「居場所がない」。なにもかも不安定な時代、漠とした不安を抱く人は多いのではないだろうか。こんなにも情報や物質に溢れているというのに、本当の意味で自分と強いつながりを持つ何かとは出会えないままかもしれない、という所在のなさ。そんな宙に浮いた気持ちは、いったいいつから私たちの日常になってしまったのだろうか?
京都で演劇活動を続ける野村眞人も、おそらくそんな疑問から自身の作品に変化を求めてきたのだろう。人が何かを演じ、一時的な仮設の集まりとなる演劇とは何か? その問いから作品制作を始めた彼は、2020年代初頭のコロナ禍を経て、人との交流を一層求めるようになったという。
その過程で出会った、ある親子の関係に魅了されてつくったのが、実際の父子が看護をめぐってコミュニケーションする『吉日再会』だ。さらに現在の京都の街をテーマとする新作群像劇『観光客』では、地元に長くいる人と観光客を描くことで、土地と人の関係に注目した。
社会の変化、街の変化に眼差しを向けながら、人間の居場所、そして人間そのものへと関心を寄せる野村と「居場所」のつくり方について対話を重ねた。
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家族や故郷の話題が好き。「人の生き方を、僕も一緒に体験してみたい」
ー『吉日再会』が実の父子による対話劇だったように、近年の野村さんの作品は家族や故郷といった、広い意味での「居場所」がテーマになっていますね。
野村:「居場所」を作品のテーマにしようと思ったのは、コロナ禍がきっかけでした。それまでは演劇で何をやったら面白いかとか、観客を驚かせられるかをよく考えていたんですけど、コロナでそんな意識が吹っ飛んでしまって。かわりに興味を向けたのが、演劇や劇場の外へと自分から足を運ぶこと。例えば墓参りに行ってみるとか、旅先で出会った人と交流を持ってみるとか。そうやって生まれた関係性への興味から、最近の演劇は始まっている感じがしています。そして、そこでよく盛り上がるのが家族や故郷の話題でした。

1991年生まれ。演出家。レトロニム所属。京都を拠点に2016年から劇場内外で演劇作品を制作・発表している。利賀演劇人コンクール2018優秀演出家賞。2024年度文化庁新進芸術家海外研修制度によりドイツ・ベルリンに1年間滞在。ロームシアター京都〈レパートリーの創造 ホープス〉アソシエイト・アーティスト。
ーたしかに旅先の居酒屋やスナックなんかで知らない人と話す時に、自分の生まれた場所や家族の話はけっこう盛り上がりますよね。
野村:いろんな人生がありますけど、けっこうシリアスな……例えば自分の居場所を失ってしまうような大きな出来事であっても朗らかに語れる人がいて、そういう人のことを好きになっちゃうんです。人生のあれこれを朗らかに捉えている人の生き方を、僕も一緒に体験してみたい、というか。
ーコロナ以前と以降で作品のかたちも変わりましたか?
野村:だいぶ変わったと思います。そもそもずっと前から、演劇に対する自分の興味が研究者的だったんですよ。基本は文献研究で、歴史や世界情勢を念頭に置いて、この戯曲を上演すれば演劇史のなかに自分を位置付けることができるのではないか、と考えてみたり。でもその面白さが展開する感じがなく、しまいには大学を留年してしまったりしました。そこで「あ、自分は演劇を観に行ってない」と気づいて、遅まきながら劇場に通い始めたり(笑)。

ー劇場に行かなかった野村さんが劇場に通うようになって、さらにコロナ後はあらためて劇場の外に向かうようになったのは、大きな変化ですね。
野村:それも作品発表のために否応なく、という感じなんです。2020年3月に京都芸術センターで新作を上演する予定だったんですが、コロナの流行を受けた「自粛」期間で自分たちのクリエーションもストップしてしまった。でも完全になかったことにしてしまうのはもったいない。それで芸術センターに小屋入りはさせてもらって、上演はしないけれど、クリエーションは続行することにしました。
作品のアイデアはそのままに、劇場の外、つまり街中で作品を展開していく。劇場から演劇が出ていくことが、同時に外の物事を劇場に呼び込むことにもなっていくような、双方向な感じがとても面白くて、快感すらありました。
ーそれが映像作品になった『景観と風景、その光景(ランドスケープとしての字幕)』ですか?
野村:そうです。キャリーバッグにディスプレイを取り付けて街中に出かけていって、そこに「歩く」「買い物をする」といったト書きが表示される作品でした。
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実の親子の関係は「演じる」ことで変化するのか
ーそういったコロナの経験を経て2024年に『吉日再会』が生まれたのですね。『景観と風景〜』は現代アート的なコンセプトの強さ、形式の強さを感じますが、こちらはもっとウェットというか……。お父さんが精神科の訪問看護師を演じ、息子さんが看護される側を演じて対話を重ねていく。役柄上は他人同士を演じているけれど、観ていると実際の父子関係も混入するような時間がたびたび訪れます。家族がテーマにはなっているけれど、奇妙なねじれが作品化されている。
野村:『吉日再会』は精神医療への関心からも始まっていて、ちょうど調べ物をしている時に長年の友人でカンパニーメンバーでもある俳優の瀬戸沙門のお父さんが、訪問看護師だと知ったのが大きいです。「ぜひ1回会って話を聞きたい!」と頼んだのがきっかけでした。
長い時間のなかで、(瀬戸)沙門を相手に看護師としての業務を実演してもらうワークを重ねていって、それがすごく良かったんですよ。「あ、これは作品になるぞ」と思いました。もちろんお父さんは俳優ではないし、当時は現職の看護師だったからすぐには作品に出てもらえないだろうけれど、月1ペースくらいで3人で集まって、話をして、ちょっと実演してもらって……それでいよいよ上演でもしますか、というのが2024年でした。

