自分でも気がつかなかった、魂のさらに奥にある感情に触れる。読む者にそんな感触を与える短歌を数多く生み出しているのが、歌人・伊藤紺だ。そんな伊藤にとって初のエッセイ集『わたしのなかにある巨大な星』が、4月15日に刊行された。2016年に作歌を始めた伊藤にとって、活動10周年を記念する作品だ。
本書のなかで、伊藤は自身の短歌や文章について「誰に求められなくても、作品の価値は変わらない。自分が掘り出した鉱物のように、値段がつかなくても美しくそこにある」と綴る。10年の活動のなかで、伊藤はどのように現在の創作姿勢にたどり着いたのか。31文字の短歌からエッセイにも広がっている伊藤の現在地、その裏にある生き方を訊く。
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「やっぱり、嘘は書けなかった」。エッセイを書くことを通じて得た気づき
─活動10周年、そして『わたしのなかにある巨大な星』刊行おめでとうございます。ご自身初のエッセイ集ですが、執筆のなかでエッセイならではの苦悩はありましたか?
伊藤:ありがとうございます。そうですね、それこそ本に入っている「エッセイがむずかしい」という文章でも書いたのですが、「自分のことを書く」というのは難しいことだなと感じました。

歌人。1993年、東京生まれ。2016年に作歌を始める。2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行し話題に。2022年に両作の新装版を短歌研究社より刊行。2023年には歌集『気がする朝』(ナナロク社)を上梓した
伊藤:エッセイのなかでは、「わたし」という言葉が100%伊藤紺を指すので、すごく重く感じるというか。わたしという人間のバックグラウンドや、外から見たキャラクターなどを意識せざるを得なくて、それがとても大変でした。
でも、自分の過去を自分の言葉で語る、という行為を続けていくうちに、「自分自身を組み直していく」みたいな感覚になっていって。それはすごく贅沢で、エッセイならではだなあ、書けてよかったなと思いましたね。
─書き上げてみて、気づきや発見はありましたか?
伊藤:やっぱり、わたしは嘘は書けないんだな、とは感じました。エッセイって、事実をベースにしながらもある程度、小さな嘘を交えながら「物語化」させて書かなくちゃいけないというイメージがあったんです。実際そういう部分は確かにあるんだけど、でも、エッセイには、本当のことと本当のことがぶつかって物語的な接続が断絶しても、自分の存在やキャラクターが勝手に働いて、文章を接続してくれる力があって。そういう意味で自分の「今」「本心」が100%出たなと思います。
もう一つ気づいたのが、わたしは昔からずっと変わっていないということ。昔から変だとか独特だとか言われてきて、納得いってなかったんですが、最近は自分の思考回路が独特なのかもと思うことが増えて。エッセイを書くために過去を振り返ってみると、だいぶ昔から「独特なわたし」がいる。

伊藤:例えば「仕事ができない」というエッセイで書いたのですが、学生時代にガソリンスタンドでバイトをしていたとき、お客さんにお店のポイントカードをあんまり渡せなかったんです。「たまたまガソリンを入れに来ただけの人にポイントカードを渡すなんて失礼だ」っていう確固たる思いがあって。当時は自分が器用で優秀だと思っていて、それが正解だと思っていたのですが、今振り返ると「あ、ずっと不器用だったんだ」って気がつきました(笑)。
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「ずっと短歌と出会い続けていた」。伊藤紺が語る「活動10年」の感慨
─「デビュー作の出版から10年」ではなく「作歌を始めた日から10年」というところにこだわりをお持ちだと感じます。その点について詳しく伺えますか?
伊藤:そうなんです、短歌をつくりはじめた日から数えるようにしていて。短歌との出会いが、一番メモリアルな気がするんです。
そもそも、「デビュー」がいつなのか自分でもよくわかんないんですよね。商業出版ではじめて新作歌集を発表したのは2023年だけど、その前年に第一歌集と第二歌集の新装版を商業出版しているから、どっちかですかね? でいうと、やっぱり初めて短歌をつくって、ZINEにして、書店さんにも置いてもらった2016年が自分のなかではダントツで大きい。最初は吉祥寺の「百年」さんと下北沢の「本屋B&B」さん、中野の「TACO ché」さんの3店が取り扱ってくれました。
出版社さんから商業的に出版できるようになったのはものすごくありがたいことですが、すべて「短歌を始めた瞬間」の延長線上にあることだな、という感覚があって。なので、「自分が短歌を始めた瞬間を一番メモリアルなこととして、そこから10周年、というのを自分は大切にしたいなと思って。

