今日「スタンダードナンバー」と呼ばれる数多くの有名曲の歌詞を手がけた作詞家、ロレンツ・ハート。映画『ブルームーン』は、そのハートを主人公に、『ビフォア・サンライズ』シリーズのリチャード・リンクレイター監督とイーサン・ホークが再びタッグを組み、1943年のある一夜を描いたドラマだ。評論家の柴崎祐二が、ブロードウェイミュージカルの変遷と1943年の時代背景をふまえ、同作について論じる。連載「その選曲が、映画をつくる」第36回。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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対照的な名コンビ、ロジャース&ハート
ガーシュイン兄弟やアーヴィング・バーリン、ジェローム・カーン、コール・ポーターなど、綺羅星のごとき作家がひしめくブロードウェイミュージカルの歴史にあって、作曲家のリチャード・ロジャースと作詞家ロレンツ・ハートの名コンビ=ロジャース&ハートほど、栄光と頽落、陽と陰の二面性を映し出してみせた存在は稀だろう。
1919年春の出会いを経て初めての共同作業を行って以来、『ギャリック・ゲイティーズ』(1925年)、『最愛の敵』(同年)、『コネチカット・ヤンキー』(1927年)、『オン・ユア・トウズ』(1936年)、『私はむしろ正しくありたい』(1937年)、『ベイブズ・イン・アームズ(青春一座)』(同年)、『シラキュースから来た男たち』(1938年)、『パル・ジョーイ』(1940年)、『ジュピターにかけて』(1942年)などの話題作 / ヒット作を続々ものにした彼らは、まさに戦間期のアメリカンミュージカルを代表する人気チームだった。
しかし、2人の性格はまさに好対照と言うべきものだった。ロジャースが分別を身に着けた作家として順調なキャリアを積み重ねていった一方で、かたやハートは、アルコール浸りの破滅型の芸術家としてその名を歴史に刻むことになったのだった。
リチャード・リンクレイター監督の最新作『ブルームーン』は、そんな対照的な2人の姿を、ある一夜の出来事を通じて描き出す異色の伝記ドラマだ。


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ミュージカル史の重要な結節点に迫ったドラマ
舞台はニューヨークの劇場街タイムズスクエアにある名レストラン、サーディーズ。リチャード・ロジャース(アンドリュー・スコット)が新たな相棒オスカー・ハマースタイン2世(サイモン・デラニー)と組んで作り上げた新作『オクラホマ!』の初演が行われている夜、一人で劇場を抜け出したロレンツ・ハート(イーサン・ホーク)は、店に着くやいなやバーテンダーのエディ(ボビー・カナヴェイル)を相手にあれやこれやと話し込む。話題は、彼が目下熱を上げている二十歳の美大生、エリザベス(マーガレット・クアリー)についてだ。しばらくすると、初演を大盛況に終えたロジャーズとハマースタインらの関係者が店に押し寄せ、華やかな祝賀パーティーが始まるのだが――。
本作は、エリザベスとハートの文通記録を元にした伝記ドラマの体裁を取ってはいるものの、その実態としては、リンクレイターの盟友である脚本家のロバート・キャプロウが書いたフィクションと言った方が適当だろう。かといって完全に歴史的な視点から離れた語り口なのかと言えばそうではなく、むしろ、アメリカンミュージカル史における重要な結節点へと巧みに迫った作品であると評すべきだろう。
その理由の第一には、『オクラホマ!』という、様々な意味において新時代の幕開けを宣するに相応しい作品の存在を物語の起点に置いていることが挙げられる。同作は、それまでのロングラン記録を大幅に更新する2212回の公演を重ねるなど、同時代を代表する大ヒット作に成長していくことになるが、そうしたヒットの背景には、物語と歌とダンスの見事な統合(Integration)ぶりがあったと言われている。
演劇評論家の小山内伸は、本作のそうした革新性について、自著『ミュージカル史』の中で、次のように述べている。
「ショー」(※)に源流を持つミュージカルは、その初期において歌やダンス、スケッチ、個人芸などの「部分」が独立して受容される傾向にあった。その後、台本の重要性は認知されたものの、一方でミュージカルがヒット曲の供給源となったことから、楽曲がポップスとして単独のヒットを狙う路線へと傾いた。そうした中にあって、『オクラホマ!』が成し遂げた「統合」により、ミュージカルは歌やダンスが「全体」に寄与する方向へと、歴史的な舵を切ったのである。
(小山内伸『ミュージカル史』中央公論新社 P.76)
※ミンストレル・ショー、バーレスク、ミュージック・ホール、ヴォードヴィル、レビューなど、歌や踊り、曲芸などの出し物がそれぞれ独立した形で供された大衆的舞台全般を指す。
加えて、『オクラホマ!』の新規性は、その物語自体にも色濃く反映されていたと言われている。20世紀初頭のオクラホマ州――つまり、古き良き時代のアメリカの原風景――を舞台に、郷土愛と道徳心に貫かれた成長物語が展開してく様は、第二次世界大戦が激しさを増し、愛国心が高揚しつつあった同時代のムードとも、少なからず共鳴するところがあったのだった。