ー不思議な作品ですよね。いわゆるドキュメンタリー演劇(※)だと思いましたが、演劇の手法を借りて、実生活ではなかなか話しづらい親子の会話をするコミュニケーションの一形態にも見えてくる。
※実際の出来事や映像記録などをもとにして構成された演劇のこと。出来事の当事者である本人が出演することも多い
野村:父子という現実的な関係にある2人が、お互いの仕事を演じるなかで親子関係と仕事関係のあいだを揺れ動くんです。
演劇のなかでロールプレイするうちに徐々にお互いのこれまでのことを話すようになったり、仕事を演じること通して互いのことを知っていくような関係に変化していって……そうするともはやこれは人生の目撃だろう、みたいな(笑)。狙ったわけではないにせよちゃんと演劇としての面白さがそこにはあるし、自分にとってこの作品、この3人の関係がライフワーク的な関わりになってもいる。だからこの父子の変化について行きたい、という気持ちが原動力になっています。
ー野村さんがコロナ禍以降に始めた、いろんな人に話を聞きに行ってみるシリーズの究極型じゃないですか。
野村:本当にそんな感じです。コロナの時期に自分の生き方も作品も変化したけれど、最初の段階でひとつ形が見つかった。そういう関係性から今後もいろいろな作品に取り組めたらなと、今も思っています。

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よく知った土地で迷子になるという経験。人は街をどのように見ているのか
ー今回のロームシアター京都での公演では『吉日再会』のリクリエーション版に続き、完全新作の『観光客』も上演されますね。どんな作品になりそうですか?
野村:動機の一つは、先ほど話したようないろんな人との交流で故郷や地元の話題が多く聞けたこと。もう一つは海外での経験です。文化庁の制度で2024年の1年間、ベルリンに滞在したのですが、その時の自分を定義する概念として「観光客」という言葉を見出したんです。
自分は現地で労働してお金をもらってるわけじゃなく、ただ毎日劇場に行って、演劇見たり関係者と話して勉強したりする存在。でもそれが1、2週間で終わらず、1年という長さで続くので、旅行というよりは生活ベースで過ごしている。しかし1年後には必ず帰らなければいけない。さらに結局ベルリン滞在中に4回ぐらい引っ越しまでしてる(笑)。
―そもそも滞在先で自分を定義する概念について考えていたのは、どうしででしょうか。
野村:幼少期からの体験が反映されている気がします。うちは引っ越しの多い家族で、生まれたのは長野県のどこか。物心ついた時には松本市で暮らしていて、そこで母、僕、おじいちゃん、おばあちゃん、それから母の兄で暮らしていました。ところが、母の地元が青森県の津軽だったこともあって、家のなかではみんな津軽弁で話していたんです。
ーへえ!
野村:家族の意思疎通は津軽弁。でも家の外には長野の言葉が飛び交っていて「自分はどこにいるのか?」みたいな感覚がありました。もともと青森から出稼ぎで出てきた祖父母も松本に居着くことになって、その後は祖父母を除いて名古屋に引っ越して、それからも誰も青森に帰らなくて。
そういう経験から自分自身にも帰る場所はないと感じます。さらに確実に影響してるのは引っ越しの経験で、気づいたら僕自身もめちゃくちゃ引っ越しする人間になっていた。数えてみたら今までに23回ぐらい引っ越ししてます。
ーそれはすごい。
野村:だから自分に帰る故郷はないと思っている。一般的にそれは寂しいことなのかもしれないけれど、「別にそういうものかな?」ぐらいの気持ちが根底にあります。

ー引っ越しの頻度に驚いてますが、半ば必然だったのかもしれませんね。
野村:いろいろトラブルに見舞われて移らざるをえなかったんですけどね。そういうもろもろの経験、時間の過ごし方を総合すると、自分は「観光客」以外の何者でもないなと。ただ、その視点で生活して街や劇場と接していると自分の存在の曖昧さが面白くもあって、アイデンティティがころころ変わる軽やかさがあった。実際、ベルリンにとってみたら自分はそういう人だったわけですしね。
