世界で最も迫害された少数民族の一つといわれる、ロヒンギャ。2017年、ミャンマーでロヒンギャに対する弾圧が起こり、75万人以上が隣国に逃れたことは世界的なニュースにもなった。現在も100万人以上が避難生活を強いられ、ミャンマーの情勢不安により帰還は困難な状況が続いている。藤元明緒監督による劇映画『LOST LAND』は、総勢200名を超えるロヒンギャが出演する世界初の作品。難民キャンプで暮らす姉弟が、キャンプ地からマレーシアへ旅する様を描き、リアルな描写と息を呑むような容赦ない展開に引き込まれる。本作は『第82回ベネチア国際映画祭』オリゾンティ部門で審査員特別賞を受賞するなど、ミャンマーで語ることがタブー視されていたロヒンギャと世界をつないだ。
今回は、映画『LOST LAND』の監督・藤元明緒と、予告編ナレーションを務めた俳優・河合優実に取材。河合は本作に感銘を受け、さらに監督とともに3日間難民キャンプを訪れ、ロヒンギャの暮らしを目の当たりにした。二人が現地で目にした人々の営みや、世界的に蔓延する「他者を排除しようとする空気」、ロヒンギャが辿ってきた歴史とのつながり。遠い国の話と私たちの足元がつながっていることを感じられる対話となった。
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長年迫害されてきたロヒンギャの人々。藤元監督が抱いた罪悪感
─お恥ずかしながら、ロヒンギャのことを、本作をきっかけに知りました。ドキュメンタリーといわれてもわからないような作り込みに、鑑賞後しばらく呆然としましたが、河合さんは映画を拝見されていかがでしたか?
河合:私も同じく呆然としました。試写後に藤元監督がスクリーンの前で本作について話してくださったのですが、映画で描かれていることは現実なのだと改めて突きつけられて、受け止めきれず動揺してしまって。感情を整理できないくらい、心が大きく動きました。

2000年生まれ、東京都出身。21年に映画『由宇子の天秤』『サマーフィルムにのって』での演技が高く評価され、各賞の新人賞などを受賞。最近の出演作はドラマ『不適切にもほどがある!』『RoOT / ルート』、映画『少女は卒業しない』『あんのこと』『ナミビアの砂漠』『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』『ルノワール』『旅と日々』など。
─監督は、在日ミャンマー人家族を描いた『僕の帰る場所』(2017年)、ベトナム人技能実習生を描いた『海辺の彼女たち』(2020年)などアジアを舞台に映画を制作されています。本作を手がけたきっかけは?
藤元:2013年に「ミャンマーで長編映画を撮影する監督募集」という案内を見かけて応募したことをきっかけに、10年以上ミャンマーの人や仕事に関わり続けてきました。ミャンマーに初めて訪れたときから、ロヒンギャに対する迫害や差別の話を聞くことがありましたが、ミャンマーではロヒンギャの話題に触れることが「タブー」だったんです。

1988年、大阪府生まれ。ビジュアルアーツ専門学校大阪で映画制作を学ぶ。在日ミャンマー人家族を描く初長編『僕の帰る場所』(2018年)が第30回東京国際映画祭アジアの未来部門 作品賞&国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞。2021年、ベトナム人技能実習生を描く長編第二作『海辺の彼女たち(日本ベトナム国際共同製作)』を公開。主にミャンマーなどアジアを舞台に合作映画を制作し続けている。
─調べたところ、ミャンマー政府はロヒンギャを不法移民集団とみなして国籍を認めておらず、2017年にはミャンマー国内でロヒンギャに対する大規模な無差別の武力弾圧が起こった、と拝見しました。その背景には、宗教の問題など複雑な歴史的経緯があるかと思いますが、監督はタブーに切り込むべきだと思われたのですね。
藤元:何度かロヒンギャの映画を作ろうと試みたのですが、ミャンマーの友人や自分が積み上げてきたキャリアを失うかもしれないという怖さがあり、動き出せずにいました。ずっと沈黙してしまったことへの罪悪感と、今やらないとずっと無視し続けるだろうなという思いもあり、2023年に映画化へ向けて動き始めました。
─「今やらないと」という切実さは、何かきっかけがあったのでしょうか?
藤元:僕が帰国した3年後の2021年に、ミャンマーで軍事クーデターが起きました。国軍が権力を持ち、現地の情勢は大変なことになった。僕も映画を通して支援活動や声をあげる動きをしたのですが、なぜ2021年のクーデターでは声をあげて、2017年のロヒンギャの弾圧では声を上げなかったのか。明らかにダブルスタンダードな態度を持ってしまったことに自覚的になり、年々切実な思いが募っていきました。
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「この映画で大事なのは彼らの感情を表現することよりも、どういう感情なのか探してもらうこと」(藤元)
─語るべきことが多い題材ですが、映画としてどのようなテーマに絞られたのでしょうか?
藤元:これまでも、何かを越境していく映画を作ってきたので、今作も「旅」を軸にした物語であればよそ者である僕も描けるだろうと思いました。それまで、ロヒンギャの方にお会いしたことがなかったので、取材に時間を費やしたのですが、しんどいことにぶち当たることもあり……ただ、どんなに辛い状況でも血の繋がりや家族という枠組みを越えて、お互いに助け合いながら命を運ぶ旅をしてきた、というエピソードをみんなが持っていたんですね。その連帯性にすごく惹かれました。