─エッセイを読むと、短歌を始めた当時は卒論や就活の時期だったそうですね。一般的な仕事に就くことが目前になっていたなかで、なぜ短歌に惹かれ、読むだけでなく書こうと思ったのでしょうか?
伊藤:そうですね。どうやって出会ったかという話は『わたしのなかにある巨大な星』にしっかりと書いたので、ぜひそちらを読んでみていただければと思うのですが、もともと好きになったらすぐにやる性格で。バンドをやりたいと思ったときもすぐにお年玉でベースを買ったし、絵を描きたいと思ったらその日のうちにペンを買いに行ったり。短歌も出会った瞬間に自然に書くようになりました。
初めて短歌を書いた日は一首つくって、それがどんな歌だったかはもう覚えてないですね。でも、次の日も、その次の日もつくりたくなって、毎日つくるようになって。最初から面白かったけど、その熱が日に日に上がっていく感覚でした。
だんだん自宅だけじゃなくファミレスや電車の中で書くようになって、就職したあとはお昼休みにも短歌をつくって。その時期は本当に楽しかった。書き始めてから1年か1年半くらいは、ずっと短歌と「出会い続けていた」という感覚があります。
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全部の文章に「魂」が響いている。「巨大な星」というタイトルに込めた真意
─『わたしのなかにある巨大な星』には書き下ろしが20作収録されていますが、書き上がってみてもっとも手応えがあったのはどの作品ですか?
伊藤:手応えとは少し違うかもしれませんが、思いもよらず書けてよかったなと思うのが「巨大なこと」という一編です。
「できるだけ午前中に仕事を入れたくない」「起きてすぐ、顔を洗う前にごはんを食べたい」といったことを羅列した、エッセイとも言えないかもしれないエッセイですが、最後のほうに「わたしにとっては巨大なこと。生活のささやかなこだわり、とか誰にも言われたくない」と書きました。
「小さくて些細なことがじつは大事なんだ」っていう言説ってたくさんあるじゃないですか。でも、みんながそう言い始めてから、実際に世の中が小さなことを大事にできるようになったかといったら、そうはなってないよなと思うんです。その言葉じゃダメなんじゃないか、ってちょっと思う。社会では、重大な出来事は当然たくさん起きている。でも、例えば「今日なにをするか」という一番身近にあることが、自分にとっては遠近法で一番大きく見えるはず。

伊藤:作品について「伊藤さんの小さなこだわりが詰まっている」と言われることもあるんですが、わたしにとっては巨大なことなんです。このエッセイがきっかけで、読んだ人がその人の「日常の小さな、ささやかなこだわり」についてふと「でもこれって自分にとっては巨大なことだよな」と気づくようになったらいいなと、発表してから思うようになりました。
─すごく面白い感覚ですね。「巨大な」はエッセイ全体のタイトル『わたしのなかにある巨大な星』にも登場する言葉ですが、このタイトルはどのように決めたのですか?
伊藤:このエッセイ集は、わたしの創作についての話と、わたし自身の過去や人間性についての話、大きく2つのテーマが入っていて。全体タイトルは、その2つを貫くような言葉じゃないといけないと思ったんです。それで、この本の根底に通じているものは何だろうって考えたら、わたしの「魂」だな、と。
自分の精神の弱さだったり、異常なこだわりだったりトピックはさまざまなのですが、それを面白おかしく書こうとしたというよりは、その下地にある魂のことを書いている。というかほんの少しであっても魂が下に透けているトピックを選んで書いている。一冊全体に「魂」が響いている、という感覚が個人的にはあります。

伊藤:ただ、タイトルにそのまま「魂」と入れることには少し違和感があって。「魂」は言葉として強すぎるし、受け取る人によってイメージのばらつきが大きすぎると思ったんです。それで、「魂」をどう言い換えるかを考えたとき、浮かんできたのがでっかい光のイメージで。わたしのなかに大きな光があって、それがわたしを内側から突き刺しているイメージ。それを「巨大な星」と表現しました。