきました(笑)。

「ずっと短歌と出会い続けていた」。伊藤紺が語る「活動10年」の感慨

─「デビュー作の出版から10年」ではなく「作歌を始めた日から10年」というところにこだわりをお持ちだと感じます。その点について詳しく伺えますか?

伊藤:そうなんです、短歌をつくりはじめた日から数えるようにしていて。短歌との出会いが、一番メモリアルな気がするんです。

そもそも、「デビュー」がいつなのか自分でもよくわかんないんですよね。商業出版ではじめて新作歌集を発表したのは2023年だけど、その前年に第一歌集と第二歌集の新装版を商業出版しているから、どっちかですかね? でいうと、やっぱり初めて短歌をつくって、ZINEにして、書店さんにも置いてもらった2016年が自分のなかではダントツで大きい。最初は吉祥寺の「百年」さんと下北沢の「本屋B&B」さん、中野の「TACO ché」さんの3店が取り扱ってくれました。

出版社さんから商業的に出版できるようになったのはものすごくありがたいことですが、すべて「短歌を始めた瞬間」の延長線上にあることだな、という感覚があって。なので、「自分が短歌を始めた瞬間を一番メモリアルなこととして、そこから10周年、というのを自分は大切にしたいなと思って。

─エッセイを読むと、短歌を始めた当時は卒論や就活の時期だったそうですね。一般的な仕事に就くことが目前になっていたなかで、なぜ短歌に惹かれ、読むだけでなく書こうと思ったのでしょうか?

伊藤:そうですね。どうやって出会ったかという話は『わたしのなかにある巨大な星』にしっかりと書いたので、ぜひそちらを読んでみていただければと思うのですが、もともと好きになったらすぐにやる性格で。バンドをやりたいと思ったときもすぐにお年玉でベースを買ったし、絵を描きたいと思ったらその日のうちにペンを買いに行ったり。短歌も出会った瞬間に自然に書くようになりました。

初めて短歌を書いた日は一首つくって、それがどんな歌だったかはもう覚えてないですね。でも、次の日も、その次の日もつくりたくなって、毎日つくるようになって。最初から面白かったけど、その熱が日に日に上がっていく感覚でした。

だんだん自宅だけじゃなくファミレスや電車の中で書くようになって、就職したあとはお昼休みにも短歌をつくって。その時期は本当に楽しかった。書き始めてから1年か1年半くらいは、ずっと短歌と「出会い続けていた」という感覚があります。

全部の文章に「魂」が響いている。「巨大な星」というタイトルに込めた真意

─『わたしのなかにある巨大な星』には書き下ろしが20作収録されていますが、書き上がってみてもっとも手応えがあったのはどの作品ですか?

伊藤:手応えとは少し違うかもしれませんが、思いもよらず書けてよかったなと思うのが「巨大なこと」という一編です。

「できるだけ午前中に仕事を入れたくない」「起きてすぐ、顔を洗う前にごはんを食べたい」といったことを羅列した、エッセイとも言えないかもしれないエッセイですが、最後のほうに「わたしにとっては巨大なこと。生活のささやかなこだわり、とか誰にも言われたくない」と書きました。

「小さくて些細なことがじつは大事なんだ」っていう言説ってたくさんあるじゃないですか。でも、みんながそう言い始めてから、実際に世の中が小さなことを大事にできるようになったかといったら、そうはなってないよなと思うんです。その言葉じゃダメなんじゃないか、ってちょっと思う。社会では、重大な出来事は当然たくさん起きている。でも、例えば「今日なにをするか」という一番身近にあることが、自分にとっては遠近法で一番大きく見えるはず。

伊藤:作品について「伊藤さんの小さなこだわりが詰まっている」と言われることもあるんですが、わたしにとっては巨大なことなんです。このエッセイがきっかけで、読んだ人がその人の「日常の小さな、ささやかなこだわり」についてふと「でもこれって自分にとっては巨大なことだよな」と気づくようになったらいいなと、発表してから思うようになりました。

─すごく面白い感覚ですね。「巨大な」はエッセイ全体のタイトル『わたしのなかにある巨大な星』にも登場する言葉ですが、このタイトルはどのように決めたのですか?

伊藤:このエッセイ集は、わたしの創作についての話と、わたし自身の過去や人間性についての話、大きく2つのテーマが入っていて。全体タイトルは、その2つを貫くような言葉じゃないといけないと思ったんです。それで、この本の根底に通じているものは何だろうって考えたら、わたしの「魂」だな、と。

自分の精神の弱さだったり、異常なこだわりだったりトピックはさまざまなのですが、それを面白おかしく書こうとしたというよりは、その下地にある魂のことを書いている。というかほんの少しであっても魂が下に透けているトピックを選んで書いている。一冊全体に「魂」が響いている、という感覚が個人的にはあります。

伊藤:ただ、タイトルにそのまま「魂」と入れることには少し違和感があって。「魂」は言葉として強すぎるし、受け取る人によってイメージのばらつきが大きすぎると思ったんです。それで、「魂」をどう言い換えるかを考えたとき、浮かんできたのがでっかい光のイメージで。わたしのなかに大きな光があって、それがわたしを内側から突き刺しているイメージ。それを「巨大な星」と表現しました。

伊藤紺の「資本主義」との向き合い方

─収録作のエッセイ「あんまり役に立ちたくない」で、「誰に求められなくても、作品の価値は変わらない。自分が掘り出した鉱物のように、値段がつかなくても美しくそこにある」と書いていらっしゃるのが印象的です。その真意を教えていただけますか?

