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北京五輪に出場した元・新体操選手の坪井保菜美は、表現者として再び世界を目指す

2024.12.27

#ART

グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。

12月5日は、フォトグラファーの南しずかさんからの紹介で、初代フェアリージャパンとして北京五輪に出場した、坪井保菜美さんが登場。初代フェアリージャパンに入ることになったきっかけのほか、動じないメンタルの保ち方、新体操指導者やアーティストなどマルチに活動している中で、最近制作されている作品について伺いました。

両親の勧めで始めた新体操で北京五輪へ

Celeina(MC):まずは新体操のお話から伺いたいのですが、新体操は何歳ぐらいから始められたんですか?

坪井:5歳から始めました。

タカノ(MC):それはご両親の勧めですか?

坪井:そうですね。両親が何かスポーツを習わせたかったというのと、すごく活発な子だったみたいなので、走り回れるような環境があればということで、家の近くにあったスクールに入れてもらったことがきっかけです。

タカノ:フェアリージャパンにはどのように誘われたんですか?

坪井:初代フェアリージャパンが結成されるタイミングで、山崎浩子さんから声をかけていただいて、オーディションを受けることになり、1期生としてメンバーに入りました。

Celeina:現役時代の練習量はどれぐらいだったんですか?

坪井:当時は高校生だったんですが、通信制の学校だったので通学せずに、1日9時間ぐらい練習していました。

Celeina:結構ハードな練習だったんですね。

タカノ:あと気になるのが、オリンピックと他の大会との違いはなんでしょうか?

Celeina:新体操にとって、オリンピックはどういう存在なのか気になりますね。

坪井:このフェアリージャパンは、オリンピックに出るということを目的に集められたので、オリンピックに出場が決まって「やっとだ!」という気持ちではありました。ただ自分の中では、オリンピックだろうが、ワールドカップだろうが、世界のどの大会でも全力でやっていたので、すごく大きな違いはないんです。でもやっぱり、オリンピックのために命をかけて集まって、親元を離れてやっていたので、そういう環境や、支えてくれた家族とか、いろんな方たちに恩返しをするという気持ちは他の大会よりも大きかったです。

タカノ:そういった思いが乗った状態で、皆さん挑んでらっしゃったんですね。

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