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『ザ・フラッシュ』のマルチバース概念
『IT/イット』2部作のアンディ・ムスキエティ監督が、はじめてスーパーヒーロー映画を手がけた『ザ・フラッシ』。DCコミックスの映像作品を再編する、DCユニバース構想の序章として位置づけられる本作は、マルチバースを題材にしたことでも話題になった。
マルチバースは、宇宙を意味するユニ(=一つの)バースに対し、マルチ(=多数の)とユニバースを合成した言葉で、多元宇宙と訳される。私たちが生きるこの宇宙や世界とは別に、可能性の数だけ異なる宇宙が存在するという考え方だ。
アメコミ映画でマルチバースを初めて本格的に導入したのは、マーベル・コミックを原作とする『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)だった。画期的だったのは、その描き方だろう。異なる世界のバラエティ豊かなスパイダーマンたちを表現するために、何種類もの絵柄で書き分けた。一つの画面に異なる作風の絵が共存している、その描写は新鮮だった。
アメコミ映画以外に目を向けると、第95回アカデミー賞7部門を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022年)が、異なる世界の自分に次々とリンクする世界観を提示していた。
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複雑に絡み合う世界とスーパーヒーローたち
『ザ・フラッシュ』では、主人公のフラッシュ/バリー・アレン(エズラ・ミラー)がタイムトラベルし、母が死ぬ過去を変えたことで、マルチバースが生じる。本作のマルチバースの特徴は、劇中でもスパゲティを使って説明される。それぞれの世界は茹でる前のスパゲティ同様、平行に並んでいる。しかし、ある世界線を変えると、茹でた後のようにそれぞれの世界線が絡み合い、互いに影響を与え続ける。過去を変えれば一つの未来が変わるという直線的な時間の物語はよくあるが、本作が独特なのは、過去と未来全てが影響し合い、それが広がり続ける複雑さにある。この設定に裏付けられた表現が随所に見られる。
過去を変えたあとで、バリーは18歳の自分に遭遇する。母の死というトラウマを抱えた現在のバリーと、それとは無縁で陽気なバリー。バックグラウンドの異なる自分が同時に存在している。この描写に説得力を持たせたミラーの演技は見事だ。
公開前にもニュースになっていた通り、現在のバリーの友人であるバットマン(ベン・アフレック)のみならず、年老いたバットマンが登場する。これを『バットマン』(1989年)、『バットマン リターンズ』(1992年)のマイケル・キートンが演じている。スーツやマシンの計器を1989年当時に似せるなど、ノスタルジーを感じさせながら、現代にマッチしたアクションシーンを披露した。
もともとこの映画の監督候補として、ロバート・ゼメキスの名前が上がっていたそうだが、劇中でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)の話題に。その際、18歳のバリーは映画の主役がエリック・ストルツだと言い張る一方で、現代のバリーはマイケル・J・フォックスだと主張する。一見なんてことのないギャグパートだが、この箇所は、可能性の数だけ世界が存在するというマルチバースを端的に表すだけでなく、私たちの住む現実にも関係している。というのも、エリック・ストルツは、実際に同作の主役に抜擢されたものの、その後降板してしまったからだ。
核心に触れる部分なので詳細は省くが、終盤でも、現実で起こり得たかもしれない出来事を含め、異なる世界とキャラクターたちがスパゲティのように絡み合う。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の主人公が別次元にリンクすることで、あり得たかもしれない自分、自分の可能性を観客にも想像させたのだとすれば、『ザ・フラッシュ』を通じて、過去作へのノスタルジーだけでなく、実現していたかもしれない作品、その作品が繰り広げていたはずの世界に、私たちは自由に想いを馳せることができる。
複雑に、そして過剰に接続し続ける世界に対し、バリーは決断を迫られる。この決断はヒーローとしての責任だけでなく、トラウマや執着と向き合うことでもあると思う。物語の結末については、ぜひ映画館に足を運んで見届けていただきたい。
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『ザ・フラッシュ』がDCユニバースにもたらす自由
冒頭でも述べたとおり、本作は、DCスタジオのCEOジェームズ・ガン&ピーター・サフランによるDCユニバース構想の序章に位置づけられた作品だ。2013年から始まったDCエクステンデッド・ユニバースは、2023年12月米国公開予定の『アクアマン・アンド・ザ・ロスト・キングダム(原題)』をもって終了し、その一部はDCユニバースへとリブートされる。そして、新しく始まるDCユニバースでは、映画とアニメ、ゲームといったDCコミックの映像作品が再構築され、共に絡み合うのだそうだ。
その第1章として、2024年のアニメ『クリーチャー・コマンドーズ』、2025年7月上映の『スーパーマン:レガシー』など、今後10作以上の映画、テレビシリーズが予定されている。既に『スーパーマン:レガシー』では、スーパーマン/クラーク・ケント役にデヴィッド・コレンスウェットが、ロイス・レイン役としてレイチェル・ブロズナハンが発表された。 今後、DCユニバースはどのように展開するのだろうか。一つ言えるのは、『ザ・フラッシュ』とスパゲティの比喩で説明されたマルチバースが、DCスタジオに自由をもたらしたということだ。劇中で、年老いたバットマンが登場したように、これからの映像作品では、過去の作品にとらわれず、あるいはそれらを参照しながら、新しいスーパーヒーローとユニバースを自由に構築できる。そして、再構築されたユニバースは、本作で提示されたマルチバースの設定によって裏付けされる。ジェームズ・ガンが言うように、まさに『ザ・フラッシュ』は「すべてをリセット」したのだ。