伊藤:「矢印が外に発達している人」と「内に発達している人」がいますよね。例えば、岡本真帆さん(歌集『水上バス浅草行き』などで知られる歌人)は編集者として働きながら歌集やエッセイを刊行して、いろいろなところに絶え間なく遊びに行って、さらに「面白そうだから」という理由でスキマバイトをしてみたりしている。真帆ちゃんを見ていると、外の世界への興味の強さに圧倒されます。一方でわたしは外に向かう矢印がへなへなで、あんまり世界に興味がない。その代わり自分にとても興味があって、自分を探索することにエネルギーを注ぐことに抵抗がない。

もちろん、その2つの矢印は一人の人間の中でいろいろな割合があると思いますが、対立するようなものではなくて、結局どちらも同じなのかな、という感覚もあって。外向きに強い矢印を持つ人は、世界を通じて自分をよく見ているし、わたしのように内向きに強い矢印を持つ人は自分を通じて世界を見ている。結局、矢印は円環状にループしていて、自分がエネルギーを注ぎたいことをしていくのがその人が辿り着くべき場所への一番の近道なんじゃないかと思うんです。そういう意味で、役に立つかどうかとか、今の時点での業界における評価とか、そういうものは些細なことだと思っています。

─なるほど。「自分の活動とその結果を、他人の価値観で計られたくない」というニュアンスも感じました。一方で、企業に依頼されて短歌を書いたり、イベントや番組への出演と、他者に求められての活躍もされています。そうしたことをご自身ではどうとらえていらっしゃいますか?

伊藤:結局役に立っちゃう(笑)。悔しいけど、役に立たないと生活したり、活動を継続することはできないので、自分が嫌じゃない「役に立ち方」を模索するのが大事なのかなと思います。わたしの場合は「歌人・伊藤紺」としてできる仕事かどうかを大事にしてて。思っていないことを言わなきゃいけないとか、既出の作品を別の文脈に書き換えられてしまうような仕事は厳しい。

あと「歌人を代表して来てください」という感じのお仕事も難しいなと感じます。例えば「短歌の先生」のような立場で他の人の作品を講評する、といったものとか。それは「自分の名前で仕事をすること」とはちょっと違う気がして、できるだけご遠慮するようにしています。

最近は、仕事のなかで自分発信のものの割合をもっと上げていきたいなとは思っています。

「わたしは『自分の国』の将軍」。伊藤紺の進化と今後

─エッセイ執筆はご自身と深く向き合う時間でもあったと思います。今、改めて「伊藤紺」とはどんな人物だと考えていますか?

伊藤:より、「自分が変である」というのを、腹を決めて認められるようになりました。昔からちょっと変だと影で言われてきたのですが、強さや権威、スマートさ、優秀さへの憧れとか、全然普通の部分もあったんです。そういうものが、創作と向き合うことでかなり粉々になって変な部分ばっか残っちゃった。

本の中でも書いたのですが、わたしは自分を「将軍」だと思っていて。自分一人だけの小さな国の将軍。権威も出世もないなかで、独自のやり方で自分の国を治めなくちゃいけない。それが自分の国の平和にも幸福にもつながるんだっていうのを強く思うようになりました。

─本に書かれている「将軍」の考え方、すごく面白く読みました。読者にはぜひ「将軍として」というエピソードを読んでほしいですね。

伊藤:ありがとうございます(笑)。

─歌人のなかには肩書を「エッセイスト・歌人」などとする人もいますが、伊藤さんは肩書を広げていくことは考えていますか?

伊藤:いや、わたしはあくまでも「歌人」だなと思っています。エッセイ集を刊行したからといって、短歌の創作に影響があったかといえばそうでもないなと思いますし。「歌人」を軸として、そのうえでさまざまなものをつくっていく、というのがいまのところはしっくりくるかな。

─最後に、今後の活動の展望を教えてください。

伊藤:『わたしのなかにある巨大な星』ができあがって、すごく満足感があるんです。「言いたいことを言えたぜ!」って(笑)。次の歌集を出すための状況として、すごくいい状態だなと。でもエッセイで大口を叩いたからこそ、短歌のクオリティをしっかり上げないといけないというプレッシャーがあります。

すでに今、次の歌集をつくっているのですが、いい意味での追い込みができていますね。みなさんには、期待して待っていてもらいたいです。

『わたしのなかにある巨大な星』

2026年4月15日発売
著者:伊藤紺
出版社:ポプラ社
価格:1,870円(税込)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784591189566

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