翻って、ロレンツ・ハートがそのキャリアの中で作り上げてきた楽曲たちは、統合的な総合芸術としての新たなミュージカル像に貢献するものと言うよりは、ミュージカルコメディーの伝統を踏まえながら、それぞれの「見せ場」において独立した価値を発揮するものだったと言える(もちろん例外もあったにせよ)。そして、それらの楽曲は結果的に、独立したヒットソングとして多くの聴衆の心を魅了してきたのだった。本作の中にも、祝い花を届けに来た舞台芸術に疎い青年が“ブルー・ムーン”というヒット曲だけは知っていてそれを口ずさむシーンがあるが、この部分はまさに上のようなハート作品の受容のあり方を巧みに表現していると言える。
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「過去」を象徴するハートのペーソス、ユーモア、デカダンス
今や俳優として円熟の域に達したイーサン・ホーク扮するロレンツ・ハートの姿は、まさしく、こうした歴史的な結節点によって浮き彫りとなる「過去」の象徴的存在として描かれている。小さな身体から矢継ぎ早に繰り出される彼の言葉には、過ぎ去りし「ゴールデントゥエンティーズ」と大恐慌時代を彷彿させるペーソスが、かの時代の都会的なブラックユーモアが、そして、エロティシズムと退廃へのフェティッシュと敬愛が滲み出ている。それらは、誰もが大国の威勢の良い進撃を祝し、健康的な美を奉じ、明日に夢を見て過ごす新たな時代のムードの中では、退けられ、忘れられていくことが宿命付けられた何ものかでもあったろう。

そしてまた、移りゆく時代へと抵抗するように間断無くおしゃべりを続けるハートの傍らには、常に音楽が流れているのだった。サーディーズの店内では、近い将来戦場へと赴くことが決まっている音楽家志望の若者モーティ(ジョナ・リース)が、往年のミュージカルナンバーを次々と奏でていく。彼は、バーカウンターに陣取るハートへの敬愛を込めるように、“魅せられて(Bewitched, Bothered and Bewildered)”や“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”、“マンハッタン”、“時さえ忘れて(I Didn’t Know What Time It Was)”、“いつかどこかで(Where or When)”、“ヒア・イン・マイ・アームズ”、“恋に恋して(Falling In Love With Love)”といったロジャース&ハートの名曲を披露する一方で、その中に、ガーシュイン兄弟、ジェローム・カーン、ホーギー・カーマイケル、アーヴィング・バーリンらのスタンダードを織り交ぜていく。その静かな弾きぶりは、階上で行われている『オクラホマ!』のこけら落としパーティーの喧騒とは正反対と言うべきもので、去りゆく者への哀切を強く喚起させる。
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スタンダード曲の「忘却」と「再生」
当然のことながら、ミュージカルという芸術形態は、あくまで「その場」と「現在」において鑑賞されるものだ(すくなくとも、それが理想的な鑑賞だとされている)。いかに記録技術が発展し、ある日ある場所のパフォーマンスを気軽に追体験できるようになったとしても、おそらくそうした価値が傷つけられることはないだろうし、むしろ、より一層の価値を帯びるようになったとすら言えるだろう。そこに存在した空気をも含めた字義通りの「再演」が難しいからこそ、オリジナルキャストが伝説化していくのだとも言えるし、『オクラホマ!』以降の統合化されたミュージカルは、常に観客を統御された「その場」と「現在」へ没入させようと工夫を凝らしてきたとも言えるのではないか。
その一方で、特にハートが戦間期に生み残したミュージカルコメディーのナンバーたちは、(本作で若きピアニストが哀切を込めてパフォーマンスを行ってみせるように)姿と形を自在に変えながら――まるで各ナンバーそれ自身が「オリジナル」の形を忘却していくように――永遠に再演が繰り返され、その都度新たな文脈をまといながら生まれ変わっていく(ことに、より開かれていたのだった)。それは果たして「忘却」と呼ぶべき何かなのか。それとも「再生」と呼ぶべき何かなのだろうか。きっと、その両方が同時に起きているからこそ、私たちは今もなお、数々のスタンダード曲の中にみずみずしい過去の姿を聞き取り続けるのだろう。

ブルームーン
君は見ていたんだね 僕が独り夜に佇む姿を
僕には心に抱く夢もなく 愛する人もいない
ブルームーン
君は知っていたろう 僕がそこにいたわけを
聞いていたろう 心から大切に思える誰かに祈りを捧げる僕の声を
リチャード・ロジャース作曲 / ロレンツ・ハート作詞“ブルームーン”(筆者訳)
ロレンツ・ハートは、本作で描かれた一夜から数ヶ月の後、ニューヨークの路上に倒れ、肺炎で亡くなった。48歳だった。本作『ブルームーン』は、この稀代の作詞家に捧げられた作品でありながら、去りゆく時代への愛を語ろうとするあらゆる人々の話に耳を傾けようとする、心優しき友のような映画だ。
『ブルームーン』

2026年3月6日(金)新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー
監督:リチャード・リンクレイター
脚本:ロバート・キャプロウ
出演:イーサン・ホーク、マーガレット・クアリー、ボビー・カナヴェイル、アンドリュー・スコット
配給:ロングライド
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https://longride.jp/bluemoon