河合:映画に登場する姉弟も、連帯の中で生きますもんね。私もそこが印象的でした。
藤元:そうなんです。なので、姉弟がいろいろな人に助けられながら目的地を目指す物語にしました。それは、観客の方も含めてどこの国の人でも参加可能な連帯であることを提示する映画にしたかったからです。
─河合さんが印象的だったシーンはありますか?
河合:お祈りの場面が映画の中でよく登場するのですが、亡くなってしまった方に向けて祈ったり、新たな場所に移るときに祈ったり、日本よりも祈ることが生活において密接なのだと感じました。キャストには演技経験のない方々が多いと聞いていたのですが、監督にお話を伺ったとき「演出することに躊躇があったので、あまりしなかった」と仰っていて。まさに祈る場面はみなさんの身体から自然と出てくる営みに見えました。

藤元:どういう気持ちで、なにを想像して祈ってくださいといったことは、全く説明しませんでした。きっと、この映画で大事なのは彼らの感情を表現することよりも、どういう感情なのか探してもらうことだと思ったんです。そこから、彼らがなにを祈ろうとしているのか想像することはできるはず。
河合:難民キャンプで実際に祈る姿は見ませんでしたが、モスクがある話を伺いました。大変な場所であっても、礼拝堂を作るくらい祈りが生活と切り離せないものなんだな、と感じました。
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3日間の難民キャンプ訪問。笑顔溢れる暮らしの隣に存在する現実
─ぜひ、難民キャンプのお話も詳しくお聞きしたいです。藤元監督と河合さんは難民支援機関である国連UNHCR協会(以下、UNHCR)のアテンドのもと、難民キャンプに実際に足を運ばれたんですよね?
河合:3日間訪問させていただいて、難民キャンプの運営方法や各セクションの働きなど、可能な限り見せていただきました。印象に残ったことはたくさんあるんですが……パッと思い出すのは、キャンプで生まれ育った子どもたちが、難民キャンプをただ「故郷」として暮らしている様子。突然訪問してきた私たちの元にも笑顔で寄ってきてくれる。その無邪気さや、楽しく毎日を送っていること自体には、「よかった」と心の底から思いました。
一方で、ある一定の年齢を超えると、自分たちが置かれている環境や自分自身が難民であることを理解するのだろうと想像し、表し難い感情になりました。ニコニコ笑っている女の子と、小さな妹を抱えて私たちにあまり近寄ろうとしない女の子。彼女の顔が忘れられないです。そういう瞬間を直接見ることで、インターネットで調べてもわからない、難民キャンプという場所で生きている人たちの生活の温度感が感じられました。


─映画の一場面を思い出しました。弟は無邪気に「いつお家に帰れるの?」と言うけれど、姉はずっとはぐらかしますよね。二人の間には大きな境界が引かれていたんですね。他にも難民キャンプで、映画と重なる場面はありましたか?
河合:キャンプに到着するまでの、命がけの生々しい話をたくさん聞かせてもらい、映画で描かれていたことが現実にあることを痛烈に感じました。映画では意図的に映していないところがあると思うのですが、正直自分の想像力を越える経験をされている方もいました。
藤元:私も難民キャンプを訪れるのは初めてで、自分が想像していた以上の状況でした。生活も教育も医療も、人間が人間として生活する「最低限」のものがないと言いますか……絶望的な状況であることを身にしみて感じました。
でも、UNHCRを含め各国から知識を持った方々が、その状況をなんとか食い止めようとされていました。その熱量の高さには、これまでの経験から得た人間の叡智がつまっていて感動しました。たとえば、難民キャンプでは自然発生的に火災が何度も起きるのですが、消すための訓練と対応が素早いんです。

河合:国籍のない彼らには、キャンプで登録される身分証がアイデンティティの支えになっている一面があったり。他にも食料配給や生活のために必要なものを平等に得られるシステムや、インフラの整備など、説明してくださる支援団体の職員さんたちの顔が必死でしたよね。ただ、最大限の努力と誠意を尽くしていても追いつかないジレンマもあるんだろうな、と感じました。